藤井 修治 | ||
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2003年1月28日 | ||
前回は笑顔の大切さに触れたのですが、今回は舞台での笑顔について思い出して見ます。お正月早々、NBAバレエ団主宰の全国バレエコンクールに審査にうかがったのですが、審査が終わって舞台での授賞式の時に副委員長の薄井憲二氏が総評をされました。彼は若い参加者たちに注文をつけました。舞台にまで出てきてつまらなそうな顔はよくない。「何で私がここで踊らなければいけないの?」といった顔をしないで欲しいとの辛口の提言でした。僕もそう思います。 コンクールは、バレリーナの卵たちにとっては、他人が全部敵に見える場かも知れません。上位 入賞を果たしたいととにかく必死に踊るので、笑顔が出ないのは当然かとも思います。必死の形相は本人の問題でもありますが、先生の指導の問題でもありましょう。子供のコンクールは先生たちのコンクールともいえます。生徒たちを舞台に送り出す時にはつい「ガンバッテ!」と怖い顔で叫んでしまうようです。これだったら笑顔も出にくいですよね。しかし舞台での笑顔は日常生活での笑顔と無関係ではないはずです。欧米では舞台に出て行くダンサーに向かって頑張れとはいわず、笑顔でエンジョイしていらっしゃいというようなことを聞きましたが、ナールホドと思ったりもします。 社会主義国家の舞台上の子供たちの笑顔は画一的なのが気になります。北朝鮮の子供たちのパレードや民族舞踊の様子をテレビで見ると、動きは整然として迫力十分ですが、子供たちの作り笑いが凍りついていて、かわいそうになってしまいます。見るほうだけでなく踊るほうもエンジョイすることが大切なのだと思い知らされます。 舞台芸術の主役ともなれば、登場の瞬間からカーテンコールの終わり、姿が見えなくなるまで注目されてしまいます。顔の表情がとにかく大切です。同じ振付・演出であっても個性の表出も求められますが、笑顔ひとつでも観客を幸福にすることさえできるのです。 バレエの場合は作品を知っていることが多いので、作品よりはダンサー、特にバレリーナの笑顔が目に残ることが多いのです。いまも忘れられない笑顔がたくさんあります。 日本の大バレリーナたちではまず故・貝谷八百子さん。舞台でも普段でも明るい笑顔の人でした。悲劇を踊っていても大ニコニコだと皮肉る人もいましたが、カーテンコールで大きい前歯をむき出しての笑顔は楽しく家路を辿らせてくれました。反対に谷桃子さんは悲劇のヒロインのイメージが濃く、舞台の憂い顔が答礼になると恥ずかしそうな笑顔になるのが魅力でした。松山樹子さんもちょっと照れたような伏し目がちな笑顔でのレヴェランスがすてきでした。 「ジゼル」を見ると、ジゼルになりきってしまってカーテンコールも最後まで悲劇のヒロインを通 す人もいれば、静かに華がおりて大拍手で幕が上がると明るい笑顔のジゼルが跳んで出てくるのも愉快、そして初めは神妙に、次第に笑顔になったりするのもいいものです。バレエのように美しさや技術を重視する舞台芸術でも、こういう部分での自主的工夫で楽しさが増すというものでしょう。 現在では吉田都さんが立派です。まじめでおとなしい人なので日常は笑顔が少ないようですが、舞台上では厳密に計算された笑顔で観客を納得させてくれます。海外では舞台回数が多いので工夫を重ねているんでしょうか。若い人に参考にして欲しいものです。 外国のバレリーナでは、故マーゴット・フォンテインが満開の大輪の花といった感じでした。最後に見たのはニューヨークで「メリー・ウィドウ」の主役と踊った時です。第1幕パーティの場での階段上からの登場、未亡人役らしく黒いドレスなのに華やかな笑顔です。もうすごい年齢のはずでした。バレエってこれが楽しいんですよね。プリセツカヤは「瀕死の白鳥」のあと、死んだはずの白鳥が答礼を何回も、振りを変えてのにこやかな笑顔。もう見る機会はないらしいです。亡命する直前のナタリア・マカロワの若々しい笑顔もすてきでした。優雅な笑顔のかげに亡命への決意をかくしていたのかと知ると、バレエのダンサーも大変だと実感しました。 男性陣は?日本の男性陣は笑顔がへたなようです。女性より三歩さがっての答礼も控え目。謙譲の美徳といったところでしょうか。華やかな笑顔の人は少ないみたいです。例外の一つ、橋浦勇さんが自分の会で悪女役で大活躍、最後に堂々とした笑顔で出てきたりするのは凄い迫力です。でもこれは女装なので男性の仲間には入れにくいですね。おすぎとピーコとか美川憲一とか、女っぽく振舞っている人々はやる事が派手で、眉をひそめる人も少くないのですが、存在感は十分だと感心します。 外国勢ではいつもはシリアスな表情のヌレエフが時折り見せた笑顔が印象に残ります。パトリック・デュポンはやることなすこと目立つうえにカーテンコールも愛敬たっぷりで、もっと見たくて拍手してしまいました。でも彼も両性具有的な人ですね。男女を問わずスーパースターたちは容姿とか技術とかいうこと以外にこういった表情で個性をアピールして人々の思い出に残るのでしょう。 バレエとは逆にモダンダンスは作品そのものに興味が集中し、ダンサーへの拍手は少ないようです。幕がおりる前に拍手がなくなってしまうことも多いので答礼がないこともしばしばです。現代芸術の宿命といえばそれまでですが、もうちょっと舞台を楽しくしようとの気持ちがあればカーテンコールの笑顔も見られるのではないでしょうか。 もう50年も前になりましょうか。当時モダンダンス界で隆盛を誇っていた江口隆哉舞踊団の公演に連れて行かれました。江口隆哉の代表作「プロメテの火」に感動しましたが、前半の小品集の一つ、江口隆哉夫人だった宮操子さんが踊った「タンゴ」でおとなの踊りに感心。そして拍手にこたえて彼女が片手を腰にあててふてくされたような笑顔を見せたのにさらに感心。答礼にもいろいろあると知ったのです。 最近ではこの一月に矢上恵子さんが主宰するK・チェンバー・カンパニーの久々の公演を見に大阪に行きました。矢上さんはジャンルにこだわらずにインパクトの強い作品を続出させています。この日の最後の作品で群舞の中心で踊りまくっていた矢上さんはカーテンコールに汗だくで登場。ダンサーと振付家を兼ねた大役を達成した笑顔を見せました。男性的ともいえるいかつい容姿がひときわ輝いて見えました。こんな笑顔もいいものです。現代作品も最後まで目が離せません。 他のジャンルについてお伝えする余裕がなくなりました。現代の危機感を反映するストレート・プレイでは暗い舞台が多いのですが、時折り思い切った笑いを突きつけてくるものもあります。その中に虚無感を感じるか希望を感じるかは観客の自由でしょう。ミュージカルや宝塚歌劇は一般 的な美を追求するはずなのにこのごろは芸術志向で笑いが減っているのはちょっと淋しい気もします。宝塚のフィナーレ、高い階段から主役たちが次々におりてきて笑顔でおじぎをする部分。これはいつまでも続けて欲しいものです。 ことしは歌舞伎の祖といわれる出雲の阿国(いずものおくに)という女性が京都の河原でデビューして踊ってからちょうど400年だとか。歌舞伎はこの400年にさまざまな変遷を遂げています。この一月の歌舞伎座の夜の部のおしまいはお正月らしい「助六」でした。主役もすてきでしたが、脇役の一人が携帯電話のメールで現代語を並べて大笑いさせてくれました。歌舞伎はこういう笑いの要素も加えて生き延びているのです。 600年以上の歴史を持つ能は、主役が能面をかぶるので演者の表情は見えませんが、観客が多彩 な表情を読み取るのです。それに対して狂言は笑いの要素が多く、古風な笑いも近年は新鮮な魅力を放ってきたようです。 いろいろなジャンルの舞台芸術を楽しむことかできる現代は何ともありがたい時代です。全部を見たり聞いたりは到底出来ません。選択しながら笑顔を楽しむのも各人の人生観や美意識が必要でしょう。そして楽しみながら多くのものを得ることができたらいいなと、まだ思っているのです。 |
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