第14回ダンスがみたい !
die Pratzeの閉館と石井かほる作「路上」にみる知の冒険
7月17~26日 神楽坂die pratze
開幕10分前、この日いそいで受付の通路から劇場に入った筆者が、まずアッと小さな驚きの声を発したのは、ステージいっぱいを覆って、目の前にうずたかく積まれたダンボール箱の山だった。これまで下手寄りに細い一本の柱があり、四面を黒い布で覆われたこのdie Pratzenoのステージには、この種のセットはまれで、のっけからこんな風景を見せられるのはほとんど初めての経験だった(美術:三輪美奈子)。やがて時間で客電が落ちると、一隅から毛糸アミの帽子をかぶり、腰の曲がった浮浪者風の老女が、おぼつかない動きでゆっくりと姿を現す。石井かほるだ。かつてジゼルを踊ったこともある天下の美女が、こんな格好でステージに登場することもまた珍しい。
老婆は路上や箱のスキマから、何やら残飯や吸殻のようなものを拾って歩く。そしてそのぶきっちょなモノ探しが、誤ってダンボールの一角に触れた瞬間に、一面の山はたちまち瓦礫のようにくずれ、その向こうからいつものスクエアな空間が、はじめて姿をあらわす仕組みだ。散らばった無数の箱は道路の工夫たちの手によって整理されるが、その際そこに残ったおきな箱の中から、ひとりの青年がギターを片手に飛び出してくる。ここまでのシーンは、昨今の≪現実と社会≫をメタファーとして再現したものである。そしてこの転換から、舞台は明らかに次なるディメンジョンへと移行する。
二人がお互いの存在に気づき、その若者(ミュージシャン:小池龍平)が奏でるギターの弾語りと、さらに彼が読み始めるエピグラムのようなフレーズに応えて、ダンサー石井はさまざまなボディの反応でそれに応える。いわばある種のカテキズム(教理問答)のような形で、≪音楽と哲学≫の章がここから展開するのだ。「地球」とか「人生」といった言葉が何回か繰り返される。この前後には創作にあたってヒントを得たという谷川俊太郎やケルアックの小説が、テキストに適宜引用されているらしいのだが、しかし楽士の発する言葉は、必ずしも全部を明瞭には聞き取れない。だがそれはそれでいいのだと思う。この作品「路上」は、原本のインタープリテーションではなく、この空間が伝えている総和がそのまま、石井かほるのオリジナルとしてのダンス作品に他ならないのだから。
こうして移行する最後の場は≪夢と生命≫にかかわる未来の次元である。かほるの身体は、その後も中央でボディの反転や伸縮を重ね、いわば迷いとためらいの心境を往来するが、最後には般若の面を捨て、真っ赤な花をつけた一本の草木を抱いて、ようやくもう一度生きる力を取り戻す。「とにかく行ってみなきゃ始まらないわ」。そして彼女は客席のみんなにも呼びかける。「実際に自分の目でみてみたら、ひょっとしてそれは本当に美しいかもよ」と。そして手をとっておおぜいの観客たちをステージに呼び込み、共に〔オーバー・ザ・レインボー〕の歌詞を唱和しながら、輪を作って生への試みのダンスを踊り続けるのだ。絶望せず未来へ踏み込もうとする希望のフィナーレである。
「路上」と名づけられたこの作品は、時代へのアクチュアルな疑問と問いかけを、たくみに身体表現へと昇華させた、いかにも石井らしい、この列島では珍しい“知のダンス”である。これまでのdie Pratzeのステージには、ほとんど乗ったことのない肌触りの創作だと言えるだろう。因みにこの翌日に組まれたこの劇場最終のプログラムは、90年生まれの最新ダンサー川村美紀子の「すてきなひとりぽっち」だった。今年の「新人シリーズ」で入選し、ピックアップされたどこまでいっても感覚に依存した作品。ごった煮の未整理の中に、たしかに鋭い個性と可能性がうかがわれ、いかにもdie Pratzeらしい一本の前衛作品だったいっていい。
この2本をクロージングに役割を終えるdie Pratzeのフィナーレは、一見有終の美といいたいところだが、そこにはむしろ別の意味でのある危惧を感じている。ひょっとして現代舞踊の貴重な実験の場が、これを機にその一角をバッサリむしりとられる思いだ。その一方〔劇場法〕などで、立派な設備と集団だけが、立派な条例の下に見事にパスして行った結果、一見ドロドロした、しかし確実に観るものを駆り立てる潜在的な可能性を、何パーセントでも見捨てられることになっては、これは日本の芸術ダンスにとってマイナス以外の何ものでもない。ともあれ、さしあたっては8月からd-倉庫へ移動する、今なお進行中の「ダンスがみたい!」、さらなる活況とおもしろいダンスが、ひとつでも多く観られることを祈るばかりだ。(「ダンスがみたい」7月分のプログラムから)
芸術文化論・ダンス批評・演出
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。