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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
Vol.80「日本の古典芸能再考」
2003年6月4日

 若葉が鮮やかな5月29日、NHKホールに駆けつけて恒例の「NHK古典芸能鑑賞会」を楽しみました。僕はいまどきの日本人らしく欧米風な文明にどっぷり漬かって育ち、さらには外来の芸術を勉強して仕事にもしてきました。しかし、若い時に母に連れられて行った歌舞伎に夢中になったり、妹が少女時代に日舞を習っていたりしたおかげで、他の人よりは日本の伝統芸能を親しむことができました。その後仕事の忙しさにかまけて長い空白期間がありましたが、近年日本の文物や芸能に触れる機会が多くなってその魅力を再確認しました。日本人が外国に対して誇ることができる最高のものは政治や経済の問題ではなく、文化だということに気がついてきました。しかし日本人自身がそれをよく認識していません。日本人の日本知らず。日本人は自分の国の文化を知らない民族だなとよくいわれますが、本当にそう思います。これも僕はまたかと思われるほどくり返しいいつづけてきました。そこでこの機会に、この催しで見た全演目を追いながら日本の古典芸能について考えてみましょう。
 NHKがNHKホールで催す行事は年初のニューイヤーオペラコンサートから大晦日の紅白歌合戦までいろいろありますが、NHK古典芸能鑑賞会はその中でも最も有意義なものです。ことしは第30回という節目でもあり、日本の古典芸能を幅広くわかりやすく紹介しようとの意欲的な演目が組まれていました。人間国宝の人たちも多数登場しますし、1回限りの公演でもあり、チケットの入手は困難なのです。だから恵まれた人々しか舞台を見られないのが残念です。ところが聞くところによると8月の24日に「劇場への招待」という番組で放送が予定されているとのことです。ことしは日本でテレビ放送が始まって50年、テレビの技術的向上は目がくらむほどで、実際にテレビのディレクターだった僕でもついて行けないほど進歩しています。この催しの放送も客席ではわからないところも見せてくれるはずです。できればごらんになることをおすすめします。その前にこの催しを見て感じたことやわかったことを記して、洋物で育った僕でもこうやって楽しんでいるということをお伝えしたいと思うのです。
 この催しは正味3時間半にもなりますが、全体は大きく2部からなっています。第1部は「色彩東西六佳撰」(いろとりどりとうざいろっかせん)」としてこの会の第30回を記念して古典芸能の各種目を選りすぐりの出演者で上演するもので、6幕形式でした。いま舞台で何をやっているかわからない人のために、若手の狂言師の二人がそれこそ狂言回しになって狂言の口調で次の演目の説明をしてくれました。ちょっとしつこいと思う時もありましたが、幕がおりている間に次の幕の装置を転換したり、出演者の入れかえなどの時間を稼いでくれていたとも思います。御苦労さまです。でもこの部分は放送されるかどうかはわかりません。
 第1幕は手打「廓の賑(くるわのにぎわい)」。京都の祇園の舞妓さん芸妓さんたちかが全員黒地で同じ模様の衣装で正装して拍子木を打ったり唄や三味線を加えてのおめでたい幕あけでした。この「手打」というのはいまは祇園にしか残っていないとか。僕も初めて見ましたが多分これで終わりでしょう!僕たちはとかく見なれた聞きなれたものにこだわりがちですが、こういうめったにお目にかかれないものに触れて驚く必要もあるようです。大金持ちしか楽しめないものを楽しませていただきました。
 第2幕は能「高砂」の祝言式です。能の中でも最もおめでたい名作の見せ所聴かせ所です。結婚披露宴などで「タカサゴヤーコノウラフネニー」と御老人がうたうのを我慢しながら聞いた人も多いはずですが、さすが観世流御宗家の観世清和さんが幽玄の世界に連れて行ってくれました。ここで印象に残ったのは、お能は能楽堂では背景に大きい一本の松の木が画かれた松羽目の前で演じられるのですが、ここではライトブルーの大空のようなホリゾントをバックに本物の松の木が数本立てられていたのです。天気晴朗な感じでした。実は僕もNHKのティレクター時代に、NHKホールでの「NHKバレエの夕べ」でバレエ「レ・シルフィード」を本物の雑木を並べて上演したことがあるのです。このバレエは夜の森を描いた幕を背景に妖精たちが踊るのが普通ですが、広いNHKホールではこんな大きい背景は予算がかかり過ぎるので本当の木を並べることにしたのです。しかしこれも予算の都合で森でなく並木道で終わり、欲求不満になったことを思い出しました。今回のお能では成功していたようです。
 第3幕は筝曲「五段砧(ごだんぎぬた)」。お琴の曲で、邦楽では珍しく唄のない純粋の器楽曲です。お琴の二大流派山田流と生田流の人々が合同して高音と低音を分担し、さらに尺八も加わっての大がかりな大合奏です。五段というのは五つの変奏曲でしょう。お琴にはもっと古い「六段」という名曲がありますが、これも変奏曲だそうです。実は洋楽の変奏曲ははっきりと曲調が変わるのでよくわかるのですが。お琴は単調に聞こえてしまってよくわかりません。勉強しなくっちゃ。変奏曲形式はその昔西洋人が来日して演奏したのを日本のお琴の演奏家がとり入れたのかも。暴論でしょうか、東西の偶然の一致でしょうか。これもたしかめたいところです。 
 第4幕は「邦楽総見」と題し、まずは琵琶のひき語りで白楽天の名詩による曲です。琵琶は遠くペルシャやインドの楽器がシルクロードをへて日本で独自の日本的完成を見たものでしょうか。つづいて地唄の「黒髪」。独り寝の女心の寂しさややるせなさ、唄と三弦、胡弓のひっそりとした響きがNHKホールいっぱいの人々の耳を傾けさせました。つづいて新内流し、「蘭蝶」。これは新内節の名人3人が江戸の町を流して歩く様子を想像させてくれました。
 第5幕は文楽(ぶんらく)で「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の奥庭狐火の段です。この場面は八重垣姫というお姫様が恋人を助けようと大奮闘する場面です。
 三人がかりで動かす人形の振りがとにかく華やか。この場面は歌舞伎でもよく上演されますが、役者さんが文楽の人形の動きをまねる人形振りの場合もあるのです。文楽では人形が人間の動きをまね、歌舞伎では人間が人形の動きをまねて様式的に演じるという面白さがあります。両方を見くらべると両方の特長がわかるかなとも思います。
 第6幕は新作の舞踊で「阿国歌舞伎」です。ことしは出雲から諸国を廻り京都に出てきた阿国(おくに)という女性が京の四条河原で踊りを興行した1603年からちょうど400年ということで、歌舞伎発祥400年の年といわれます。彼らは異様ないでたち、かぶいた姿で踊り演じて、歌舞伎の先祖ということになりました。この新作舞踊は満開の桜のもと、阿国と恋人の名古屋山三(さんざ)を中心に女性陣が踊ります。阿国も山三も全員が女性舞踊家が演じ踊るので、全員が男性という歌舞伎と反対ですね。宝塚のような華やかな舞台でした。女性だけだったり男性だけだったりと、日本の芸能は変身の面白さがいっぱいですね。
 さて30分休憩のあとの第2部は歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」です。これは歌舞伎の舞台でも日本舞踊の舞台でも超人気の演目で、バレエでの「白鳥の湖」といったところでしょうか。この名作は能の「道成寺」をもとにしていますが、幽玄を前面に押し出す能や、劇的な進行や女の悲しみや恨みを強調する「紀州道成寺」などと違ってとにかく派手です。桜の花が描かれたり刺繍されたりした長袖の衣装を、黒地から赤地に変え、さらにいろいろな模様の衣装を何回も着がえたり、小道具も持ちかえたりして、これでもかこれでもかと観客にアピールするのです。サービス精神の豊かな歌舞伎役者が、伝統を守りながら独自の方法で観客を喜ばせようと工夫しているのも楽しみです。近年は美形の坂東玉三郎が女性以上に女らしく踊って人気を集めていますが、今回はふだんは男の役が多い中村富十郎の登場です。彼はことしたしか74才のはずですが元気そのもの、一時間あまりを無事踊り切りました。このチョー大作歌舞伎舞踊は女性舞踊家よりも歌舞伎役者が踊ったほうが愉快なような気がします。
 この名作はちょうど250年前に初代の中村富十郎が初演したとかで、現在の5世?中村富十郎が歌舞伎400年をも記念して踊った舞台はとにかく楽しいものでした。4才になったばかりという長男の中村大クンが小坊主の役の先頭に出てきて、おじいさんのようなお父さんが美しい振袖で踊るのを真剣に見ているのが微笑ましくもありました。将来はお前が踊るから見ておけよーといわれたのでしょうね。歌舞伎はこうやって伝えられて行くのでしょう。この舞台をテレビで見てキモチワルイというのは簡単です。しかし小さい時から長年の修行を重ねて円熟を加えた現在の舞台はいまが見ごろともいえます。これを見て皆さんがどう感じられるかどうか、いつかお話をきかせてくださいね。
 
 




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