.shtml> コラム:ダンスレビューVol.34:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)


D×D

舞台撮影・映像制作を手がける株式会社ビデオが運営するダンス専門サイト

 

ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー

日本のダンス・オペラ誕生
「小栗と照手」遠藤啄郎×ケイタケイ作品

5月27日(水)~31日(金) 両国シアターX

日下 四郎 [2009.6/9 updated]
 昨年の秋、シアターXの主催する第8回IDTF(インターナショナル・ダンス&シアター・フェスティバル)に、今回とほぼ同じスタッフ・キャストによる「小栗判官・照手姫」という作品がかかった。そもそもこのIDTFという、一年おきにひと月前後にわたって組まれるフェスティバルには、タイトルが示唆するように、単にダンスとお芝居を、日がわりで交互に見せるというのが目的ではなく、2つのジャンル枠にとらわれず、むしろそれを超えて、純粋に人を感動させる創作パフォーマンスを、ひとつでも多く生み出したいという、プロデューサー上田美代子さんの年来の夢が込められている。
 この時に上演された「小栗判官・照手姫」は、明らかにその意図に沿って作られたシアターX制作の舞台である。素材はこの国の中世末、武家階級の時代に広まった民俗説話「をぐり」だが、元来仮面劇を得意とする劇団ボートシアターの遠藤啄郎が、新たにダンスを用いて練り上げた。ただしこのIDTFのプログラムでは、舞踊の活躍はどちらかというとハートの部分の一部に限られていた。ただしそれがこの一種の様式劇に、巧まず現代の息吹と活力を吹き込む結果をもたらしたことは間違いない。
 さて、今回あらためてトライされた「小栗と照手」は、あきらかにそのバージョンアップを目指した版である。作者が前回の出来に厳しい吟味と改竄を加えた上で、さらなる別バージョンとして発表したと考えてもいい。ストーリー自体もそもそもの話の突端から説き起こし、そこへナレ-ターとして生の語り部としての説教義太夫を加え、あわせて古代器楽の演奏を活用した。さらにその上で構成の核心部分を、思い切ってケイタケイの振り付けになるダンス・ムーブメント、すなわち身体による劇的表現にゆだねた点が、いちばんの勝負どころだといえるだろう。
 ストーリーそのものは、大筋としては比較的シンプルだ。さる大納言家の息子である小栗判官と、大名の一人娘照手姫の、波乱に満ちた恋の物語である。いったんは結ばれながら、非業の死を遂げて餓鬼になりはてた夫を、遊女に身をおとすなど苦労の末に、最後は熊野の湯池場での必至の祈願によって、無事にこの世へ蘇生させ、あらためて2人は末永く長寿を全うしたという伝話である。
 ただ物語の進行中には、当時の世相を反映して仏教色のつよい中世特有の生死観が顔を出す。地獄の形相、閻魔・餓鬼の出没、勧善懲悪の教訓といったものが、あちこち雰囲気として挿入されるのだ。土俗信仰の持つ反リアリズムの世界である。それを手際よく整理したうえ、お面や打楽器のサウンド、語り部のメリハリを通して、たくみに作品の彩りとして取り入れた手法は、日ごろ造形美術の分野で特異な才能を発揮する、劇作家遠藤ならではの作業だったといえるだろう。
 したがってここには筋の運びはもちろん、衣装、小道具、楽曲の隅々に至るまで、用いられるすべての演劇素材には、およそ明治以後の西欧から受けた影響が見られない。どこからみても純血の日本産という、いわば徹底した和製の音楽劇といえるのだ。
 またそのダンス・スタイルだが、ケイの振付は完ぺきにまでこの作品に見合っていたといえるだろう。もともとは檜健次門下の出身だが、ニューヨークにわたってからも少しも舶来品化することをせず、一切の情緒を排した表現体としての日本人の身体の中味を、常に厳しく見続けてきた。また同時にその思想は、肉体の出自としての自然との絆を決して見失うことをしない。そのせいかこの舞踊家の振付には、いつもどこかで土のにおいがする。まるで地に根付いたような下半身の重い足取り、そして一歩一歩たしかめるように、腰を落として歩を進めるか、時にはむずかって地中からの反応をはげしく促がすかのように、ドスンドスンと音を立てて大地を踏みつける。
 この日本人の身体だけがもつ身振りと動作のムーブメントは、あの長いニューヨークでの「ライト(LIGHT)」シリーズを通じても、いささかも揺るぐことはなかった。逆にそのためにケイの芸術はあれほどの評判をとり、東洋人のモダン・ダンスとして広く一般に受け入れられたのである。そのあと帰国してからも、どんなトレンドにも彼女は振り向くことをせず、年とともにますますそのスタイルに磨きをかけた。その独自の表現とダンス観は、日本人ダンサーとしては稀有な存在だ。
 ただ、どんなアートにも、それを十全に発揚するための環境や場といったものが必要である。今回実現をみたジョイント作品「小栗・照手」は、ケイにとっては正にピタリ見合ったその一例ともいうべき舞台であり、チャンスであった。ここでその成果を、単にシアターXが放った異色の演劇作品と呼んで済ますことは易しい。しかしそれだけではいささか口惜しいのだ。この創作は彼女がアメリカから祖国へ帰ってから手がけたダンスのうちの、まさしく最良の代表作のひとつだと断じてもいい。
 さらに近年のトレンドとして、現代舞踊の概念が飛躍的にふくらみつつある今日、これをコンテンポラリー・ダンスの1曲にカウントしても、けっして不当な位置付けにはならないはずだ。いや、ひょっとしたら、いまはむかし、あの明治の演劇改革論者の坪内逍遥が、ひたすら夢みながら、ついに生前不発におわった邦楽舞踊劇、すなわち日本のダンス・オペラの第1号の誕生だと持ち上げても、決して的外れとはいえない、今回のダンス演劇「小栗・照手」の出来栄えであった。(29日所見)