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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー



日本のベジャールここにあり;横井茂リサイタル
- 舞踊生活60周年記念「限りなき白へ」「夕映えに」「トロイの木馬」-
2月10日(日)15時 1回公演
at新国立劇場 中劇場

日下 四郎 [2008.2.18 updated]

 日本バレエ界の異端、横井茂ひさびさのリサイタルである。いや、この人をそんな形容詞つきで呼ぶほうが、実は最初からむしろ偏っているといいたい。たしかに、この才能が、今まで日本のバレエの世界でやってきた仕事に関しては、かしましく賛否両論があった。クラシックの中のクラシック派からは、「この人の造形は正道を外したお遊びで、とうていバレエとは呼べない」という声すらきかれた。しかし、バレエにおける正道とはいったいなにか。

  私自身としてはこの世界へ、モダン・ダンスの台本・演出から入っていったせいもあり、バレエにプロパーな人種とはいえない。それでも横井茂の盛名はつとに耳にしており、60年代にシェクスピアの戯曲を次々に手掛け、連続して各種の賞を得たころの舞台はちゃんと観ている。またバレエの台本に関してなら、他のカンパニーのために何本か執筆している経験もある。そんな立場からみて、この舞踊作家は、じつに緻密にシェクスピアの原作を分析し、これを自家薬籠中のものとして、ダンス作品に再創造した。その手腕はなまなかひと通りのものではない実感は、当時からすでに強く持っていた。

  加えるにその才能は実に多彩であり、近接する他の舞台芸術からもしばしば声が掛かかった。例えば北井一郎氏のモダン・ダンス作品「鮫」では、あえて演出を受け持って、あっさりその年の文化庁芸術祭優秀賞をさらってしまっている。天井から無数の干柿のような生体を吊り下げたシーン。女の与えた一片の肉を、むさぼりくうサメの残忍と驚愕のリアクションなど、殻を破ったそのイマジネーションは、今も私の脳裏に強く焼き付いてはなれない。

  その後70年代は大阪の芸術大学に呼ばれて、創設から教導・経営にまでかかわり、「以後30年間……東京での舞踊家、大阪での教育者の生活を」(ノートから)続ける立場にあった。その間NHKテレビ放送での活躍、東京バレエグループで発表する作品のオリジナリティには、あいかわらず他と一線を画す鋭いものがあったが、もし彼がその後90年代に入ってスタートした新国立劇場に、早くから深くかかわっていれば、その後辿ったこの国の現代バレエ史には、よほど違ったものがあったに違いない。そんなことをつい考えてしまうほど、その個性は強烈なのだ。

  今回自らの舞踊生活60周年を記念に発表したプログラムは、2本の再演と、1本の新作である。中での注目はトリに組まれたオリジナル「トロイの木馬」だ。「限りなき白へ」は、1985年に「限りなき白」として発表されたものの改題、また「夕映えに」は、91年に発表された作品だが、因みにいずれも私にとっては初見の舞台である。

  まず前者の「限りなき白へ」。ヘンデルの古典曲を、真っ白なロマンティック・チュチュで飾った舞踊手たちが、群舞、デュオ、ソロと典雅に舞い続ける。ホリゾントも薄い模様を透かせた全面ホワイトのデザイン。バレエ・ブランはこの世界の理想美の象徴であり、それをポイントにした着想は買える。しかしカタカタとトウシューズを響かせながら、生演奏で離散集合する身体の動きについていえば、どこまでもダンス・クラシックのテキストそのもの。ひょっとしてこれ、かまびすしい古典派から聞こえてくる雑音に、当時振付者が意図して投げ返したデモンストレーション、一種の当てつけだったのかなと思ってしまうぐらいだ。

  二つ目の「夕映えに」は、こちらは真っ向勝負の芸術作品である。文字どおり純粋美への挑戦だ。リヒャルト・シュトラウスが、ヘッセとアイヒェンドルフという、ドイツ・ロマン派最高の詩人がうたう愛と死の世界を、ライブの歌唱(佐々木典子)をバックに視覚化した。四季をかたどる4色の女性舞踊手。そこへ正面の紗幕を分けて、死の象徴である白馬の男性舞踊手がゆっくりと登場する。ほとんど完璧に近い美の宇宙を生み出す、このアーティストの徹底した感性に圧倒される。

  さて満を侍して登場した新作「トロイの木馬」。結論から言って、期待にそむかぬ快作だったといっていい。創作力は少しも衰えていない。それどころか、現在の日本のバレエ界で、振付、演出、着想、時代性のすべてにわたって、ここまでの実力を備えた舞踊作家は、他に誰ひとりいないのではないか。1時間になんなんとする5章構成の舞台空間には、現代バレエに不可欠なすべての与件が備わっていて、とことん観客を魅了した。

  まず発想の動機が、一昨年この国の社会を動かしたライブドア事件だったというのがいい。現代を神話に仮託する、生きた創作の基本姿勢が、まずそこに働いているからだ。リンゴをめぐる美の争いに端を発し、ギリシャ軍の仕掛けた木馬の奇策に敗れる、おなじみトロイ戦争の神話だが、メタファーとしての今日的寓意は、それなりに十分読みとれた。その着想に準じて、演出サイドにも背広姿の現代人、轟音を立てて乗り込むオートバイの車列など、作者の華麗なダイナミズムがふんだんに織り込まれていて、最後まで息をつかせずたのしめる。

  とくに今回の作品では、美術(藤本久徳)と照明(澤田祐二)の相乗効果がすばらしかった。正面に出現する巨大な木馬の映像とアニメーション、ときに応じて壁面を上下する筒状垂れ幕への彩光、またフロアに刻み込むストライプ状の光線デコールetc。すべてこれ横井演出の見せどころと言いかえてもいい。

  そんな舞台の多彩を縫いながら、おなじみギリシャ神話の人間像、ヘレネ(安達悦子)、パリス(小林洋市)、アテネ(大滝よう)、ヴィーナス(河邊こずえ)らが、とらわれないバレエの身体テクニックで、飽かせずドラマのカタストロフィへと物語を収斂していく。堀内充(シノン)と浅野つかさ(カッサンドラ)の切迫したデュオ、またトロイ市民の女達にたっぷり埋め込まれた身体のエロティシズムにも感心させられた。

  とまれこの一作、創作バレエとして近来にない収穫だった。作者の手腕は、誇張ではなくこの国のベジャール級に比せられていいレベルのものである。用いたベルリオーズの音楽ひとつをとってみても、そのみごとな選曲と構成は、まったく同じ楽章であった場合も、類似の他の作品に比べるとき、何層にもその効果を生かしていることがよくわかる。古典としてのレパートリーが、昨今ようやく出そろった感のあるこの国の舞踊状況を考えるとき、ひさしく求められてきたオリジナル・バレエの一例が、今回ようやくその具体の一つを生み出した感が強い。(10日所見)

 

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