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幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
今週の評論<最終回>
Vol.87「何事にも歴史があります」
2003年9月24日

 画面で読むには今回は長いけど、できれば我慢してネ!人生だいぶ疲れて来まして、先日ダウンしてから精神的にも落ち込んでしまいました。点滴をしてもらうので横になって有線放送のバロック音楽のチャンネルに切り替えてもらいましたら、診療室の片隅のどこからか静かに流れてくる安らかな響きに心身ともに癒されたような気がしました。
 むかし聞いた話では「バロック」とは「いびつな真珠」という意味だとのことです。300年ほど前のバロック時代には、この安らかな音楽も、それまでの音楽に比べるとゆがんだように奇抜に見えたのでしょうか。現代人が聞けば、バロック音楽の多くは真円の真珠の上品なネックレスを見るようにおだやかなのにねー。LPからCDの時代になって続々と録音されたバロック音楽はそれこそ無数に多く、僕も聞いたことのない曲も多いのですが、始まったら終わりまでを予測できてしまうような予定調和の世界だといえるのです。だから一瞬先に何が起こるかも解らない危機感に満ちた現代社会では、バロック音楽は聴く人を本当に慰めてくれるはずです。音楽に限らず、芸術は時代によって違って感じられるのですね。
 ところが僕は自分の部屋に帰ると今度は耳ざわりともいえる現代音楽のCDを廻したり、突然無音にしたり、急にテレビのバラエティ番組にしたりします。これが現代です。現代日本人は多種多様なものを時に応じて自由に選択できますという特権を持ってしまったのです。何でもありの現代ですし、僕の先行きも短くなったと気が付きますと、つい欲張りになってしまい、どうしても見たり聴いたりしすぎてしまいます。
 僕は長い間テレビ中心のディレクターだったこともあり、つい「百聞は一見にしかず」ということで視覚を重視しすぎたようです。特にいろんなジャンルの舞台芸術を見つづけるのは、心身ともに緊張を伴いますので、いつの間にか疲労がたまってしまい、今度は逆に聴覚だけを働かしたくもなるのでしょうか。ことしはテレビ放送開始50周年になりますが、僕が子どものころにはまだテレビがなくてラジオにかじりついてクラシック音楽をむさぼるように聴いていたのです。時間の無駄使いのようでしたが、いつの間にか音楽が血や肉にしみ込んでしまっていて、これが後になって役に立っていたのです。人生って本当に不思議だと思ってしまいます。
 僕がNHKに入ってまずはデスクワークをしていた時に、放送局に入ったからには若いうちに番組を作ってみたいなど口走ったおかげで、テレビ音楽部とかに移されました。恐ろしそうなディレクターが多い時代だったのでテレビは出来ませんと尻込みしたのですが、志望者が多い部門にせっかく選ばれたのだからやって見ろと説得され、ドーモドーモよろしく!といった調子で短期間でアシスタント業を卒業し、初めて自分の番組を持たされたのが、初期の教育テレビ、土曜日の夜の新番組「音楽の歴史」という30分番組です。当時の部長の発案とかの番組で大変な重荷に感じましたが、やるからにはこちらも覚悟を決めて大きく出ました。部長に向かって、放送期間中は他の番組はやりたくない、僕だけの専任のアシスタントを付けることという二つの欲張りな要求を聞き入れてもらって丸2年間、約100回の番組を作ったのです。
 いくら音楽好きといっても所詮はアマチュアの僕です。この機会に必死になって音楽史の勉強と並行し、音楽史の流れに沿っての適任の学者や評論家の先生たちに登場をお願いしながら、お話や演奏、時にはオペラや舞踊なども挿入したりして何とか責任を果たしたのです。企画から仕上げまで、テレビ作りは雑用も多く、寝る時間もないほどの大変な仕事ではありましたが、この仕事のおかげで、音楽史だけでなく、芸術文化全般の流れも社会の流れと密接につながっているということを実感させられ、さらに物作りの極意をも体感させてもらったような気がします。
 その後、シンフォニーの番組、さらにポピュラー音楽番組も手がけ、いまでも放送している「芸術劇場」でオペラやバレエ、さらに当時はまだまだマイナーだったモダンダンスまでもとりあげるようになったのですが、まず最初にやらせてもらった番組で、何事につけても基礎が大切だと思い知らされていたのがよかったのです。そして平凡な才能の僕でも、専門的知識の豊かな仲間たちに混じって何とか偉そうに番組を作りつづけられたのは、「僕は視聴者代表だからネー」などとふざけながらも、人一倍努力したからと思っています。凡人でも、いや凡人だからこそ努力が大切なのではないでしょうか。
 NHKでは全国の老若男女の視聴者のかたがたのために、バレエの番組でも「白鳥の湖」をはじめとする名作を中心に放送しなければならないのは当然でしょう。僕も古くは谷桃子さんがオデットを踊る公演や、亡命前のマカロワが踊ったキーロフ・バレエ来日公演の「白鳥の湖」などを放送しています。そういえば亡命前の若さ溢れるバリシニコフの「ドンキ」、逆に晩年の老成したヌレエフの舞台なども放送しました。当然のことながらこれらのテープは権利問題などで残ってはいません。念のためお伝えしておきます。
 さてと、20世紀は実験の世紀といわれました。僕もネタさがしを兼ねてたびたび新しい芸術を発表する演奏会場や劇場を訪れました。あちこちでいろいろな前衛的な舞台に巡り合いましたが、奇を衛っただけのウソ物だけでなく、当時の新しい芸術を創造しようと意欲十分の本物もたくさんありました。いい悪いはとにかくたくさん見たり聞いたりする間にわかってくるんです。そしてこの中からテレビの視聴者のかたがたにぜひ見ていただきたいと思う芸術を生み出す逸材やその作品を時に応じて放送するのもNHKの任務だともいえましょう。
 30年以上も前、舞踊作家の横井茂さんはシェークスピアのバレエ化などで数々の賞を受けていました。僕も芸術祭主催公演での新進の森下・清水が踊る「ロメオとジュリエット」を放送したりしています。僕はある時、武満徹作曲の「ノヴェンバー・ステップス」と「エクリプス」の2曲を使って、横井さんに、得意の物語バレエでなく抽象バレエを委嘱して見ました。スタジオでの気迫のこもった収録。これは実験では終わらなかったと思っています。いっぽう当時のポストモダンやポップアート風なダンスの先駆者ともいえる若松美黄さんに突撃し、「育児のしおりー正しい離乳」という小品ができました。題名からは想像できないハチャメチャな愉快作でした。そして才女雑賀淑子さんにもお洒落な作品をお願いしました。あのころ、NHKでは「NHKバレエの夕べ」という年1回の催し物があったのですが、このお三人にも新作をお願いしたのもいまではいい思い出になっています。
 それ以前からも僕は年に2回ぐらいは先鋭的な舞踊を放送しています。NHKの偉い人たちはダンスは難解だとして興味を示しませんので、治外法権を利用して、自由に企画を進めることができたのです。でも、放送後が大変です。早くには台頭期の庄司裕さんの「祭礼」の音楽の使いかた、厚木凡人さんの「PACK」の内容などが問題になりました。放送翌日の月曜などは、ウント偉い人が喫茶室でコーヒーをごちそうしてくれて、「藤井君 ゆうべの放送はあれは芸術ですか?」などとたずねます。ヒヤヒヤしながらも「ああいうのがいま注目されているんです」とこちらも答えます。偉い人は自分の地位もかかっているから心配だったのでしょうね。大組織とはそういうところです。
 ということもあり、いつもはまともに、そして時には過激にと変化つけながら仕事を進めたのですが、忙しすぎて体調を壊したのを機会に、気兼ねなくお花見がしたいなどとの口実を設けて早期退職をさせてもらったのです。退職に当たり、NHKの仕事を優先するという約束をし、それは世紀末まで実行しました。退職前から新聞や雑誌に批評や評論のようなものは書いていたので、肩書きがなくても見たり聴いたりの機会も多かったので、各種ジャンルの芸術を見聞している間に、その楽しみかたはかなり上手にはなっています。そしてわれわれは長い人数の歴史で想像を超えるような天才たちがのこしてくれた大いなる遺産を享受しないという手はありません。僕は皆さんよりも恐らく年長でしょう。皆さんの人生全般とはいえませんが、舞踊だけでなく各種芸術の楽しみかたを、時に応じて対話をさせていただくように雑文を書いて来ました。万物には歴史があり、ささやかに生きている僕にもそれなりの歴史があるのです。
 そして僕も21世紀にまで生き延びることができました!。近年とかく新しいものに目が行きます。前衛芸術などという言葉は古くなり、先端芸術などといわれます。これは時を追って芸術がとんがってくるからでしょうか。
 各種の芸術の世界では、その芸術の持つ従来からの枠組みからはみだそうとしている芸術が続出しています。彼らはその時代の先端を走ってリードしようという意欲をあらわにします。スポーツの競技のように先端を走ればいいというわけではありませんが、この人たちのおかげで芸術の領域が広がって行くのでしょう。芸術間の境界線が低くなって来ているともいえましょう。
 芸術家だけでなく観客もあちこちのジャンルを見ていなくてはなりません。美術は美術館から外に出るし、舞台芸術も劇場から外に出ています。おれは街角でアートを作っている、私はガード下のアーティストよという人もいます。アートという言葉は便利ですね。「たけしのだれでもピカソ」のお花の中に顔があるマンガチックなオープニングタイトルの作者、村上隆氏などは新しいアートの旗手かも知れません。新しいアートは商店街のお店のシャッターにも描かれています。むかしならば、エッ、これが芸術?といわれたものも大手を握っているのが現代です。だから観賞するほうも気楽に楽しみましょう。ただそういったアートやパフォーマンスは一過性になりそうな危険もあります。しかしそんなところにも新しいアートの魅力があるような気もします。
 古い新しいにかかわらず、芸術というものをただ単純にキレイだわー!というのもよいのですが、芸術の歴史を多少なりともわきまえていれば、楽しみも倍増どころか想像以上にふえるものだと確信しています。
 舞踊について再考しますと、古典の場合と異なって現代物は一筋縄では行きません。この深刻な時代に楽しいものを作る必然性が増しているはずですが、楽しく作るには巧妙な手法が必要ですので、作者からはとかく避けられてしまう傾向もあるのです。そしてとかくシリアスなものが作りやすく評価されがちな現代です。一般のかたがたはコンテンポラリーダンスなどというと、業界の人のもの知的に見せたい人のものだとして敬遠する向きもあるのですが、こわがる必要はありません。現代芸術は往々にして作者本人もわかっていない場合も少なくないのです。それに対して観客はさまざまなものをたくさん見ていれば、それぞれの違いを見分けられるようになって来ます。そして時がたてば自分のものにすることすらできましょう。
 ダンスをものにするにしても若いうちに視野を広く持つことも必要でしょう。僕たち日本人はどうしても芸術に対して真面目すぎるというか、緊張してしまう場合が少なくありません。自分がこれが好きだとか専門だとか決めてしまったジャンル以外にあまり時間をさきません。しかしどんどん窓を開けて外を見ることで世界を広くしたほうが、将来になってから得をするような気がするのです。現在は他芸術に先んじて楽しさを記録している美術の世界などは狙い目ともいえます。舞台を見る以外にも他の芸術にも、さらに日常生活でも美を見つけるのです。そしたら舞台を見る場合にもふだんは見えないものまでも見えてくるのです。すると人生はもっと楽しく美しくなるはずです。
 この「今週の評論」、もう3年半だって?僕はタイトルどおりの「評論」というよりも、思いついたことを書きつらねさせていただいたようです。しかしそれなりに心情を込めて、心血を注いで書いてきたつもりです。いつも同じようなことをくり返したのは読者のスピーディな変化も予想するだけでなく、僕が常日頃心の底からそう思っているからなんですのでどうぞお許しください。
 そして新しい欄では先述した横井さんや若松さんそして雑賀さんも加わってくださるとか。逸材が巨匠となってどんな人間的魅力を発揮してくださるか楽しみにしています。

 




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