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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」
舞踏考・とりふね舞踏舎公演 「ひのもとーある晴れた、冬の日のお母さま」 イギリス・ツアー凱旋、土方巽生誕80周年記念公演 6月10,11日 at 全労済ホール スペース・ゼロ
初演は少し古く、今から7年前の2001年に、この舞踏舎の発足10周年を記念して創られた。去る3月イギリス巡演を果たしたのを機に、今回京都と東京で再演された舞台だ。この時私は観ていないのだが、実は[とりふね]のレパートリには、発想の根底においてほぼ同質と考えてもいい、もうひとつの作品「私の生まれた日」がある。 これはさらに遡った前世紀の1994年に作られた。ところがこの作品も海外公演に縁があり、8年後の2002年に、中部ヨーロッパ・ツアーを果たし、そのあとやはり凱旋公演として、天王洲のアートスフィアで上演している。こちらの方は観た。 その時の印象で私は、いわゆるブトー派の中にあって、この集団は山児牛大の[山海塾]と並び、すくなくとも創作に強い美意識を取り入れ、それをおのれのスタイルまで昇華させた、数少ないブトー派のひとつであることを実感した。中心のキャラクターは、三上賀代だが、その個性の上に加えられた演出の三上宥起夫など、スタッフ・サイドからの努力も大きい集団だ。 場内に入ると、ホリゾントの左右に巨大な草鞋状のデコールが目につく。その中間に下げられた民俗カラーの強い一枚のタブロー。もともと[とりふね]が創造する舞台空間には、今回も後半になってじわじわと多用される極彩色の衣装など、振り付けを秘儀性の強い美術の効果で高めようとする努力が基本的にある。 しばらくは流れる湧き水と自然のサウンドが一帯を支配するが、やがて強い響音が入って、ここで場内の明りが一瞬に落ちる。いよいよ本編の始まりだ。再び視界に照明が戻ると、中央スポットに、まるで天の一郭から現われたかのような女のフィギュアが、くっきりと浮かび上がる。三上賀代だ。そのまましばらくは根が生えたように動こうとしない。いやそうではない。よくみるとスロー・ビデオのように、いやそれよりもはるかに緩慢な、かすかなズレと微動の積み重ねによって、いつしか観る者の心をしたたかに収斂していくのだ。 そのあと人物は時間をかけて一度ホリゾントに進み、ふたたび正面に戻ってくる。とみる間に、まわりから群舞やソロたちが、波紋のように乱れ込んで、舞台は多様な聴覚と視覚の渦中にあって、いつしか微妙なメタモルフォーズを体験させられていくのだ。すべては誰もが通過した、ある晴れた日の母の胎内風景のように。 美と重力の見事な結合。少なくともテクニックとしてみるかぎり、彼らの表現自体には、タメにする技巧の痕跡はどこにもない。一見不動のままの、あるいは限られた身体の軌跡にもかかわらず、そこには無限に近い霊感と、遠い胎内の時間の記憶がよみがえっているのだ。こうして長くもあり短くもある、表面では一切不可触の、メンタルな回帰の旅を終えたのち、5色のデザインに彩られた、目もあやなフィナーレがやってくる。 今から振り返ると、60年代に土方巽という異色の才能が、いわゆるブトー旋風をまきおこし、それが70年代いっぱいにわたってこの国のダンス界を席巻した。これはもともと在日の外国人、それも主としてヨーロッパ系の芸能ジャーナリストの発見になるもので、それが彼の地で話題となり、その評判に気をよくしたブトー系ダンサーたちは、身体一つの身軽さから、自ら進んで海を渡り、リスクを負いながらも、芸を異国で披露したのである。 少し遅れて当の日本でのブームは、1985年の2月に、銀座の朝日講堂で、5日間にわたる<舞踏懺悔録集成>が開かれた。その前後があるいはピーク期だったと呼べるかもしれない。このイベントで土方は、初日の話だけで踊らなかったが、大野一雄を筆頭に、神領国資など名だたる7人のブトー・ダンサーが出そろった連日の舞台は、たしかにひとつの盛観といえた。つい先日他界した五井輝も、その行事における旗頭のひとりである。 時は回転を重ねる。白ぬりのメーキャップに、肉体をひん曲げ、ベロを出して地上を這いまわる異様なしぐさ。それはギリシャ以来、常に真・善・美を旨として務めてきた西欧芸術にとってはある種の驚きであり、ショッキングな光景だったろうが、その後この国における、ダンス界のメイン・ストリームには、ついになり得なかったようだ。 しかしながら、その時期に台頭し、身体に眠る内奥の闇に迫ることによって、ダンスの表現規範にいくつか新たな項目を加えたブトー派のアーティストたち。それらのソロイストと集団によるいくつかのいとなみは、しかるべき才能によって、今日陰に陽にコンテンポラリー・ダンスの活動に溶け込み、つけ加えられている。このことは確かだ。 そのまっとうな遺産のひとつが、たとえばこの[とりふね]の活動である。三上は確かに土方巽の指導を直に受けた弟子のひとりであり、その振付けにも多分に教祖の匂いを残している。だがその芸術はすでに本人のオリジナルなスタイルとして、しっかりと磨き上げ肉化していると言っていい。それをブトー芸術とよぶかどうか、それはいってみれば観る側の人間の、嗜好であり勝手だといってもいい。 実際、欧米人が日本人のダンスに接すると、きまったようにブトーを口にする。いつ誰からブトーを習ったのか? その流れはヒジカタか、オーノか? たとえそのダンサーが、ブトーとは全く無縁の、別次元のキャリアの持ち主であってもだ。日本人の身体とそこからにおう動きの文化が、おのずと自分たちとは別の何かであることを、直感的に読み取るからだ。彼らにとっては、日本人の踊りはそのままブトーに他ならない。なにも意識してブトー派を名乗る必要など、少しもないぐらいだ。 今日さかのぼってこの派の流れをくむ第3ジェネレーションは、ほとんどその出自の意識すらなく、まずは個人として日本のコンテンポラリー界で、自由に自らのダンス活動を続けている。ということは、ブトーもまたまぎれもなく現代舞踊の1ジャンルであり、そこには単にいいダンスとつまらぬダンスの差があるだけということになる。(11日所見)
現代のドラマティックな心理バレエ [タチヤーナ]バレエシャンブルウエスト公演