ことしは大作曲家バッハの没後250年、それも命日が7月28日なので、このごろはバッハをとりあげた催しも少なくないようです。
バッハの音楽は通常演奏されるクラシック音楽のなかでは最も古いうちに入るのに、全然古くなりません。コンサートやCDだけでなくCMでもアピールしています。いま、テレビではトヨタの車のCMで調子のよいサックスの音楽が聞こえていますが、バッハのチェロの曲がまるでCMのために作られたように思えてしまいます。
まだ少年時代、SPレコードで「トッカータとフーガ」に圧倒されたり、カザルスが演奏する「無伴奏チェロ・ソナタ」に耳を澄ましたりしたものです。当時、多くの音楽ファンにとってバッハは神様のような存在でした。LPレコード時代になってバッハの膨大な曲の多種多様な演奏が続々と紹介されるようになり、バッハの俗人としての面 を知るに及んで、彼もだいぶ親しい人物になりました。そして、東京文化会館が開場して日本の音楽シーンの中心になって間もなく、たしか昭和37年のことです。ドイツ・バッハ・ゾリステンというバロック音楽を演奏する団体が初来日して、東京文化会館の小ホールで日本でたった一回の演奏会を開きました。このオール・バッハ・プロは目からウロコというものでした。全員がいかにも楽しそうに演奏し、音楽がいま出来たばかりのように生き生きと聞こえたのです。遠い存在だったバッハが、そこにいるような感じで、すごく嬉しかったのを覚えています。以来、バッハの長短硬軟、多種多様な音楽を、かまえることなく楽しめるようになったのです。
さて、今世紀も後半になると、バレエ世界ではわざわざバレエ音楽を作曲せず、既成の曲を用いてバレエを作ることが多くなりました。そしてバッハの音楽も少なからずバレエ化されています。例をあげて見ましょう。
バランシン振付『コンチェルト・バロッコ』は「二つのバイオリンのための協奏曲」を用い、音楽を巧妙に視覚化した抽象的作品でした。ノイマイヤーの『マタイ受難曲』は、同名の長大な受難曲の歌詞に忠実に従い、キリストの最後の一週間を描く物語バレエでした。キリスト伝を聴きながら観る。宗教心のない僕をも感動させる力がありました。ベジャールは大曲「ロ短調ミサ曲」を用いましたが、ミサの典礼から離れ、ゲーテの「ファウスト」を自分流に作り直した『われわれのファウスト』を見せました。そしてフォーサイスは『ステップテクスト』で、厳格な変奏曲形式による「シャコンヌ」を切り刻んで断片にし、いわゆる脱構築のバレエを作って現代の危機感を表現しました。この4つだけを見ても、バッハが多様な使いかたをされ、それに耐えて多くの人々にアピールしているのに感心します。
そして、バッハ250年祭のことし、日本でのバッハ・ダンスは?残念ながら多くはないようです。8月25日、新国立劇場で日本バレエ協会の「全国合同バレエ」の初日に笹本公江振付の『コンセルト・ロワイヤル』が上演されるはずです。かつて、全国のバレエ人たちが毎春のように一堂に会する「NHKバレエの夕べ」という催しがありました。昭和58年、最終回となったこの催しの幕あきの作品として、このバレエが創作されたのです。音楽はバッハの「オーボエとバイオリンのための協奏曲」でした。実はこの曲は、かつてドイツ・バッハ・ゾリステンの初来日時に演奏された曲です。その曲と演奏に魅了された僕は、いつかこの曲をバレエで見たいと思っていたのです。僕がNHKにいた時に担当していたこの催しも最終回ということで、この曲のバレエ化を提案し実現したのがこのバレエです。常日頃、シンフォニック・バレエに成果 をあげていた笹本公江さんに振付を委嘱してすばらしい作品が出来上がりました。そして、このバレエは日本バレエ協会でも上演されるようになったのです。もう一つ、9月26日に、メルパルクホールで現代舞踊協会の会長の石井みどりさんの舞踊生活70年の記念公演があります。ここで彼女の若いころの作品『ブランデンブルグ・コンチェルト』が再演されます。これはモダンダンスですが、すでに古典的風格さえ獲得している傑作です。これも必見。まだバッハ・ダンスがあるかも知れません、皆さんもリサーチして見てください。