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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー



レジデンス・シアターNOISMの星 金森 穣が目指すもの
―O7 作品「W-view」東京公演 at Bunkamuraシアターコクーンー

2007.10/12―14日 3ステージ
日下 四郎 [2007.10.29 updated]

国内では初めての試みである本拠地直属のレジデンシャル・シアター。2004年の発足から3年の月日が経過し、その成果をもとに、引き続き金森穣を芸術監督とするカンパニーNOISMの活動も、この秋第2期の新契約下に入った。その最初のプロジェクトとして生まれた企画がこの「W-view」である。プロラムのノートによれば、Wには3つのキーワードが隠されており、それは女性(Woman)芸術家の手になる、二つ(W=double)の世界観(world-view)を展示したダンス作品だという。

その女性ゲストとは、すなわちフランクフルト舞踊団に在籍するフォーサイス門下の安藤洋子、および元オランダのネザーランド・シアターにあって、キリアン直々の手ほどきを受けた中村恩恵の2人である。それぞれ独立の振付家として招かれ、劇場の本拠地である新潟にこもって、個別の作品「Nin-siki(認識)」と「Waltz(ワルツ)」の完成に関与した。ともに40分前後の舞台である。

ここで見終わった感想を先に言ってしまうと、この二つの創作は、決して「太陽と月のようにまったく違うエネルギーを発する」(プログラムシート:鈴木栄子)アーティストが作った、極めて対比的なカラーの産物とはあまり思えない。むしろそこに共通して感じられるのは、芸術監督である金森穣の強い個性なり体臭の方であって、彼はこの2作品を通して、かねて抱いているおのれのダンス観を、その執拗な演出の模索を通して問いかけたダンスであったと説明したほうが、もっと納得がいく。

安藤作品はフロア上に動く人体を、ダブル・イメージで別アングルから撮らえ、それを上からつるした3枚重ねの紗幕に投影しながら進展していく構成のもの。数人のダンサーはフロアに横たわり、直立し、またはくねりつつ、突然ストップモーションを挿入するなど、種々のムーヴメントを試みるが、その絵図を別のディメンジョンでカメラがとらえた俯瞰のコマや幾何学模様として並立させ、上下に並べた紗幕と実態の、倍増された視覚の世界へと観客を誘い込む仕掛けになっている。水玉模様を配した衣装(デザイン:皆川明)が出色で、作品に独自のカラーを添えていた。

中村恩恵のほうは、題名は「Waltz」だが、それは進行の途中で一瞬ワルツを踊るシ-ンがあるからで、作品の本質はやはり全く別の次元にある。こちらには金森自身もダンサーとして参加する。注目されるのはドラマチュギーとか空間コンセプトなど、振付外に登用しているスタッフの存在で、これは時間と空間を追いつつ、常に新しい身体の存在感を模索し続けるNOISMの強い姿勢を裏付ける。ただこの作品のベースには詩があり、中で単にフレーズとしての扱いだが、W.ブレイクの詩がダンサーの動きにあわせて併用される部分など、基底の部分で創作者としての中村恩恵の顔とヴィジョンが垣間見えてくる。

今回の公演に至る金森の公式役割は、チラシやPR上の扱いでは、すべて “企画”の2文字で統一されている。だがその実態は何だろう。思うに“りゅーとぴあNOISM”のリーダーであり芸術監督である彼が、単にアイディアやダンサーとしての部分参加ですべて終わっているはずはない。実際には作品完成までに、たとえ今回のような外部からの振付家招聘があっても、彼は実作レベルのあらゆるフェーズで造形に関与し、完成まで想像以上の重責を果たしていると思われる。逆に振付家として招聘されたゲストは、どこまで創作における徹底した“作者”であり、また演出上(見せ方)の主体であり得たか。

この設問は、その先さらにダンス作品において、振付とは何か、ダンサーに動きを与える役割と演出行為との関わり、またその違いは何かという、きわめて興味ある問題に行きつく。その回答の一端を、たまたま私はダンス総合雑誌《DDD》に書かれた、金森自身のダンス・エッセー“Black Letter”vol.9の文中に発見した。

彼はその中で日ごろ追及するダンス作品の身体性に言及し、「己の仕事を振付という行為よりも、もっと演出に近い仕事だと感じ」ていると告白し、それゆえ「身体の動きを創ることよりも、空間における身体的出来事に興味があり」、その点での演劇のもつ方法論との近似性、あるいはそれから引き出すダンス表現に、不断のまなこと好奇の念を絶やさないのだと説明している。ただし昨今氾濫する自称コンテンポラリーの舞台の大半は、「非身体化し、コンセプチュアリズムと言った脳内創作に行きついた」似非演劇的な断片にすぎないとも断じているのだ。

この所感には一貫して身体への深い信仰がある。よきダンスとよき演出の合作、そして強烈な身体性をみせる刺激的な舞台。ここ数年、列島には内外のきびしい身体訓練を経て、よき現代のダンサーたちが次第に増えつつあることはよろこばしい現象だ。しかしそれに比べて、この国には、真にオリジナルな振付家、才能ある演出家がなかなか出てこない。この点いかに金森が将来を託しうる貴重なトップ・ランクのアーティストであるか、これはほぼ万人の認めるところだ。4年目シーズンへの突入した今回の第1作は、ともあれ十分に「本質的で刺激的な出来事」(同上)であったと思う。今後の3年間、契約第2期における金森NOISM集団の、ますますの研鑽と成果を期待したい。(13日所見)

 

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