ニッポンを素材にした D・ビントレーの新制作「パゴダの王子」 11月3日 新国立劇場
そこへ今回ビントレー新制作「パゴダの皇子」の登場となる。といってもやはりイギリス産の古典バレエに違いはないのだが、しかしよくみるとここにはかえっておもしろい可能性の潜んでいることがわかる。それはこの素材がとくに西欧に限定されず、むしろアジア的な匂いさえする架空の国の物語であり、それゆえ味付けや加工が自在で、逆に外国人がアプローチする日本像という得がたい側面が浮かび上がってくることが考えられるからだ(NBSが制作したベジャールの「忠臣蔵」、ノイマイヤーの「月に寄せる七つの俳句」などは、その近例といえるかも)。ビントレーはそこで原作のヒロインであるローズ姫をあえてさくら姫と改称し、トカゲに変身した兄や異形のパゴダ国を振付けてみせるなど、持ち前の擬人化した動物をふんだんに駆使しながら、日本をテーマとしたバレエ・ファンタジーの世界を独自に演出しようと乗り出したのだ。
物語はこうだ。菊の国の宮廷での宴会が開かれ、その席でさくら姫は継母の王妃から近隣の4人の王たちのいずれかを選んで嫁ぐことを強要される。困りはてているところへ、突然闖入したトカゲが姫をサラってパゴダの国へ逃げだす。2幕はそこに住む妖怪やタツノオトシゴ、また炎や泡の渦巻く異境の世界。ところがここで誘拐した怪獣が実は魔法にかけれられた実の兄であることがわかり、2人は力を合わせてもう一度菊の国に舞い戻って平和を取り戻すという、いかにも古典らしいお伽ふうの冒険譚になっている。
この演出意図に沿って今回もっとも貢献したのは、美術を担当したレイ・スミスの才能だろう。装置・衣装のすべてを浮世絵とビアズレーのセンスで統一し、正面には大きな太陽と富士山の絵。巨大な桜の花弁やハイビスカスでプロセニアムを飾り、何枚ものドロップがホリゾントに波や炎や天空を劇的につぎつぎと表示してみせる大胆な視覚の妙は、決してキッチュとはいえず、反対にある種の荘厳ささえ感じさせるジャポニズムの一例だ。そんな中をストーリーは夢と冒険のファンタジー劇ゆえに、2幕まではなにも気にせずひたすらビントレー専有の動物カラーの世界を楽しむことが出来る。
ところが3幕で大団円になってからの最後がいけない。めでたしめでたしでいったん幕が下りたあと、クラシックに付きもののあのディヴェルティスマンの景が組まれており、ここでバリ島の女たちが踊ったり(ブリッテンはここでケチャを採譜している)、お化けの国パゴダ人のショー、さらにそれといっしょに日本の百姓たちが、ワイワイと野宴を楽しむお花見ダンスが披露される。手に1升ビンを抱えながら、いっせいに横列のままデングリ返しを見せたりする振付だ。これには参った。とたんにすべてがポンチ絵に一変してしまう。どこかで見聞きした形だけの、そこにメンタリティは一切ノータッチの日本人の猿踊り。檻の中の動物だ。日本人なら白けてしまう。その昔どこかでみた、ギルバート・サリヴァンの軽オペラ「ミカド」を思い出した。「パゴダの王子」も同じイギリス人ビントレーの戯作。このまま幻の迷作として、前者と同じような評価と運命をたどらなければいいが、などいささか余計な心配までしてしまった。(3日所見)
芸術文化論・ダンス批評・演出
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。