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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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NBAバレエ団が所有するユニークで貴重な財産
ロプホフの「ダンスシンフォニー」:第8回トゥールビヨン公演 18日(土)18:30/19日(日)15:00 芝 メルパルクホール東京

日下 四郎 2011年6月27日

しかし今回筆者がこの1本を、特に“貴重な財産”としてキャプションに謳ったわけは、決して優秀賞を得た実績からではなく、この作品がもつ歴史的であると同時に、芸術上にもまた、実に興味津々たるいわくつきの事情を秘めた珍しい芸術史上の1本であることを、恥ずかしながら今回ようやく確認するに至ったからだ。ベートーヴェンの第4交響曲で踊られるこの4章の抽象バレエは、ロシア・アヴァンギャルド藝術の、バレエ部門に生まれたたった一つの貴重な遺作だといってもいい。

演劇のアヴァンギャルド、建築のアヴァンギャルド、美術のアヴァンギャルドなど、ドイツに端を発する表現主義から出て、1910年以後次第にロシアの全藝術領域に広まった前衛運動は、その後ロシア革命を経たあとも、当分はなおその活動になお衰えぬ意気盛んなものがあった。ご存知のようにタトリン(建築)、マレーヴィッチ(絵画)、マヤコフスキー(文学)など、ロシアの近代藝術の分野で頭角をあらわした優れたアーティストの数は、決して少なくない。しかし不思議なことにそこから舞踊アヴァンギャルドという名称はついに生まれなかった。それはなぜか。

1917年以後、革命に続く各地での激しい闘争を経ながら、次第に体制強化と思想統一を果たしていったソヴィエト政府は、いつしか藝術思想界でも、俗にGATOBと呼ばれる独自の芸術アカデミーを制定した。そしてこれが行く行くは、次第に前衛的芸術分野にたずさわる優れたアーティストたちから、その自由な発想や創造活動を強引に奪い去って行くのである。そもそもソヴィエト体制下のイデオロギーに従えば、バレエは社会主義リアリズムに沿った演劇、つまりGATOBが認可するオペラやドラマの中で、単なるつなぎと説明のための一項目でしかなく、とうてい独立した創造的ジャンルとしては存立することを許されなかったのである。

1922年に作られた今回の「ダンスシンフォニー」が、なぜただ1回の上演で打ち切られたのか。プラウダ紙に載ったロプコフのこの野心作への批評が、これを反革命で無思想なフォルマリズムの産物だと断じたからに他ならない。政府や官僚にアヴァンギャルド・バレエの何たるかは、およそ理解の範疇を超えていた。容赦ないスターリンの思想統制下で、自由な発想の優れた芸術家が活動を続けていくことは如何に難しいか。それはショスタコーヴィッチの作曲家としての生涯と受難の交響曲の例を見てもよくわかる。演劇ではビオメハニカ(舞踊に近似した身体運動を重視する)を主唱したメイエルホリドが、短い栄誉期間の後、一転して1940年には処刑されてしまう悲劇まで起こったのである。幸か不幸かこの間ロプホフは、適宜無難な古典バレエのあれこれを社会主義リアリズムに沿って組み立てながら、結局はGATOBの優良なソビエト芸術家としてのキャリアを全うすることになる。

さて歴史の回顧は別として、今回40分にわたるロプホフの抽象バレエは観ていて実におもしろかった。それも日本人の感性で形容すれば、身のこなしがちょっと盆踊りか泥鰌掬いにさえ似ている。四方の床に団子のように匍匐するダンサーを配置したり、斜めに走る一直線のコール・ド・バレエで、男女を入れ子形式に交錯させる群舞風景など。それらがホリゾントに投影された構成主義タッチの背景の前で、古典バレエとはかなり別種の一風変わった振付で踊る。ここには確かにアクロバットやサーカス、そして当時前衛演劇のバイブルとされたビオメハニカのメソードが、意識して取り込まれている。ちょっとラフで荒々しいモダン・ダンスの一風景だといっても、今では誰もあやしまないほどだ。

このように前後の経緯や歴史的背景を知ると、この作品はにわかに膨れ上がって予期せぬ意味合いと興味を投げつけてくる。それを80年後に日本のNBAが率先して取り上げて、はからずも世界で2回目の上演を果たしたというのだから、これがまず快挙だ。しかもこのロシアの前衛バレエは、後世飛び火してバレエ・リュッスのL・マシーンが手がけた交響詩、あるいはアメリカ時代のG・バランシーンの抽象バレエへの、期せずして先導の役割を果たしているとも言われる。したがってこの1本、例えば掘り出しの稀覯本にも似て、しかもアクチュアルな振付のサンプルとしても参考になる点、いよいよカンパニー・レパートリーの中の、貴重な1本としてその重みを増しているように、筆者には思われるのである。(18日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。