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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
Vol.85「シンフォニック・バレエあれこれ」
2003年8月26日

 欧米と反対に寒い日が多かった日本の夏も過ぎようとしています。この夏も舞踊の会はひきもきらずでした。残り少なくなって来た人生、他のジャンルのものも見たり聴いたりしたいので、今日は何にしようかなと迷いながらも、けっこうたくさんの踊りを見せていただき、それなりに楽しみました。これらについてカッコよく評論して問題提起するのもいいですが、今回はシンフォニック・バレエについて思いつくままに書いて見ます。
 先日、夜中の1時からNHK教育テレビで、最近のくわしい宇宙地図を見せる番組をやるというので見ることにしました。日ごろは昨日・今日・明日といった短い時間のことが気になり、都内を右往左往して帰宅するという小さい時間空間に埋没しいる身としては、たまにはテレビで気宇壮大な時空に遊ぼうかと考えたのです。ところが疲れのせいかつい眠ってしまいました。そのうち突然バッハのブランデンブルク協奏曲の第4番が響き渡りパっと目がさめました。画面を見るともう番組がかわっていて「夏のチベット高原」とかいう題名が読めました。アナウンスは一言もなく、バッハの音楽だけでチベットの高原の短い夏の風景を追っています。放牧中の見なれない動物が走ったりしますが不思議に音楽とぴったりシンクロしています。真夜中の一時間ほど、ブランデンブルク協奏曲を数曲を聴きながら、死ぬまでにはもうとうてい行けないと思うチベットの風物を楽しみました。
 実はその数日前の8月8日に日本バレエ協会の第27回「全国合同バレエの夕べ」でこの第4番をバレエ化した舞台を見たばっかりだったのです。この曲は中年になったバッハがケーテンの宮廷で器楽曲を量産していたころの連作の一曲で、のどかな感じがすてきです。
 20世紀も中頃になりますと、演奏会用に作られた交響曲(シンフォニー)を使ったシンフォニック・バレエが盛んになってくるのですが、協奏曲を用いたバレエも広い意味でのシンフォニック・バレエといえましょう。既成の抽象的な楽曲を用いたバレエは、初期には物語性・具象性を残していたのですが、次第に抽象化され、構築感や造形美を前面に出すようになります。そうなりますと舞踊家は音楽を自分のものにしなくてはなりません。選曲をした音楽の雰囲気だけでなく、全体の構造から細部の旋律やリズムなどまでゆるがせにはできません。さらに自分流に動きを積み重ねて舞台の上で再構成するのです。
 長い間にわたって、バレエは音楽の視覚化だといわれてきました。先日の公演でバッハのあの協奏曲を「コンチェルト」と題してバレエ化した本多実男さんは、プログラムの中で自作について「音楽との調和を目指しました」と書いています。たしかに音の流れによりそった点ではいい感じでした。しかしバレエとして少々物足りない。音楽とは別の視覚的構成が欲しいような気もしたのです。この曲はまだ18世紀前半のバロック時代の音楽なので、この世紀の後半にハイドンとモーツァルトが確立した古典派のような堅固な構成を持っていないので、バレエ化しやすいような気もしますが、逆にバレエとしての独立した形式美が求められるともいえます。とにかくバレエ「コンチェルト」は白い衣装とライトブルーの衣装の人々がシンメトリックな動きを見せるさわやかで美しいバレエでしたが今一息の感もしたのです。
 この曲にはモダンダンスの名作もあります。現在、現代舞踊協会の会長である石井みどりさんが若いころこの曲を使って緻密な作品を作りました。お嬢さんの折田克子さんらが踊ったのを見て感心した覚えがあり、最近も再演されています。
 楽聖ともいわれるバッハには大小とりまぜ多彩な作品がありますし、かなり多くが舞踊化されています。しかし普通のクラシック・ファンと同じように僕も最初はバッハは聞くだけでした。昔、小学校の音楽教室の壁に大作曲家たちの肖像が並べられていることがありましたが、その中でも一番いかめしい顔をしているのがバッハです。僕にとってのバッハは超巨大な存在で、その音楽も近よりにくい感じがしていました。ところが昭和36年に上野に東京文化会館が開場し、間もなく小ホールで「ドイツ・バッハ・ゾリステン」というバロックオーケストラがコンサートツアーの途上に初来日公演した時、演奏家たちがいかにも楽しそうに演奏しているのに驚き、聞こえてくる音楽の楽しさにびっくりもしたのです。目からウロコが落ち、耳を洗われるような思いをしたのです。以来バッハを心から楽しめるようになったのは幸せなめぐり合いでした。
 これに前後してニューヨーク・シティ・バレエが初来日して、当時全盛期に入った大振付家バランシンの作品群を日本初演しました。バランシンの演目は抽象作品が多く、「コンチェルト・バロッコ」というバレエはバッハの2台のバイオリンのための協奏曲により、装置もなく衣装も黒レオタードというすっきりした作品でした。バランシンは音楽を分析解明した上で新しい舞踊的時空を創造していたのです。以来、振付家たちがバッハをどのように視覚化するかが気になり楽しみにもなりました。
 超大作「マタイ受難曲」をノイマイヤーが舞台化したのにも感銘を受けたりもしましたが、やはり純粋器楽曲の舞踊化で振付家の舞踊観や能力が見えてくるようです。
 平成3年ですから10年以上も前、民音(民主音楽協会)が国際振付コンクールを開催しました。審査方法は、あらかじめ決められている4曲の中から音楽を選ぶ課題作品と自由な選曲による自由作品の二つの演目でのコンクールで、世界中から多くの参加がありました。審査員の一人だった僕は海外からのビデオを数々見たり大忙がしでしたが、世界の舞踊家たちの幅広い発想や派手な手法にひどく感心しました。課題曲の中にバッハのブランデンブルク協奏曲第5番の第1楽章がありました。これを選んで振付した人が大勢いたのですが、具象作品から純粋の抽象までの多彩な作品が並んでいて感心しました。小規模なシンフォニック・バレエにもすてきな作品がありましたが、人気を集めたのはオランダからの「楽しい美術館」という作品でした。若いカップルが美術館に入って来ます。小柄な女の子は楽しそうですが、男のほうはいやいや連れて来られたらしくいつの間にか消えたりします。そのうちに女の子はオシッコがしたくなったらしく腰をよじったりしますと、それまで奥の方でじっとしていた女性の彫像がトイレのほうを指さしてくれるので、女の子はおじぎをしてしも手にかけこんだりして観客は大喜びでした。バッハが多種多様な発想に耐えているのも新発見でしたが、日本人はまだコミカルな表現が身についていないので学ぶべきものがあるとも思いました。そのいっぽうで日本ではまだ抽象的な構築性や造形美をちゃんと評価する基礎がそなわっていないということも実感せざるを得ませんでした。ダンスというものは大変なものなんですね。このコンクールが何かの事情で2回で終わってしまったのは残念です。先日の「全国合同バレエの夕べ」で上演されたブランデンブルク協奏曲第4番を用いたバレエと、同じ音楽が流れていたチベットの風景の番組のどっちが面白かったといいますと、返答に困ります。どっちもすばらしかったということにしましょう。人工的な舞台芸術と自然の風景、どっちも楽しむことで人生が楽しくなると思うのです。
 バッハが中心になってしまいましたが、他の作曲による本格的なシンフォニック・バレエにもすてきな舞台がありました。この夏、印象に残ったのはチャイコフスキー記念東京バレエ団出身の田中洋子さんが主宰するバレエスタジオDUOの第7回公演で、篠原聖一さんが振付した「シンフォニーNo.1」が見事でした。これはバランシンの「シンフォニー・イン・C」(「水晶宮」ともいいます)と同じくビゼーが若いころ作曲した交響曲ハ長調全曲を使っています。バランシンの名作に対抗しようとしたわけではないでしょうが、そういった気迫すら感じさせる舞台でした。バランシンが4つの楽章に4組の主役を配しているのに対し、彼は第3楽章までの各楽章の主役を終楽章で一斉に並べるということにしました。各章で赤青黄に分けた衣装を着たダンサー陣が最後に並んで華やかに踊り納めるのは、当たり前のようでやっぱりきれいです。バランシンの場合は4色だったり、全員が白だったりしていますが、今回は3原色ということが目玉でしょうか。ダンサー陣の表現がもっと鋭い切れ味があればとも思いました。シンフォニック・バレエがドラマによりかからずダンスとしての独自性を主張できるのは、各種の条件が揃わないといけないということを再確認させられたのです。

 




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