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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
Vol.83「舞台芸術の解説いろいろ」
2003年7月18日

 きょうは国立劇場に行って歌舞伎を見てきました。またカブキー?という声も聞こえてきそうですが、前回「日本人には日本が少ない」というコマーシャルに反省したこともあり、僕自身も日ごろ痛感していることなので、あえてしつこく書く次第です。
 外来の舞台芸術を上演する新国立劇場と違って、先輩の国立劇場は大小の劇場で歌舞伎や日本舞踊、文楽(ぶんらく)など、そして国立能楽堂では能や狂言と、日本の伝統的な芸能を上演しています。
 僕は見たり聞いたり欲張りなのでしょうか、視たい聴きたいものがあまりにも多くて、いつも選択に困っているのです。ぜいたくな悩みで申しわけありません。いまでは評論家とか批評家を自認もしていないので比較的自由に行き先を選択していますし、特定の業界の人というわけでもないので自由な立場を楽しみながら時にはサボったりもしているんです。しかしいろんなジャンルの芸術を見聞きして来たおかげで、各種芸術の特質も次第にわかってきて、若い時よりも何でも楽しめるようになって来ています。いろんなジャンルの舞台芸術の公演の形態や方法の違いがわかってくるにつれ、バレエなどの舞踊の舞台でも他のジャンルの公演を参考したらいいなと思うことも出てきます。おかげで時には皆さんのお役に立つこともできるかも知れません。
 皇居のお濠端、半蔵門や三宅坂に近い国立劇場の大劇場では銀座のほうの歌舞伎座や新橋演舞場での歌舞伎公演とは作品は同じでも少し違います。銀座のほうの興行のしかたは、商業ベースを強調して、ポピュラーな演目の見せ物だけをいくつも華やかに並べる場合が多いのに対し、国立劇場では長大な名作を、普段はあまり面白くないとカットされている場面も再現したりして、原作に近い形にして上演する場合が多いのです。いいとこどりではなく、通し狂言といった上演方法です。この方法ですと、その演目の時代背景や人間関係、物語の流れなどがよくわかり、歌舞伎の奥深さもわかってきますし、いつも見ている名場面の理解も深まります。バレエでは「白鳥の湖」などの名作は全幕を上演する場合が多いので、一つの幕だけの上演という欲求不満は少ないようですが、歌舞伎の場合は、楽しく派手な場面が羅列されている歌舞伎座式と、少し地味な場面があっても全幕を上演して作品の全貌を示して本質に迫ろうという方法を両立できたらいいなと思ったりもしますが、ぜいたくですよね。でも僕もこの通し狂言のおかげでずい分勉強もさせてもらいました。
 国立劇場では毎年、6月と7月に「歌舞伎観賞教室」という大規模な催しがあります。ふだんは歌舞伎を見ることのない人々をターゲットにしての公演で、同じ演目を20日間以上、11時からと2時半からの2回を上演しての40回以上の舞台です。
 ことしは6月に「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)、7月は「丗三間堂棟由来」(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)が上演されました。二つとも正式な題名はむずかしいのですが、6月の作品は、いわゆるお富と与三郎の波瀾にみちた恋物語です。もうウン十年も前、演歌の春日八郎が「お富さん」という歌を大ヒットさせました。しばらくの間、日本中の老若男女が「死んだはずだよお富さん、生きていたとは・・・・」と歌っていたんです。通常はこの名セリフある「源氏店」(げんじだな)の場だけが上演されるのですが、今回の公演では、主人公の二人が木更津海岸で出会って一目ほれをする場面と、二人が逢い引きをして、お富のダンナさんに見つかって死ぬことになる場面が上演されてから、再会のあの名セリフの場面になるので物語に納得が行きました。6月の舞台が楽しかったので、きょうは何とか都合をつけて7月公演の「丗三間堂」に行ったのです。満員の状態で、一番うしろの補助席で見せてもらいました。
 7月の作品は題名は有名ですが39年ぶりの上演とかです。実は39年前に僕の母親が歌舞伎座で見て来たので、その話を聞かせてくれてきたので内容は知っていたのですが、今回のようやく本物の舞台を見たのです。ヒロインのお柳(りゅう)の役はかつては昭和の大女形中村歌右衛門が演じたのですが、今回は彼の息子(養子)の中村魁春でした。そしてかつて母親が見た芝居を今度は息子の僕がようやく見ることができたのです。私事でゴメン。
 切り倒されることになった柳の巨木を助けた若者のところに美しい娘が嫁に来ますが、これが実は柳の精が恩返しに来たのです。可愛い息子もできたのに今度は上皇の病気平癒のために柳が切られ、お柳は死にます。幼い息子が柳の木を京に運ぶという話、思わず涙を流してしまいました。泣かせるのは歌舞伎が言葉のないバレエと違うところでしょうか。でもこの芝居が悲劇なのにすっきりとした気持ちで劇場を後にすることができたのも歌舞伎らしいと思います。そして初めて見た作品にこれまで深く入れたのは、プログラムの解説をはじめとして、借りたイヤホンガイドの解説や左右の壁に投射される義太夫節の字幕のおかげもあたと思うのです。この年になって解説の助けを借りるおは恥ずかしい気もしますが本当にありがたく思いました。
 6月の公演の時は観客に年輩のかたが多かったのですが、きょうは高校ぐらいの団体客がいっぱいでした。若い人たちの元気な反応も気持ちのよいものでした。この「歌舞伎鑑賞教室」は開幕前の「歌舞伎のみかた」という解説が面白いんです。中堅の俳優さんが素顔で紋付袴姿で出てきて、花道や回り舞台などの舞台の機構から、音楽の解説、演技の約束事などを若い人にも楽しめるように話してくれます。きょうは女形の役者さんがお姫様や腰元になって悪者たちと対決する場面もありました。客席から引っぱりあげられた2人の女子高生も恥ずかしがりながらも歌舞伎とお近づきになったようです。サービス満足の演出で、初めて歌舞伎を見た学生さんたちの中にはきょう歌舞伎ファンになってしまった人もいるのではないでしょうか。
 クラシックのコンサートやオペラやバレエではこれだけの聴衆観客動員は無理でしょう。歌舞伎は古くさくてダサーイという先入観を変えようという劇場側の努力、特に解説の巧みさが、客席の反応に反映されていました。解説しなければ理解してもらえないような歌舞伎は歌舞伎とはいえないという意見もあります。しかし明治維新以来もう135年になります。日本人の生活様式も思考もすっかり変わってしまい、やはり解説がないとわからないという時代になっています。考えてみますと、戦後になり絶滅するかもといわれた歌舞伎が今日の隆盛を来したのは、多方面の人々の努力があつまってのことだと痛感している次第です。歌舞伎はいまや古くて新しい芸術です。
 クラシックのコンサートは普通は時間が来ると演奏者が出て来て、演奏が終わると聴衆の拍手に応えてひっこむだけで、解説はない場合がほとんどです。不親切なようですが、演奏家も聴衆も音楽だけの世界にひたりたいということでしょうか。日本のクラシックファンのレベルが異常に高いということもあげられましょう。しかし芸術は次世代を担う若い人々のものにもなって欲しいのです。青少年のためのコンサートなど、入門者、初心者のためのコンサートでわかりやすい解説があれば若いクラシックファンがもっとふえるのではないのでしょうか。天才バイオリニストの五嶋みどりさんは内外での晴れの舞台の合間を縫って、各地を巡ってこどもたちのためのレクチャーコンサートを催して、演奏しながらのお話をして音楽の伝道師のような役割を果たしているとか。世界の音楽の最前線で活躍中の人が、時間をさいての演奏とお話はこどもたちの人生にも影響するかも。
 ところでバレエについては、ほとんどの公演では上演中の解説はありません。でもバレエにあ言葉がありませんので、時に進行がわからず、人物も美人ばかりでだれがお母さんかもはっきりしないこともあります。そんな時にはやはりプログラムの解説をよく読んだり、時間とお金があれば事前にビデオなどで勉強しておくことをおすすめします。
 しかしバレエファンをふやすには開演前の解説があったりしてもいいのでは・・・。文化庁が毎年のようにどこかの地域を選んで若い人々のために大きいバレエ団の「白鳥の湖」などの名作を地方で公演しています。開幕前に解説をしてくれというお話があって何回か旅行したことがあります。時間が短くて思っていることを伝えるのに苦労しましたが、あとで役に立ったといわれて嬉しく思ったことがあります。舞台ではなくテレビやビデオも解説については別の機会があればお話しましょう。




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