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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
Vol.81「芸術家かそうでないか」」
2003年6月18日

 梅雨に入り、木々の緑が日増しに濃くなっています。雨の中でひときわ目立つのは紫陽花(あじさい)の花です。歩きながら注意深く観察すると実にいろいろな種類があります。日本の山あじさいや萼あじさいが外国で派手に改良されて逆輸入されたものが多いとのことですが、青や紫、ピンクなど多彩な色の変化を楽しむだけでなく、生物の進化のこと、文化の交流のことなどいろいろ考えさせられます。
 進化といいますと、現在の人間の先祖がアフリカ出身という説が、エチオピアでの16万年前の人骨発見で確認されたとか。ネアンデルタール人とかクロマニョンとかと違いわれわれに直接つながっているそうです。アフリカに行ったこともないんですが、僕もはるかなアフリカにつながっているんでしょうか。人類はものすごい勢いで進化を見せて、他の動物とは決定的に違った優位を保っているわけですが、芸術というものを創造したり、観賞したりできるのはまさしく人間だけの特権でしょう。
 先日、6月12日の讀賣新聞の朝刊に歌舞伎の名優、6世尾上菊五郎のこぼれ話がのっていました。「ろくだいめ」というだけで通じてしまうほどの偉大な俳優のことです。彼は終戦後間もなくに亡くなったのですが、戒名は自分でつけたもので「芸術院六代尾上菊五郎居士」だったとか。本当でしょうか?現在は何とか院と院号をつけるだけで100万円以上かかるとかいいますが、6代目はお金はあっても死んでからもらった名前で拝んでもらってはわからないからと自分らしい戒名をつけたのでしょうか。でも自分で「芸術院」と称したのは芸術家としての自負でしょうか強がりでしょうか。この話を知らなかったので驚きました。
 ことしは出雲の阿国という女性が京都の四条河原で踊り演じてから400年たったので、歌舞伎400年の記念の年だそうです。当時は上流階級は能に夢中で、それに対し歌舞伎は庶民の娯楽として人気を得たのです。当初の女歌舞伎は風俗≒フーゾクを乱すとかで禁止され、つづく若衆歌舞伎も美少年たちが女性にかわって風俗を乱すとかで禁止されてしまい、成人男子だけが舞台にのぼるのを許された野郎歌舞伎が現在の歌舞伎のもとになったそうです。明治になるまで歌舞伎役者は河原者などと差別され、お能を見ることさえ許されなかったとか。能から題材を採っても想像で能の真似をしなければならなかったという話をきいたことがあります。しかしそのおかげで能と違った娯楽的な舞台が発達したとも考えられます。明治になってから歌舞伎が生きのびるために九代目の団十郎と五代目の菊五郎が、歌舞伎を単なる娯楽でなく芸術としての向上をも図ったのです。彼らは伝統を守りながらも数々の新作を発表して歌舞伎を盛りあげて現在につなげてくれました。
 この5月の歌舞伎座公演は団菊祭という副題があって、この両名優の子孫にあたるいまの団十郎と菊五郎が活躍する舞台を見て歌舞伎の醍醐味を満喫することができて最高に満足しましたが、これも本人たちだけでなく先人たちの才能や努力のたまものでしょう。ところが庶民の娯楽として扱われていた歌舞伎が発展し、芸術としても認められるようになって、芸術院会員や人間国宝が続出するようになると楽しいはずの歌舞伎が近付きにくいものになるかと心配でもあります。ところが近年は歌舞伎の原点の精神をも汲んで、いかにも通俗的で楽しい舞台も上演されています。古典と創作、楽しさと深刻さ、派手と地味、多彩な演目をスターたちが競演することで、多くの観客を集めているのが現状です。先日も満員の客席を見るにつけ、自分の戒名に芸術院とつけた「6代目」の話を思い出し、何とか芸術家として認められたいという歌舞伎役者の念願が実を結んだと実感しました。
 六代目から50年以上たったことし、歌舞伎舞踊の流れを汲む日本舞踊の猿若流の家元、猿若清方さんが亡くなりました。彼は亡くなる前に自分が死んだら立派な芸術家だったといわれるよりもいい芸人だったといわれたいと話していたとか。周囲からは大成した芸術家として扱われていたので、かえってこういう言葉が出たのかも知れませんが、立派な言葉だとも思えますし、新しい時代だなとも思いました。
 いっぽうオペラやバレエという外来の伝統的な舞台芸術も、歌舞伎と似たような歴史を辿っています。日本の伝統芸能や外来の舞台芸術の両方を見て、両方の相違点や共通点を確認することも、双方を楽しむためには必要ではないでしょうか。バレエも19世紀までは芸術として考えてもらえなかったようで、貴族や金持ちのひまつぶし的な面が強かったとのことです。それが次第に芸術としての高まりを示すようになり、舞踊家たちも芸術家として扱われるまでになりました。しかしこうなると現代バレエは敬遠される傾向にも出て来たようです。外来の文化が重視されて来た近代日本では、日本の伝統芸能の人々よりも洋物の舞台人のほうが芸術家としての意識が高かった傾向がありました。ところがもう35年も前のこと、いまの井上バレエ団を設立した井上博文がヨーロッパから帰国して、日本では珍しいプロデュース公演を始めました。彼は公演のプログラムの挨拶文で、この催しを「芸術的になりすぎず感動させず」に続けたいと書いていました。海外での見聞をもとに、とかくシリアスな日本の舞台への批判を込めていたのでしょうか。こういう言葉にびっくりもしたのですが、彼の耽美の思想がいまになって少しずつわかって来ました。真善美の美をまず先行させれば、真や善も自然についてくるといったところでしょうか。
 井上氏はバレエは上手とはいえなかったのですが、芸術的になりすぎずという逆説的な芸術家魂を持っていたのだと思います。彼が世を去って十数年、井上バレエ団はいまもって彼の美学を伝えている部分があるような気がします。
 今度は映画の世界へ。映画は芸術的なものから徹底した娯楽作品まで千差万別です。黒沢明監督は映画を芸術として高めた功労者で、いかにも芸術家的な風貌や態度を貫いていました。ところが先日の新聞に鈴木清順監督のインタビューがのっていたのが愉快でした。彼の映画は一見すればあまり芸術的とはいえません。彼がいうには「筋なんかどうでもいい。面白ければいい。人々は感動を求めているけど僕は観客を興奮させたいけど感動させたくないな。人に生きる希望を与えたってしょうがないからね。そこまでおこがましくないヨ」等々。彼独特のダンディズムの発言です。しかし80歳の彼もまさしく現代の芸術家でしょう。
 美術の世界も同様です。かつての大画家横山大観らはいかにも芸術家的な容姿やや言動でありがたがられました。いまは違います。これも先日の新聞からで、横浜の大桟橋で開かれているヒロ・ヤマガタの展覧会を紹介する記事がありました。彼の絵や版画はデパートのギャラリーなどではひときわ目立つ原色の明るい風景画です。彼の名前を知らなくてもきっと目にしている楽しい絵です。ところが彼は日本ではコマーシャルな芸術家とされ芸術家扱いされなかったそうです。そしてアメリカで大成功しても日本の美術界ではあまり高くは評価されていません。その彼が新境地を開拓して宇宙的な光の芸術を創って発表しました。CDの表面のように光り輝く壁の部屋に同じ材料の立方体が回転し、レーザー光線が交錯する夢のような世界だそうです。巨大な屋外の作品もあるとか。新しい芸術といえましょうが、彼はインタビューにこたえて、「自分は芸術家だとは思わない。頭の中のイメージを具体化しただけで、特に伝えたいこともない。こんなもの作っちゃったんですけどという感じで自己満足なんです」。太ったオジさんの意外な発言もかっこいいと思います。この展覧会は9月までやっているとのことで近いうちに行って見て、新時代の芸術?を楽しみたいと思っています。
 6月12、13の両日に池袋の東京芸術劇場で行われた「新鋭・中堅舞踊家による現代舞踊公演」の2日目だけを見に行きました。2日間見ると疲れるだろうと思ったのですが、1日だけでも疲れました。10分ぐらいの力作が11作品、全部が大まじめな作品です。楽しい作品を作ったり踊ったりするのが大変なのはわかりますが、もう少し観客サービスをして欲しいとも思います。作者たちが芸術家でありたいという気持ちが強すぎるような気もします。
 現代は芸術というものの概念が拡大しつづけています。ジャンルにせよ、内容や表現方法にせよ、いままで芸術だと考えられなかったものも芸術として扱われています。境界もあいまいになっています。そして誰が芸術家かそうでないかもはっきりしません。そこが面白いし、次の時代につながって行くのだと思います。ニューヨークの地下鉄に落書きして認められた大画家もいます。ひょっとしたらあなたも明日の大芸術家かも!




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