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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」
野坂公夫「眠れる森のアレグロ・ヴィーヴォ」を観る-石井清子舞踊生活70周年記念公演 7月19日(土)~20日(日)3ステージ at ティアラこうとう大ホール
東京シティ・バレエ団は、ことしが創立40周年にあたり、それを記念していくつかの企画が組まれた。これはその中のひとつで、現在理事長である石井清子の、舞踊生活70周年を祝して作られた舞台。作品は3つあり、第1部が「レ・シルフィード2008」。次に群舞を中心に「剣の舞」、3つ目は野坂公夫に振付を委託した新作「眠れる森のアレグロ・ヴィーヴォ」。全編福田一雄指揮、東京フィルハーモニックの生演奏による本格的な上演だ。 バレエの場合「レ・シルフィード」といえば、当然M・フォーキンが原型だが、このヴァージョンでは、少なくとも構成の面で、古典に比べかなり手が入っている。現代舞踊と違って、それは主題や解釈にではなく、ショパンの曲もモデル通り。ただコール・ド・バレエの出し入れと、詩人(黄凱)の扱いがマリンスキー時代とことなり、それなりに石井の恣意が加わることで、独自の味わいが添えられているものである。 初演は2001年だが、私には今回が初見。日ごろフォーキン版をみなれている目には、なかなか新鮮に映った。小さい時から馴染みがあり、「私の大好きなこの作品」(ノート)と彼女が断言する、この古典の代表作への長年にわたる執着があってこそ、自家版として立派に練り直した石井版の「レ・シルフィード」が誕生したのだと言えるのだろう。 第2部の「剣の舞」は、おなじみハチャトリアンの組曲≪ガイーヌ≫から選んだ10曲の作舞。こちらも2005年の再演で、あたかも闘武ダンス・ショーを思わせる作品集だが、なかには“子守唄”のようにソフトなデュオ(若世加代子・黄凱)もある。だが全体のムードは概してはげしい動きが支配的で、どちらかというと男性風のレパートリー。これも違った意味で、やはり石井清子の行動的な性格を反映している。その点はこのバレエ団のもうひとりのリーダーである石田種生の、どちらかというと女性的な側面と、いささか対照的なカラーである点がおもしろい。 さて20分の休憩の後に、この日の記念公演のトリとして登場するのが「眠れる森のアレグロ・ヴィーヴォ」という話題作。現代舞踊畠の才能としての野坂公夫が、メジャー・バレエのひとつである東京シティ・バレエに参画して、メインとしての新作をひきうけたわけだが、果たしてその内容やいかん。バレエ・ダンサーだけを素材に、このモダン・ダンスの熟練工が、いったいどんな作品を仕上げたのか。 もっとも野坂と東京シティ・バレエとの縁は、今回が初めてではない。このバレエ団のコンテンポラリーへの視線には、もともと注目すべきものがあり、2006年の“ラフィネ・コンサート”にも、志賀郁恵・小林洋壱らを動員して、野坂レパートリーのひとつである「曲舞」を踊らせている。もともとカンパニー所属の、モダンのダンサーだけで仕上げた作品。それだけにそのバレエ・ヴァージョンの帰趨が注目されたが、結果としては新しい発見もあり結構うまくいった。 この例にみるように、この振付家はダンス技法に関しては、極めて熟練したメティエの持ち主というべく、これまで手掛けてきた数多くのコンテンポラリー作品では、ほぼ完ぺきに近い仕上げで、多くの観客をたのしませた。ということは表現において、すでにダンス・クラシックの技法をも、必要に応じて十分にこなし得る才能の持ち主であることを証明している。そういった意味で、現代舞踊界では数少ない貴重な存在だ。 今回の新作はそのタイトルがしめすように、バレエ界の代表的古典「眠れる森の美女」を再構成した内容。これまで持ち役の一つだったカラボスに、本人の石井清子を配し、テーマとして用いられるアレグロ・ヴィーヴォの曲をフィーチュアして、チャイコフスキーの前半部分を編曲した形で作られている。そのため新たにカラボス党とでもいうべき黒装束の一味を、意図的に加えてたのも構成上の特色だ。 ずらり18名のダンサーが、プロセニアムにバックで並んだ幕あきや、そこからの空間へのなめらかな展開、そこへ意味ありげに黒衣の人物が忍び込んでくるなど、序走ではハッとする劇的展開も期待させるが、その後勢いよくチェアに乗ったカラボス役の石井が登場してからは、いわば古典のしきたりに沿った平凡な演出へと次第に変調する。オーロラ姫(橘るみ)やリラ(土肥靖子)の挿入も型どおりだし、メインダンサーたちのソロによる一連のヴァリアントなど、明らかに団員たちのたちのための。表現技能のお披露目が眼目だ。古典のルールといえばそれまでだが、折角の緊張感が崩れて、お祝儀公演の匂いが前面に出てきたのが惜しまれる。 古典の塗り替え版(ソフト・クラシック?)だから、これで十分という意見もあろうが、この機会にコンテンポラリーのホープ野坂公夫には、現代舞踊界の可能性をもっと図々しく(?)実験してもらいたかった気がしないでもない。技術レベルの職人性に自足するのではなく、さらにそこから一歩踏み込んだ、今日的芸術舞踊としての問題提起をである。 定着した一連の古典ナンバーを別にすれば、この先半世紀も経たぬうちに、いずれこの世界からはモダンだのバレエだのの区別は消えていく筈だと、筆者などは堅く信じている。そのための先駆的作品としても、日本では数少ない折角のこの種のチャンスを生かし、思い切った冒険作を見せてほしかった。熟練した技能と見識から言って、舞踊作家野坂公夫は、それが可能な日本の創作家の、数少ないリーダーのひとりと信じるからである。(19日所見)
現代のドラマティックな心理バレエ [タチヤーナ]バレエシャンブルウエスト公演