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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー

コンテンポラリーダンス 本年度随一の収穫
平山素子「春の祭典」―新国立劇場 ダンステアトロン16“古楽とストラビンスキー”から

11月15日-16日 at 新国立劇場 PLAYHOUSE

日下 四郎 [2008.12/1 updated]
 楽屋ばなしめくが、月1回をおよそのベースとして執筆させてもらっているこのDXD“れびゅー”欄。どの作品を論評の対象にえらぶか。これは外から見るほど気楽な作業ではない。もともと批評家はある意味でパラサイト(寄生虫)的存在だともいえる。本体(作品)がなければ一行の感想も吐けないからだ。だがその1本をいかなる基準で選ぶか。「よし今月はこれに決めた」とPCに向かってキーを打ち出すまでには、結構日時や想定にまつわる気苦労が付いて回るのだ。
 その意味でいえばこの月、新国立劇場のダンステアトロン・シリーズの1本として組まれた“古楽とストラビンスキー”は、文句なしに素晴らしい舞台であった。木佐貫邦子と平山素子という、実力と年齢ともに、正にこの国の現代舞踊界の今を背負って立つ、かけがえのない才能の競演だったからだ。これまで年々積み上げられてきたこのシリーズのレパートリーにあって、もっともオリジナル性の高い創作ナンバーだったといえる。
 中でも平山の「春の祭典」は、この年いちばんの収穫だと断言してもいい一品。2台のグランドピアノを、向かい合って舞台の上段に据え、奏者(土田英介・篠田昌伸)が、バレエ史でも不滅の名曲とされるストラビンスキーを鍵盤スコアの連打で競演、一方獣皮を思わす斑点入りの大きな円形シーツを、フロアいっぱいの下段に敷き詰め、ダンサー2人の見事なソロとデュオ(+柳本雅寛)の技巧を通して、原曲の世界である“性の生贄”(セクシュアル・ファンタジー:作者ノート)を、息詰まる技巧と緻密さの裡に見事に演じ切ったのである。
 自作自演――この作品にみる平山の振り付けには、あの「Butterfly」をさらに一歩踏み出るものがあった。それは複雑なリズムと不協和音をこなすテクニックの上に、さらに構成上の劇的な流れが加わり、その両者をトータルに生かし切った演出の力である。そのオリジナリティは、次々にお目見えする昨今の数多いコンテンポラリーの波の中にあって、ずばぬけて頭角をあらわす稀有の迫力に満ちていた。
 あるバレエ界の権威が、彼女に作品の振付を依頼したとき、舞台がはねたあとしみじみと曰く、「あなたの振り付けは見事だが、後日どのダンサーもそれを正確になぞれないから困る」と。そこに平山の身体があり、その四肢が代替不能の、一度限りの生命の躍動を演じてみせる。個々の動きに介在する阿吽の呼吸、一瞬の反転と震え、その繰り返しと持続がすなわちダンスの正体であり、真の創造行為だけが残す得難い刻印なのだ。芸術の宿命でなくて何であろう。
 しかし観終わって数日、わたしはなんだかこの舞台を今月の批評対象として取り上げる気持ちになれなかった。昔から“言葉を失う”という言い方がある。文字通り絶句というやつだ。感動の極致とは、ただうめき声をたてる以外に、そこになんの反応もない。でなくとももともとダンスはノンバーバル芸術――言葉にはかかわりのない世界ではないか。だからこそあの「ブラボー」の叫びが、もっとも直截で正直な、唯一の表現形式として代々伝えられてきたのかもしれない。
 それとこの会場には多くの論客やジャーナリストが詰めかけていた。きっとそれら関係者の多くがリポートに手を染めるに違いない。したがって観終わっての強い感動は、あえて懐の奥へしまい込み、月の後半にいくつか予定されている公演に、あえて席を譲ろうと考えたのである。ところがどっこい、予定は狂った。どの作品もいまひとつ、どうしてもすすんで机の前に座り込む気にならないうちに、いつしか下旬も半ばを過ぎていたというわけである。
 このようにせっかく自分で候補に選んでおきながら、観てがっかりのケースはよく起こる。一つには職業癖といおうか、あまりPRの効いていない、しかしどこか見どころのある才能や舞台を見つけたいという気持ちがあり、その分危険率も高いといえる。しかし生の舞台というものは、観てみないかぎり決して中身はわからないし、責任のある判断はおろせない。
 そんなときは腹が立ったまま、ついいろいろと作品の細部にわたって文句を並べてみたくなる。実際そのほうが文字にするのははるかにやさしい。またそんなアラサガシが批評だと錯覚していた時期も確かにあった。しかし批評行為というものは、やはり建設的な刺激、ダンスの創造サイドに何らかの役に立つものでありたいという気持ちは十分にある。それにはそれなりの“目”と“確信”がなければ、決して容易にできるワザでもないことも承知だ。いくらパラサイトといっても、事前の調査なり時間には、それなりの投資をしていることがおわかりいただけるだろうか。
 おっと、ここでもう一つの作品、木佐貫邦子の「キャラバン」をつい忘れるところだった。こちらの舞台は音楽も古曲から採譜したオリジナル(SKANK)だし、ペット風の楽器を吹きながら、ダンサー3人ともども踊る陽気な近藤良平の参加もあり、雰囲気は前者とはかなり違う。いっぽう木佐貫の振付はさすがに年期が入り、しっかりと現代風でありながら、渋く堅実な一篇だったといえるだろう。ただひとつ天井から吊り下げられた巨大な船型のオブジェ(島 次郎)は、美術品としてはともかく、フロア上で展開するダンスと、いったいどんな関係があるのか、ちょっとわたしには不可解な気がした。(16日所見)

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