藤井 修治 | ||
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2001年5月15日 | ||
前回はバレエの復元について書きましたが、「眠れる森の美女」や「春の祭典」だけではなく、他にもロマンティック・バレエの名作や近代のディアギレフ時代のバレエなど復元して欲しいものがけっこうあります。しかし、バレエだけでなく世の中には大切なものがつぎつぎに失われているのです。復元できたらいいなと思うものは数限りなくあります。 さきごろ、偶像崇拝を認めないイスラム教の原理主義を信奉するタリバーンという組織が、バーミヤンの二つの巨大な石仏を破壊してしまいました。美術全集などでもおなじみの仏像がいなくなってしまったのは淋しいことです。それも自然の力で壊れたのならともかく。人為的な破壊なのは許せません。だってあれは拝む対象であることを超えて人類の遺産だったのですもの。僕は宗教心が薄いせいか、東洋の仏像も西欧のマリア像もまず美術品として見ているのですが、実物を見るうちに宗教を超えて心が洗われるような気持ちになれるのはありがたいことだと思っています。壊された大石仏は、遥か昔に三蔵法師が経典を求めてインドに往復した途中で見た時には金色に輝いていたという話です。もし復元する機会があったら、どうせ遺産としての価値はなくなってしまったので、思い切って作られた当初の金ピカにしたらタイムスリップしたようで面 白いようにも思うのですが、どんなものでしょうか? 金色といえば、現在は黒光りしている奈良の大仏も、戸外でまるでコンクリートのようにも見える鎌倉の大仏も、元来は金色に輝いていたとか。鎌倉の大仏も昔は大きなお堂の中に座っていたそうです。どなたか大金持ちのかたが、どこかに金色の大仏を復元してくださったらありがたいとも思うのですが、こんな考えは変ですか? 歌人で書家の会津八一という人の歌の中に、人々は古い仏像をありがたがるが、もとは色っぽい赤の唇だったんだぞといった一首があったのに感心した記憶があります。古いことで、この歌を正確には思い出せません。どなたか知っていたら教えてください。 絵画の復元はもっと大変みたいです。日本画は紙や絹布に画かれるので消耗が激しく、保存や修復が大仕事だとか。博物館で昔の仏画を見るとすっかり黒ずんでいて、仏様もよく見えません。暗いあの世を覗くようで心細くなってしまいます。しかしこれも描かれた当初は極彩 色だったようです。日常生活に派手な色がなかった昔の庶民は、せめてカラフルな極楽に憧れたのでしょうか。ローマ市内のバチカンのシスティーナ礼拝堂の有名なミケランジェロの壁画は近年完全に修復されました。茶の濃淡だったと思っていた壁画は、空色の背景に血色のよい神や人間がひしめき、驚くほど迫力がありました。この復元は成功していましたが、ミラノにあるダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、あまりうまく復元できなかったようです。洋の東西を問わず美術品の復元は大事業のようです。 建造物も永遠のものではありません。戦後間もなく、京都の名刹、金閣寺(鹿苑寺)の至宝、金閣が一人の僧侶の放火によって焼失してしまいました。この事件については三島由紀夫が小説「金閣寺」に想像力豊かに記述していますが、それは別 として金閣は間もなく再建されて金箔が張られ、近年さらに金箔が重ねられてピッカピカに輝いています。いつだったか何人か連れだって京都に行った時、一人の女友達が「ケバケバしくって下品ネー」と叫びました。そうでしょうか。文化財的な意味はなくなってしまいましたが、プラス思考で見れば、創建者の足利義満になったような気もして気宇壮大になれるとも思うのですがどんなもんでしょう。 実際に復元されなくても、このごろはCG(コンピューターグラフィクス)で昔の様子を見ることもできます。NHKテレビで土曜の夜に放送している「国宝探訪」は第一級の国宝の現状を紹介する番組ですが、時々CGで出来上がった当初を想像復元した鮮明な画像を見せてくれます。 われわれは日本的な美というとワビサビとかいう質素な美を思い起こしてしまうのですが、これは意外に後世の発想なんですね。華やかな王朝時代のあと、中世のお坊さんが世を捨てて粗末な生活をしたのがかっこよかったりしたのに始まり、茶人の千利久の佗び茶が深化され洗練され、さらに芭蕉のさすらいの旅など、簡素が日本の美の正統や典型のように思われがちです。しかし、CGで遠い昔の国宝の復元を見るとあまりにも派手なのでびっくりします。これは華美な建物や彫像などで権力や財力を誇示しようとしたからでもあるようです。 この5月3日、憲法記念日の朝にこれもNHKで「宇治平等院復元平安王朝の美」とかいう特別 番組が放送されてました。これは京都の南の宇治の平等院の阿弥陀堂(通称は鳳凰堂)をCGで復元したものです。翼を拡げた鳳凰の姿を型どったお堂はいまでは黒くすすけてしまっているのですが、もともとはオレンジがかった赤で、堂内の柱などは多彩 な色彩が溢れていました。そして壁にかけられた有名な雲中供養菩薩という天女のような姿の群像が、展覧会で見た時に真っ黒だったのが、もとは極彩 色なのには驚きました。創建者の藤原頼通が自分の死後に赴くはずの極楽浄土を想像して作らせた世界はとにかく大派手でした。当時の貴族の栄華を極める生活、そしてそれでもなお死後の栄華をも求める心境が感じられて、うらやましいような可哀そうな気もしたのです。 いままで列挙したのは昔のものでしたが、同じようなことはわれわれの身辺にもあるんです。誰にも壊れかけたけど捨てられないものがあるはず。それを復元するのも素敵なことです。実は僕の妹(といっても相当な年齢です)が、父や母が大切にしていたぐい呑みや香炉などが割れたりしていたのを復元してしまったのです。カルチャーセンターとかで教えている金繕い(キンツクロイ)という壊れた陶磁器などを修復する手法による結果 です。復元したものを身辺に置いているのを見ていると、懐かしくもあり、時には感動もします。 ということで、われわれは舞台を見たり、展覧会に行く時だけ芸術とつき合うのではありません。日常の生活の中のささいなものごとに注意することも芸術に親しむ重要なきっかけといえると思います。 何も映画の「ジュラシック・パーク」のように絶滅した恐竜を復元しなくてもけっこう。ふだんの生活の中のものを大切に長持ちさせゴミにしないように心がけることが先決かなと思っています。 |
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