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五反田にある東京デザインセンター。ふだんは美術品展示や造型制作の現場として使われている巨大なアトリエだが、このガレリアホールで北村真実が3作目の作品を発表した。もともとパフォーミング用に創られた空間ではないので、客席の位置もまったくフリーにセットされる。今回はそれを1か所でなく、一面を占める大きな壁を斜めから見上げる位置に、左右に2分して設置した。
作品は全体をワンコースのディッシュになぞらえ、前菜、メイン、デザートの順に10景のタブロー(絵画)が展開する。踊るのは、古賀豊、二見一幸、ラビオリ土屋、石巻由美、関口淳子ら、おなじみマミ一1族の達者な13人の顔触れ。本人のソロを含め、かれらを様々な組み合わせで振り付けた。13という数字は、まずイメージとしてダヴィンチの名画『最後の晩餐』の登場物を連想させる。そして事実その聖餐画を、オープニングとクロージングの景として、陳列オーダーの両サイドにおいた。ホール全体のホワイト・グレー色をバックに、それぞれタキシード、パンタロン、スーツ、ストッキングなど、白・黒だけに絞った現代服で登場。カット・インの照明で始まる一瞬の静止画と、そこから拡がる全員の群舞によって、まずはシャープにお客の眼を楽します。 しかし続くアントレに入ってのメイン・ディッシュは、オランダの画家ピエト・モンドリアンの抽象画だった。赤、黄、青の原色に、黒の格子枠が交叉する、このデ・スティル派特有のキャンバスを直覚的に捉え、それを心地よいダンスの動きへと転換したものだ。ラフに換言すると、スクエア・ダンスに行きつきかねない直線ラインの積み重ねだが、それをシアン・マゼンダ・イエローの3原色に分けたボディのすばやい移動によって、アプ・テンポの心地よいパフォーマンスに再生してみせる。色彩とリズムを生かした北村ならではの力作だった。 色彩と言えば女性5人で踊る「野草の庭」もたのしい。一転してソフトなタッチが売りの一篇だが、ピンク、イエロー、オレンジ、ブラウン、ブルーと、ほんわかとモヘヤのような甘い衣装の女性ダンサー5人が、まるで妖精の浮遊を思わせる軽みでフロアいっぱいに円舞する。起用したミニマル調の音楽(作曲:中町俊自)のトーンもあろうが、ここでは珍しい振付者のソフトな一面をみた思いだった。 その他13色の食材による料理の味はさまざまだ。ラビオリ土屋と新白石によるゲーム感覚の一品「セピアの自画像」。小道具の椅子がどこまでセルフ・ポートレートになっていたかは問わないが、いつもながらユーモアと笑いのインターメツォとしての役割を果たす。他に男性トリオ(二見、古賀、倉持)による、タイトルそのままの「ぶつかる色」同士のダンス、筆さばきの妙を身体の変容でみせたような北村のソロ「白から一筆」。「大理石に描く」にみる女性2人(関口淳子・石巻由美)の熱演、そしてアントレのフィニッシュ「2009」は、古賀豊×北村真実が闘わす渾身の男女対決のドゥオ。すべてはダンス好きにはたまらない味覚の連続だ。今この国のトップ・レベルを走るダンサーたちの競演、その生きた魅力の実体をたっぷり味あわせてくれた充実の70分だった。 昨今コンテンポラリーの名称で一括呼称される日本の芸術ダンスは、数でいう限り列島からこぼれ落ちるほどの盛況である。同時にそのコンテンツも色とりどり、演劇系から音楽ベース、インターネットや技術の先端を駆使したもの、あるいは文学や民族色にこだわるものと、その中身も千差万別、文字通りピンからキリまでお目にかかれる毎日だ。しかしいやしくもダンスと名乗る以上、それら作品群はどこまでもダンスが中軸でなければならない。当たり前のことと言うなかれ。実際にこのたった一つの条件がしっかり守られていて、その意味で合格点にとどく作品は、現実にはほんの数えるほどしか現れないのだ。 そんななかで北村真実の手がける作品は、いつもファンを楽しませながら、それが同時に一線級の技術にきびしく裏付けられている点が立派といえる。色・音・形に対する鋭い感性と、それを駆使した自分自身のスタイルを身につけている貴重なアーティストのひとりだ。ここ数年ダンスに対するするどい視線はますます研ぎ澄まされ、初期に見られたもってまわった観念や文学性、あるいはアングラ系のひねった演劇性は、いつしかすっかり影をひそめた。そしていまは身体だけをまるごと信じて、その純粋でたのしい本来の造型に余念がないといったところか。 しかし作品は1本1本が真剣勝負。神ならぬ人間にとって、100%の完成はありえない。ここ何年か北村お気に入りのガレリアホールにしても、まだまだ完全に使い切っているとは言い難い。ふところの奥を走るブリッジは、今回なぜ使われないで放置したのか。放置に意味があったのか。あるいは客席の位置を広げたいための配慮だったのか。またRの壁に投射された「最後の晩餐」のヴィジュアルは、観客席の大部分からは斜角で見えづらかっただけでなく、このダンス作品から、カタチ以上の何らかの意味合いを持たせようとしたキー・ワード、ででもあったのか。何らかのメタフォリックな演出が込められているのか、等々。もっともそういう謎をわざとちらつかせ、考えさせること自体が創る側のトリックだったとするなら、また何をか言わんだが…。 ひとつだけ書かせてもらうと、今回の公演のタイトルである「TABLEAU」は、昨年の「TABLEAU‘08」といかにもよく似ていて紛らわしかった。“タブロォー”という概念を論じるのではなく、いくつもの具体の絵を並べて見せる内容なのだから、正確には「TABLEAUX」と、語尾に1語を加えて複数扱いにすべきだった。サウンドは同じでも、そうすれば前回とは別の作品であることを識別させて、そのほうが少しでもよかったと思う。(23日ソワレ所見) |
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