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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー

ようやく名前負けしなくなってきたCDAJの年次公演:「2009 時代を創る現代舞踊 公演」
9月1日(火)、2日(水)at 東京芸術劇場中ホール

日下 四郎 [2009.9/15 updated]
 長らく《新鋭・中堅舞踊家による現代舞踊公演》の名のもとに、毎年プロデュースされてきたこの年次公演だが、3年前に制作主体である現代舞踊協会(CDAJ)が、創立60周年を機会に新しい現行の名称に呼び変えることにした。その第1号が、3年前の「2007時代を創る 現代舞踊公演」である。あたまに置く年数を、1年ごとに増やしていくタイトルだが、したがって今年はその3回目、「2009 時代を創る 現代舞踊公演」となる。
 改名当初は“時代を創る”とはまた大きく出たものだと、一部では冷やかし半分の批判も聞こえたが、ナーニ昔から言うとおり、こころざしは高いに越したことはない。ただし問題はその中身である。仕上がりが構えに似あわず貧相で、「羊頭を掲げて狗肉を売る」の結果に終わった場合は、これは厳しいリアクションも覚悟しなければならない。ヒソヒソレベルの陰口も、たちまち正面切っての大嗤いに一変、名前なんかでゴマ化そうったってダメと、現行の現代舞踊に、決定的な烙印を押されかねない結果になるからだ。
 それが急ごしらえの1回目はともかく、昨年あたりから目に見えてプログラムが充実してきた。観ていて手ごたえのあるおもしろさが加わったのだ。しかし芸術の世界はもとより主観、作品のカラーや個性は創る人によってさまざまだし、さらに仕上がりに対する観る側の反応や好みには、千差万別といっていいほどのニュアンスの違いがある。にもかかわらずそこにはおのずから“いい作品”、“悪い作品”の区別は厳然として存在するものだ。大枠としての良否は動かない。そこにはいやしくも現代舞踊と呼ぶ以上、おのずから価値基準としてのクライテリアがあるはずだ。
 ではいったいどんな作品がおもしろく、どんな創作が真に現代舞踊だと呼べる価値を有するものなのだろうか。それは理屈ではなく、クラシックと違いテクニックだけの世界ではないのだから、なかなか一口に置き換えることは難しい。ただ作品自体がいやおうなしに、日々“生きている”ことを実感させ、観客のひとりひとりにその人なりの“こんにち”を呼びおこしてくれる舞台だといえば当たっているだろうか。作品が提示する主題や中身、振付・演出のトータルが、身体を中枢に、ビビッドな反応として跳ね返ってくるなにかを備えていなければならない。
 その“さまざまな形をしたいま”が、ほとんどどの作品にも備わっていたのは、今度の公演にみる大きな収穫だった。個々の作品について触れる余裕なないが、全21作品中、あえてベスト3を選ぶとすれば、総合点でハンダ イズミの「Blue Bird」、古賀豊「Je sais … Lumiere」、そして内田香の「flowers」ということになろうか。いずれもイマジネーションが豊富であり、振付の質、主題の点で、“こんにち”と向かい合った、真に今日的なダンス芸術と呼べる優れた秀作だった。その他の作品も、つい数年前までは単に若いだけでお行儀のいい、各流派を代表するエリートで数を合わせた、ヴィジョンのない形式美の羅列だったのに比べると、ウソのようにテンションが高かった。
 そして観終わってハッと気がついたこと。それはこれら2日間のわたる出演者の顔触れが、もはや従来の「新鋭・中堅舞踊家」などではなく、いつしかこの国の現代舞踊を代表する精鋭たち、ピックアップされた最前線の集団にほかならないという一事だった。ここでも気付かぬままにいつしか世代交代が完了していたのである。日本全国の各地には、まだ中央にこそお目見えしないが、それなりに十分な実力を備えるコンテンポラリー・ダンスの旗手たちが、あちこち待機しているにちがいないという希望さえ持たせた。
 ただそれを引き立ておぜん立てするのが、制作本体としての協会の力である。3000人近い会員を擁し、60年の歴史を誇るCDAJの組織に、それが出来ない筈はない。 幸い新しいタイトルと、一新したスタッフで事にあたったプロデュースが、今回のような成果を呼んだ。喜ばしい流れだ。“ダンスをするひと支えるひと、そのまた楽屋を担う人”。人も作品も、受け皿と環境いかんでどんどん変化していく。「時代を創る」というシリーズの標題が、単なるもポーズでもブラフでもないことを、ようやく納得させられる今回の公演だった。(1日。2日所感)