平山素子 ダンス作品集「 Ag +G」「 Buttefly 」「兵士の物語」ほか3作
Dance to the Future 2012:新国立劇場バレエ×平山素子が生み落とした新しいダンス
4月21・22日 新国立劇場中劇場
現行日本の現代舞踊界で、間違いなくトップの座を行くダンサーのひとり、平山素子をフィーチャーした新国立劇場のラインナップ公演Dance to the Future2012である。作品は3本あり、まずトップは笠松泰洋が2台のヴァイオリン用に作曲した「 Ag +G」を用いての新作群舞。つぎにデビュー以来いわば平山のアイデンティティの原型ともいえる「 Buttefly 」を、本人以外の身体に写しての再演。最後は2年前に同じこの中ホールの舞台で初演した、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」の新演出によるバージョンである。
今回のこの企画にみられる大きな狙いは、ダンサーである平山自身はプレーヤーとして一切オモテに出ず、最後まで振付・演出サイドに徹して公演を成功させること。さらにそれらの作品のすべてを、徹底して新国立劇場所属のバレエ・ダンサーに踊らせるという大冒険だ。すなわちここにはアーティスト本人が試みた、これまでのキャリアをさらに一歩進めて、新しい領域に立ち向かおうとする情熱と、それを通して劇場在籍のダンサーたちの表現力を高め、願わくばバレエとコンテンポラリーを止揚した新しいダンスの魅力を具現化したいとする、製作者としての劇場サイドからの未来志向が、そこには重なり合って込められていると筆者は見た。
さてその成果はどうだったか?それを検証する前に、いま述べた“未来を思考するダンス(Dance to the Future)”の意味を、いま少し念入りに考えてみたい。周知のように日本という国に、いわゆる洋舞が輸入されたのは、今からほぼ100年前の20世紀初頭であり、これはかの帝国劇場レパートリーの開幕と、ほぼ期を一にしている。その後に辿った外来文化としての芸術ダンスの流れは、いささか複雑でここでは語りつくせないので省くが、結果的にはバレエと現代舞踊の2つのジャンルが、洋舞系の身体表現芸術として今日へと続いている。それが今この国における藝術ダンスの現状だと考えていい。
そこで今日の主役の平山素子だが、彼女は一般には才能あるフレッシュな現代舞踊の代表選手として位置づけられている。だがこれまでの作品を通して見るとき、他のコンテンポラリー・ダンサーと違って、その身体の多彩な動きの向こうには、確としたバレエ・テクニックの基本が、中核の座を占めていることがわかる(彼女は5歳からクラシック・レッスンを始めた)。だが実際に舞台での表現となると、これは実に複雑で込み入っている。あえて言葉に置き換えるなら、シャープにして繊細、強靭にしてしなやか。激しい情熱と鋭いエッジで一瞬肉体を切り取ったかとおもうと、次の瞬間には気球のように空中に浮遊していて、それがするりと観客の目の前に降り立つという調子だ。ちょっと見にはどうしても、一般の観客が考えるバレエのイメージからは程遠いテクニックの連続である。
そう。彼女が目指す一点は、要は「思考とダンサーたちの肉体が融合し、摩訶不思議な21世紀の想像エネルギーが誕生する瞬間」(プログラム・ノート)にある。幼少からテクニックとしてのバレエ・メソードのすべてを習得し、その訓練を通して厳しく筋肉を鍛え上げたあとは、パターン化された既得の動きをさらに細分化するか、またははげしく壊して新しい形へと昇華させること。それが目標のすべてらしい。多くの優れたクラシック劇場のダンサーのように、ただテキストに用意された登場人物の一キャラクターを、ひたすら優雅に演じて万事足れりとするほど、その神経はラフには出来上がっていないのだ。
その点このバレエの卵が、成人期になって筑波大学に進学、そこの体育研究科に在籍したことは、一つの運命的な学習の過程だったと言えるかもしれない。なぜならここで彼女はフリー・ダンスの先達、若松美黄に就いて学ぶという、極めてラッキーなチャンスにめぐまれたからだ。そもそも現代舞踊と呼ばれるダンス藝術の奥には、テクニックのほかに思想と名づけてよい領域が存在する。そのことを彼女がしかと認識し、おのれの重要な表現者としての目標に取り入れたのは、おそらくこの時期のことだったと筆者には推測される。もちろん生まれついてのするどい感受性は別にしてもだ。
体育学修士の資格を収得した後は、さらに進んでプロとしてのこの世界へ足を踏み入れるとともに、H・アールカオス(主宰:大島早紀子)のユニークな活動に共鳴、すすんでレギュラーメンバーとして飛込み、そのヴィヴィッドでスピリチュアルな数多くの舞台を経験する。北米ツアーや上海バレエコンペティションからの招聘に応じたのもこの頃だ。さらにその先求めて文化庁から在外研修の資格を取得するとともに、ベルギーのULTIMA VEZで刺激的なテクニックの先端を学んだ。貪欲そのものの日々である。そして厳しくターゲットを選り絞っての、これら開拓のためのエネルギーの行使は、すべておのれ自身に向けられた中断のない自意識の確認と、その産物に他ならなかったと思われる。