藤井 修治 | ||
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2001年5月2日 | ||
音楽には楽譜がありますのでだいぶ昔の音楽でも正確に再現できます。100年前のマーラーはもちろん、200年前のベートーベンも、300年前のバッハですら作曲当時と一音符も変えずに演奏できます。近年は研究が進んで作曲当時の古楽器の演奏も可能になったりして古い音楽も親しいものになっています。さらに中世のグレゴリオ聖歌も教会で温存されていて、宗教を越えて人々を慰めています。古いレコードを復刻したCDで100年近く前の巨匠の弾くバイオリンの演奏を聴きながら眠りにつくなどはありがたいことです。 いっぽう古い舞踊はどうでしょう。舞踊は動くものです。上演されなくなれば消えてしまいます。フィルムやビデオが出来る前の舞踊は写 真で、写真がない時代のものは絵から想像するだけです。写真や絵画という静止画像だけでは、ポーズはわかっても動きはわかりません。でも消えてしまった幻のバレエを見れたらいいと思うのはバレエファンなら当然でしょう。失われた幻のバレエを再現する試みは古くから行われていますが、次第に精密さを加えています。 現存する最も古いバレエといわれる「ラ・フィユ・マル・ガルデ」は、18世紀末、フランス革命のころ初演されたものです。しかし、現在上演されているものはずっとあとになって作られたもので、物語は昔のままですが、音楽や振付は後世のものです。ロイヤル・バレエや牧阿佐美バレエ団の「リーズの結婚」はイギリスで作られており、谷桃子バレエ団の「リゼット」はロシア系ですが、いずれも最古のバレエの楽しさを伝えてくれます。 19世紀前半のフランスのロマンティック・バレエは、いくつかの名作が残っていますが、多くは初演当時の姿とは違います。「ジゼル」や「海賊」はロシアで完成されて今日に伝えられたものですが、初演時とは相当違っているようです。有名な「パ・ド・カトル」もこの時代のバレエです。この歴史的名作も早くに失われてしまっていたのです。ところが初演から100年近くたってディアギレフ時代に活躍したアントン・ドーリンが再演したのです。音楽のほうは楽譜が残っていたのが幸いでした。ところが、バレエのほうは数枚の版画や当時の解説や批評などしかありません。ドーリンは想像力を駆使して、ロマンティック・バレエの技術や雰囲気まで伝えようとしました。4人のバレリーナがポーズした絵は、新作「パ・ド・カトル」の始めと終わりの静止ポーズに用いられています。そしてドーリン版は現在でも4人の大バレリーナが競演したり、発表会で豆バレリーナたちがかわいく踊ったりして、まさに時代を偲ばせます。 近代に作られたバレエも上演されなければ失われてしまいます。20世紀初頭、数回だけ上演されて消えてしまったストラヴィンスキー作曲、ニジンスキー振付の「春の祭典」は、20世紀も終わりに近くなって、記録や記憶をまとめて再現されました。われわれはずっとあとになって振り付けされたベジャールの現代的な「春の祭典」に親しんでいたのですが、近年になってようやくパリ・オペラ座が古いニジンスキー版を復元上演したのを見ることができたのです。初演当時に人々を驚かした衝撃的な振付が、いまではけっこう古めかしく、ノスタルジックだったので、時の流れを痛感しました。古いもの新しいもの両方見れば、いろんなことがわかって来て面 白いし、勉強にもなるのですね。 バレエ史上最も豪華なバレエといわれる「眠れる森の美女」は帝政ロシア時代、巨匠プティパの振付でマリインスキー劇場で初演されています。この劇場は以来この名作の総本山として上演をつづけていますが、時に応じて改訂を加えています。初演時の舞台は写 真やデザイン画が残されていますが、実際の踊りはどうだったのでしょう。ついおととしのこと、この劇場のスターヴィハレフらの努力で、初演当時の舞台が、複雑な舞踊譜を解読したりして復元されたのです。そしてこの舞台は昨年12月に日本にも紹介されました。 日本にもたびたび来日しているマリインスキー劇場のキーロフ・バレエは1969年の来日公演で1952年に初演されたコンスタンチン・セルゲーエフの改訂振付による「眠れる森の美女」を日本初演しています。僕はこのころNHKの若手ディレクターでした。2年前のキーロフの来日公演でマカロワ主演の「白鳥の湖」を収録放送したのをセルゲーエフが感心してくれて、今回は「眠れる森の美女」を収録することになったのです。セルゲーエフは収録当日にベストキャストを組んでくれました。オーロラと王子はコルパコワとセミョーノフ夫妻というベテラン組。リラの精はフェジチェワ、そして青い鳥のパ・ド・ドゥは西側に亡命する直前のマカロワと間もなく自殺(他殺?)することになるソロビヨフ組など伝説的なスターが並びました。流麗で様式的な振付・演出は美の極みというものでしたし、スターたちも本当に優雅に踊っていました。 特に装置衣裳がとにかくすてき。プロローグはブルーと金色の美しい対比、第1幕はピンクが主調、第2幕の森の中は茶系、そして、終幕の結婚式は白一色という洗練の極致を見せていました。この版は以来長い間にわたり日本でも上演されていますが、美術は次第にカラフルになって来ています。多くの人々にアピールしようということでしょうか。新国立劇場でもこの版を採用していますが、これも華やかな美術です。 そして昨年12月、復元されたプティパの原典が紹介されたのですが、美術はものすごい派手でした。唐突な原色の組み合わせなど、いささかびっくり。当時は電気がなくて舞台が暗かったので派手な色彩 が必要だったのでしょうか。でも絵本をめくるような楽しさがありました。残された舞踊譜や資料、聞き込みをもとに再現した原振付・演出はマイムの比重が多少大きいとかはあっても、現行の振付とあまり変わらないのにほっとしましたが拍子抜けの感もありました。プティパのオリジナル100パーセントは伝えられてはいないでしょうが、上演が続けられているおかげで後世の版も大きな差がないことを知って安心できます。名作というものは失われてしまえば博物館の倉庫で眠っている美術品のようなものです。時代に合わせて少しずつ改訂して洗練を加えて行くことも必要だと思います。その点で50年間多くの人々を喜ばせてきたセルゲーエフ版も、19世紀末のプティパの原典版も両方とも、迫力十分でした。 何事につけ、原典を知っていれば、伝統を守りながら改訂したもののよさ、そして過激な革命的ヴァージョンのよさも楽しめるのではないでしょうか。 |
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