“歴史的事業”の名に恥じぬ近来の快挙
宮操子 三回忌メモリアル「江口・宮アーカイヴ 」ダンス公演
14日(土)~15日(日)3ステージ 日暮里サニーホール
着想と実現への歩み出しから 1 年有余。しかも途中に東日本大震災という予期せぬ障害に見舞われながら、よく初志を貫徹してここまでスケールと密度の高い、見事な成果にこぎつけた。関係者一同の忍耐と成果に、冒頭まず心からの敬意を表したい。この国の現代舞踊の真価と奥行きの深さを遺憾なく示した公演だったからだ。
昨年の1月やはりこのサニーホールの舞台で行われた同旨のダンス公演に、〔江口隆哉・河上鈴子メモリアル〕がある。この時は江口・河上両賞に縁のあったダンサーたちを一堂に集め、それぞれの作品を披露してもらう舞台であったが、今回は故・江口隆哉・宮操子の直々の創作を再現してみせようという企画である。それだけでも難業だが、さらにその間に作品に因んだ映像、エピソード、体験者の証言、資料など、さまざまな着想と準備が生きて、全体が見事に文化行事にまでスケール・アップされる内容となった。
先ず冒頭に紹介されるダンスは、江口隆哉の「日本の太鼓」。東北の芸能である〔 シシ 踊り〕が素材。笛と打音のオーケストラにまとめた伊福部昭の音楽に乗って、天を衝く角細工、太鼓を抱えた袴仕立て(衣装考案:河野国夫)の群舞8名が4章に分けて踊る。親鹿(大神田正美)と女鹿(坂本秀子)をコアに、“八つの鹿の踊り”“女鹿かくしの踊り”など、荘厳で華麗な舞の30分。短編だがモダンダンスの古典といった、品格と味わいがじわじわと伝わってくる。
1951年が初演だが、たまたまこのときは大作「プロメテの火」と同時公演だったおかげか、その影にかくれてあまり大きな話題にはならなかったようだ。しかし今見ているとここには江口がドイツから持ち帰った“動きの合唱(Bewegungschor)”の原型がみごとに生かされていて、それを日本の伝統素材へ 巧みに マッチさせた絶品だということがよくわかる。 これが今日〔群舞〕とよばれている形式の、いわば骨組み的サンプルなのである。キャスティングこそ違え、 1978 年の追悼公演で観たときと、まったく同じ強い感動が伝わってきたのは、理念の上に組み立てられたそのメソードの動かぬ証左だと言っていい。
その理念をいっきょに多幕形式の野心的な大作にあてて完成させたのが、今回の公演プログラムのフィナーレでみせた江口ダンスの代表作「プロメテの火」である。片手にたいまつを掲げた江口プロメテの勇姿や、全5景にかかわる舞台のスナップは、今は広く一般にも知られているものの、反面帝国劇場での初演、翌年日比谷公会堂での芸術祭を、生の動きで知る人は逆にグーンと少なくなった。今回は第3景の“火の歓喜”だけだったが、かって 200 名に近い出演者を動員した、国立競技場での〔 7 万人の夕涼み〕は特例としても、核心である群舞の理念は細心に生かされ、その迫力は観ている方に痛いほど伝わってきた。