藤井 修治 | ||
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2003年2月14日 | ||
2月の6日から9日までアートスフィアで金森穣の作品集が上演されるというので見て来ました。このところコンテンポラリー系の若手舞踊家が人気を集めていますが、彼はその中でも活動の中心でしょう。早くから海外で踊っていて近年は振付家としての才能も認められています。 開幕前にプログラムをのぞいて見ると表紙にJo Kanamori(金森穣)no・mad・ic project 7 fragments in memoryとあります。no・mad・ic というと「遊牧の」という意味なので、遊牧人のように内外を廻った思い出の7作ということでしょうか。作品名を見ますと、第1部 00 voice 01 L 02 1/60 第2部 03 WW 04 Out of the earth...from heaven 05 Under the marron tree 06 La dent-de-lion 07 Me/mento,4am"ne"siac-1st part、全部横文字でアルファベットだけのもあります。海外での作品が多いからでしょうか。単語を分解したりと言葉の遊びもありますが、これを全部解読できた人はいるでしょうか。00は新作であとの7つは旧作です。題名は解読する面 白さはありますし、公演のあと題名を見てナールホドと思う部分もありました。 古いバレエの「白鳥の湖」とか「眠れる森の美女」などは題名と内容がぴったりです。ところが近年、舞踊が次第に芸術性を高めようとする傾向が強まるにつれて、題名と内容の関係が不鮮明になる嫌いがあります。今回の舞台でも06 La dent-de-lion はフランス語でライオンの歯という意味ですが、これは英語のタンポポにつながります。舞台を思い出すと黄色い照明も当たっていたようです。Out of the earth...from heaven はアルヴォ・ベルトの音楽の美しさを表現した言葉でしょうか。Under the marron tree は孤独の時に栗の木の下に行く女人か。ちょっとHな感じもしたのは僕の思いすごしでしょうか。 8作とも何だか不可解な点も多いのですが、いずれも抽象と具象を往復しながら、動きだけでもけっこう楽しく見られたので題名の難解さもそれほどは気になりませんでした。公演が終わってから、出演者と観客が交流するという After TALK かあったそうですが、疲れたので失礼しましたが、ここで題名の話はでたのでしょうか? それにしてもコンテンポラリーの世界では意味不明・無意味の題の作品がふえています。さらに題名と内容のズレを楽しむ傾向もあり、そういう作品が偉い人に評価されますと一般 観客もつまらないとはいいにくいようです。必然性のない作品を作った本人もけっこういい気持ちになって作品を量 産。裸の王様や女王様もけっこういるようです。あてずっぽうで題名をつけるのもよいですが、迷惑にならないようにお願いしたいものです。20世紀の美術界では奇抜な題名が流行しました。しかし超現実主義のマグリットの変テコな題名でも意味があって、解説を読むとナールホドと思ったことが多いのです。21世紀に入り、こういうことはどうなって行くんでしょうか。 日常生活の中でもカタカナやアルファベットが増加したのは戦後ずっと続いています。明治維新以来、日常生活に欧米の文明文化が続々と導入されたのですが、戦時中は敵国のものだとして厳しく禁止され、英語も漢字の表現に変えられたりしています。ベースボールが野球になったりしているのは現在までつづいています。ところが戦後はその反動でかカタカナ文字があふれかえります。 ファッションショーに行きますとカタカナ語がいっぱい。バレエ用語はフランスの単語が並びますが、ファッション界では英仏語が入り乱れます。オートクーチュール、プレタポルテ、マリエ等のフランス語もポピュラーになりました。新聞のファッション欄でも、「いまのトレンドは」とか、シルバーグレイのグラデーションで描くスレンダードレス、ラベンダーのレザーフリルをつなげたフラワードレス等々。たとえ意味が伝わらなくても雰囲気を楽しむのでしょうか。これを日本語に翻訳して語れば洋服もかっこよく見えないかも。いまや日本人は和服よりも洋服の人々が圧倒的に多いのですものね。しかし時には和服を着るところと、それと外来語で語るのは難しいかもネ。 日本語は変化が淋しいといわれます。流行語もすぐ忘れられて、新しい言葉が現れては消えて行きます。平安朝の言葉を読んだり話す人は少ないでしょう。近代に入り明治になってからの文語体でも樋口一葉や泉鏡花の文章などは本当に読みづらいと思います。現代の学生たちの漢字の読解力がひどく低下していると嘆く向きも多いのですが、時の流れで仕方のないことかも知れません。しかし最近のカタカナ語のあまりの横行に対しての批判も聞かれます。小泉首相がカタカナ語ばかりに対して「町内会の人たちは分かるのか」といったとかで、外来語の言い換えが提案されています。先日の新聞の「声」だかの欄で「カタカナ語に言いたい」という投書がいくつかありました。会議中のやりとりに「今日はミーティングのアジェンダです。ペーパーを見て下さい。まずはイベントのコンテンツについて・・・」とか。別 の投書は高齢者がいま一番困っていることは福祉関係の案内が外来語中心になっていることで、バリアフリー、ボランティアなどはもうわかるでしょうが、デイサービス、ショートステイ、ケアーマネージャー、アメニティー、ケースワーカー、グループホーム等々は困る。等々。福祉関係、介護、保健関係は高齢者に親しみある用語にして欲しいなどでした。しかしこれらのカタカナ語を適切な日本語にするのは更に大変なことかも知れません。若い人々が漢字が読めなくなっている現代ですから問題は大きいと思います。 考えて見ると漢字ももともとは日本語でなく大昔に中国から伝来した文字です。だから同じ発音でもいくつもの単語があるのです。ワープロでも同じ発音でいつもの言葉が出てくるわけです。漢字を音で聞いただけでは意味が通 じないことも多いのです。漢字も外来語だと思い知らされます。 それに対し最近「やまとことば」への復帰を提唱する人も現れています。古来の日本語のことです。これも問題です。 ケアは「介護」でなく「手当て」、シフトは「移行」でなく「切り替え」とか。こういうやまと言葉は耳で聞いてもよくわかるとはいわれますが、文書にすると大変です。 さてどういう方法がいいのでしょうか。いずれにも長所短所があり、それだからこそ論議が分かれるのでしょう。そして外来語の日本語化した漢字やカタカナ言葉、そして本来のやまとことばを時に応じて使いわけることによって適切な表現をさがしながら日本語を豊かにすることが必要なのでしょう。漢字、ひらがな、カタカナ、さらにアルファベットも上手に使いこなしてこそ現代の日本語が使えるのかとも思います。アルファベットだけの欧米と違った複雑さは、学ぶのは大変ですが奥の深い表現に結びつくとも思います。 舞踊に戻しましょう。ことし2003年に入っての舞踊コンクールに参加した作品の題名を見ます。NBAバレエ団のコンクールでのコンテンポラリー部門の40作のうち外来語のカタカナ作品が7作。そして何とアルファベットによる横文字作品が半分の20作もあったのです。考えてみると、作者たち全員が日本人で、いつもは英語を話しているとは思えません。Bird、Flower、Boy などはすぐわかりますが、 Chop Sticks はお箸のことです。これらを英語にする必要はありましょうか。 もう一つ、埼玉 国際創作舞踊コンクールも見ました。海外からの作品もありますが、日本人の参加作品の題名も外来語が多いのです。洋舞は外来芸術だから題名も外国語なのでしょうか。中にはわるい英語の辞書には見当たらない単語もあったとか。審査も難しくなりますね。 日本人の外国の文明や文化に対する憧れや導入は大昔からのことです。それだからこそ進歩もあったとも思います。そして舞踊のタイトルが外来語であっても、いまは非難できないでしょう。でもこの状況は頭の片隅には置いておいて考える価値はあります。とにかく、舞踊家が自作に適切な題名をつけて観客にアピールしてこそダンスを理解してもらえると思うのです。 |
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