藤井 修治 | ||
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2001年10月31日 | ||
前回につづいて秋の新番組の話で始めます。テレビ東京で「芸術に恋して」という番組が現れました。番組の題名にひかれてちょっと見たのですが、出来はまあまあといったところでしょうか。先日たまたま途中から見ましたら宮澤賢治のことをやっていました。 チェロ奏者の藤原真理さんらがゲストででした。宮沢賢治(1896-1933)は詩人や童話作家とか教育者、農業科学者とか宗教思想家とかいわれます。近年評価が高まって若い人にも影響を与えているみたいです。 賢治は岩手県の花巻の生まれ育ちで、一時は東京に出たものの短い生涯の大半を花巻に過ごしました。生家が洋服屋だとか質屋だったとか、お金があったのでしょうか、当時としては珍しくレコードをたくさん買ったようです。テレビで知ったのですがベートーベンの交響曲なども持っていたとかで、彼はプライベートにレコード・コンサートを催して、友人生徒たちにも聴かせたりしています。彼の農業学校の教師時代の生徒でベートーベンを聴かされて感動したり、困った人もいたようです。 賢治はベートーベンがチェロという楽器を重視したのを知って、当時としては凄い高価なチェロを購入しています。ベートーベンの第9のフィナーレのあの合唱の旋律がチェロやコントラバスで始まるし、チェロの音域が人間の声に近いとか、チェロが彼を魅了するのも共感できます。彼は東京でオーケストラのチェロ奏者にたのみこんでチェロを習ったそうです。それが2時間ずつ3日間です。6時間ではムリでしょう。でも花巻で夢中になってチェロを弾いていたそうです。当時賢治のチェロを聴いた人は、馬の屁のようにピーピーいうだけで、全く下手だったといっていたそうですが、それは当然でしょう。でも周囲から嫁さんもらえといわれた賢治は、チェロを抱いてこれが俺の嫁さんだといっていたとか。「好きこそものの上手なれ」でなく「下手の横好き」といったところでしょうか。 しかしあの賢治のこと、芸術への感受性は鋭かったと思います。雑音の多い当時のSPレコードから多くのものを得たように思います。彼は音響でなく音楽から啓示をを得たのでしょうか。そして豊かな自然の中で生きていた彼は、自然との交流というより交感、そして音楽から得たものをもものにして独特の文学作品を作ったような気がします。この夏、彼の代表作「銀河鉄道の夜」による舞台劇を見ましたが、すてきな音楽を聴いたと同じような気分を感じたのを思い出します。 そしてむかし「セロ弾きゴーシュ」を読んで感心したことも思い出します。オーケストラの一員ゴーシュはチェロが上達せずコンサートの10日前でも指揮者や仲間を心配させます。自宅で夜中でも練習を重ねると、猫やねずみなどの動物がやってきてバカにしたり助言してくれたりします。ところがコンサートではゴーシュのチェロのおかげで大成功、彼は一人でアンコール曲まで弾くことになります。 音楽の才能に限界を感じていてた賢治の夢の実現でしょうか。とりもなおさず文学の力です。賢治は音楽が好きでもチェロ奏者にはなれなかったのですが、すばらしい文学作品を残してくれました。文学は賢治の天賦だったんですね。それなのに賢治の倍近く生きてきた僕は大したこともできないで終わりそうです。テレビのディレクターとしてはがんばったかな…?この小文も少しはみなさんの役に立てばと思って書いているんですが……。 東京に生まれ育ち住んでいる僕ですが、実は子ども時代、終戦前後に岩手の花巻の近くに疎開したことがあるんです。母親がさがしあてた美しい村の大きい家の一隅に住みました。荒廃した東京と違って戦中なのに平和そのものでした。青い空、緑の田んぼ、等々。道ばたの小さい花もきれいでした。 東京に帰ってきて、音楽もゆっくり聴くことができるようになってベートーベンの交響曲第6番「田園」を聴いたら、あの岩手の村の風景がよみがえってきました。第1楽章は「いなかに着いた時の愉快な気分」と題されていますがその通 り。第2楽章の「小川のほとり」を聴くと水田の間を流れるセキと呼ばれる小川の流れやナデシコの花などを思い出します。あれはかって賢治が見た風景と同じようなものだと思います。もう一度あの村を訪ねたいと思いつづけているのですが、もう町制がしかれにぎやかになってしまったとかで行くのが怖い気もします。 岩手に疎開してから何十年たって、NHKの「名曲アルバム」というミニ番組で何十曲の名曲を紹介する仕事で欧米各国を訪ねました。オーストリアではウィーンやザルツブルクなどを訪れ、作曲家の生地や住居、墓などをたくさん取材しました。その時、ウィーンの近郊の森や田園にも行きました。ベートーベンの作曲意欲を刺激した風景は岩手とは多分に違っていましたが、共通 点もありました。特に空と緑の美しさは普遍的なものでしょう。何とかがんばってもう一度オーストリアにも岩手にも行ってみたいと思ったりもします。 しかし、自然は東京にいても十分に楽しむことはできるのです。公園では桜だけでなく四季を問わず花が咲いていますし、道ばたでも小さい花が咲いています。ことしの春、コンクリートの道と石のへいの直角の凹んだところからスミレの花が美しい顔をのぞかせていました。きれいでした。先日そこに行ったら花はないけれど葉が残っていました。来年も見たいものです。 花といえば、朝日新聞の朝刊の第一面の左端に毎日のように「花おりおり」という欄が掲載されています。詩人の大岡信さんが古今東西の俳句・和歌・詩などから引用してひとこと書いている「折り折りのうた」が休載中なのでこの欄があるのです。毎日、その季節に咲いている花のカラー写 真が出ていて、その花についての豆知識が書かれています。原産地とか命名の由来、等々。毎日違った花を見るのが楽しみです。知っている花は親しみを感じ、見ていても名前は知らない花の名を知ればうれしいし、見たこともない花を知るのもちょっとくやしいけれど元気になります。線路の隅でわがもの顔のセイタカアワダチソウは北米からやってきたとかも面 白い。けさは「ミセバヤ」という花でした。ピンクの小花の集合です。これは何十年も前にウチに植木鉢があって以来のめぐりあいです。名前は知りませんでした。名前の由来は吉野山のお坊さんが山の奥で見つけて、和歌の先生に「これを見せばや」と書いて花を贈ったことから名がついたとか。外来の花のように見えますが日本古来の花だそうです。世の中知らないことだらけですが、それが面 白い。新聞だけではなく、雑誌でもテレビでも道ばたでも美を発見できるのはありがたいことです。 美しい文章や絵画などの芸術は自然を描写することに始まるようです。ところが「自然は芸術を模倣する」という言葉があります。よく考えると変ですね。誰がいったのでしょう。イギリスのオスカー・ワイルドだという人もいます。よくわかりません。誰か教えてください。 昔から花は咲いていましたし、富士山もありました。大昔では、花は季節の変化を告げるもの。富士山は、遠くまできたな、高いなと思わせるだけでした。ところが多くの和歌に詠まれたり、絵にかかれているうちに人々は花や富士山を美しいと思うようになってきたのです。古画や近代の横山大観、そして現代の片岡球子らが現実とは少し違った富士山の美を創造し、それが富士山の新しい美を知らせてくれます。自然は芸術を模倣する。芸術の力はこういうところにもあります。 「ジゼル」でアルブレヒトがジゼルの墓に花を持ってきます。時には白い百合の花だったり、時には白いカラー(海芋)だったり。あの造花も舞台上では本物の花以上に感動を誘います。そしてわれわれはその後で本物の白い百合をみるともののあわれを感じたりするのです。これはまだ芸術に接していないこどもたちにはわからないことだとも思うのです。 |
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