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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
Vol.76 「ありがとう」と「ごめんなさい」
2003年4月8日

 イラク戦争を心配したほうが、大切なのでしょうか。それはお偉い人にまかせて、また桜で始めます。東京の桜も染井吉野は盛りを過ぎました。桜をゆっくり見たいとそわそわしてるなんて変でしょうか。
 きのう西麻布の永平寺別院長谷寺という大きなお寺でのチャリティのお茶会に招かれました。お茶の作法に弱いので尻ごみしたのですが、右隣りの人の真似をしていればいいのだといわれて出かけました。ところが人気の茶会らしく大混雑でオバサンたちが廊下に並んで座って待っているので、お茶をいただくのは中止し、小さいお弁当をいただいて帰ることにしたので、お作法のプレッシャーからは解放されましたが、恥ずかしいことです。
 お坊さまの御案内で本堂の横のお庭に行きますと、こちらは静寂そのものです。ピンクの枝垂桜が見ごろを迎えています。丹念な手入れのおかげで自然の美しさと人工の造形美を両立させています。日本画の巨匠奥村土牛の名作で京都の醍醐寺の枝垂桜を描いた「醍醐」という絵と似たようなたたずまいは美の極致でした。5分咲きの枝が深くおじぎをしているようで、「わざわざ見に来てくれてありがとう」といった風情でした。そういえば「ありがとう」という言葉は本当にいい言葉ですが、これをはっきりいえる人は多くないような気がします。
 僕は子供の時は内気な奴でしたが、母がだれにでもありがとうというのを見ていたせいか何とか自然とありがとうがいえたので、それなりに得をしてきたようです。つい先日、友人と食事をした時に、ウェイトレスが水を持ってきた時に、彼がタイムリーに「ありがとう」といったのを聞いて食事がおいしくなりました。食事の時にその人の人柄がにじみ出るもんですね。たとえ感謝の気持ちがあっても、言葉にしたり態度で示さないと、気持ちが伝達できないような気がします。
 舞踊の場合は、レヴェランス(答礼のおじぎ)にも人間性が見えてしまいます。バレリーナの心のこもった答礼は言葉がなくても「ありがとう」が聞こえてくるようです。昨晩のNHK教育テレビの芸術劇場で、この2月にオーチャードホールでの「バレエの美神」と題してスターたちが競演したガラ公演の放送がありました。他の番組と切りかえながらバレエを見たのですが、最後は全員が集まってのカーテンコールです。イブリン・ハートらのスターが並んでおじぎをしたあと、正面奥からプリセツカヤが堂々と出てきました。80歳近いのに美しいひとです。しかし見ていると彼女は幕がおりるまで私が一番偉いのよといった態度でした。劇場で見たときにも感じたのですが、彼女も皆と仲良く一列に並んだほうがよかったのにと思うのです。長い間、周囲の人々にもちあげられてお偉くなってしまったのでしょうが、あれじゃ孤独だろうと思います。本人が嬉しいならそれでもいいけど・・・。
 いま思い出したのですが、つい先日、3月末の卒業式シーズンにちなんでテレビで「ゴクセン・スペシャル」とかいう2時間近いドラマがありました。僕はテレビのドラマはほとんど見ません。連続ドラマなどはつづきが気になって仕事にならないからです。この場合は単発ドラマだったので見てしまったのです。地方の高校、卒業式まぢかの3年D組の生徒たちと担任の先生が主役でしょうか。ズッコケた子どもたちが多く、ケンカも絶えません。担任教師はヤクザの家の娘ですが、とにかく一生懸命、先生というよりも仲間として頑張ります。大学進学が決まったのにあえてあきらめる秀才、就職に悩む凡才たち、父の会社がつぶれて去っていくことになった奴、全員がバラバラです。卒業式の当日、この級の行いが悪いからと一人の就職が取り消されたのをキッカケに、全員が一丸となって社長さんに頼み込んで一件落着。先生も生徒も、卒業後は離れ離れになるのではなく、仲間としてつながって行こうという未来が見えてきました。
 とにかくおとなは仲間まで敵にしてしまいます。会社の退勤後には居酒屋で仲間や部長、社長の悪口。さらに総理大臣がいけない、世の中が悪いなどの政治論! アルコールは明日の仕事のためのガソリンかも知れませんが、ちょっと悲しい。あのテレビドラマでは、生徒たちが卒業式のあと、先生にありがとうといい、先生も生徒に教えられることが多かったとありがとうといいます。劣等生も含め全員がすてきでした。ということですが、僕にもありがとうをいわなければならない人がいっぱいいます。この機会に感謝の意を表したいと思います。
 僕はみなさんと違って一人では何もできません。年寄りフリーターになると、一層その感を深くしています。泳げない、自転車に乗れない、車の運転もできないの三重苦にプラスしてコンピューターとなるとお手あげです。かつては世界の放送局で最も早くコンピューターを導入したNHKで働いていたのに、自由になったとたんに野人となってしまいました。いまでは全部他人まかせなのは年齢のおかげでしょうか。先日、永六輔さんが、運転もなにもできないので自分は古代人だとおっしゃっていたのですが、それなら僕はもっとひどくて先史人とか原始人といったところでしょうか。とにかく現代の文明人とはいえないでしょう。それなのに文化人ぶっているのですからごめんなさい。
 携帯電話は前から持っているのですがうまく使えません。メル友でも作れば幸せになるのかなとも思いますが危険も多いようですし・・・。
 カメラも付いているので何か変なこともできるのかとも思うのですが使い方がわかりません。それでも一応楽しく生きているのも皆さんのおかげです。
 この「今週の評論」も株式会社ビデオの皆さんのお助けで何とかつづけているのです。ワープロもダウンしてしまった僕は横になってこの原稿を手書きで書きなぐっています。それを手もとのファクシミリで会社に送りますと、いつもは劇場の客席後方でビデオカメラの操作をしたり音響を収録している若者たちがワープロで活字化してファックスしてきてくれます。これを修正して再び送り返しますと皆さんが読んでくださる画面になるのです。僕のイメージが崩れました?こんなこと恥ずかしくていいたくなかったのですが正直な話です。だからパソコンを持っていない僕は、この欄が始まって以来、画面を見たことがないのです。僕の写真も見えるとか。どんな写真でしょうか。昔の写真で出ていますというところでしょうか。そんな原始人が文化人ぶっているのも、スタッフの皆さんのおかげなんです。結局は一事が万事、いろんな人のおかげで生きているわけです。「ビデオ」の皆さんありがとう。そして忙しいのに迷惑かけてごめんなさい。
 ごめんなさいとあやまらなければならないことだらけです。ナポレオンは戦場の兵士の一人一人の名前を記憶していたとの伝説があります。僕も昔は仕事に関連した各種の職業の人々の名前や顔をおぼえていたようです。ところが年を追ってもの忘れがひどくもの覚えが悪くなり、親しい人の名前もわからなくなってしまい、このごろは顔も忘れてしまいます。
 舞踊公演のロビーなどでだれかと立ち話中にいろんな人におじぎをされても、だれだかわからないことが多いのです。話し相手にいまの人だれ?と聞きますと「藤井チャンにおじぎをしたんだから私がわかるはずないわよ」と怒られます。むこうが知っているのにこっちがわからないのです。ごめんなさい。このごろは特に美しい人や若い人の識別ができません。モームスとかミニモニとかの加護とか辻とか矢口とかはもうお揃いの人形のようです。みなさん僕にあいさつして僕が?という顔をしたら御自分が美しいし若く見えるからだと思ってください。男女は問いません。
 それにしても知っている人を識別できないなんて「ごめんなさい」。でも許してくれて「ありがとう」。
 ところが舞台上のダンサーたちは皆が美しい人ばかりですが、あっちからは暗くて客席は見えないことが多いのです。公演の幕が上がるとほっとするのは、こういうことに気を使わなくていいということも一つの理由になってるかも知れません。
 それにしても「ありがとう」「ごめんなさい」が自然に出てくるようになるのにはそれなりの努力が必要のようです。ということで、多くのかたがたに「ありがとう」「ごめんなさい」をいいながら、この欄ももう少し続けさせていただきましょう。 




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