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うらわまこと
 
Vol.8 「舞台にでた体験から 
  - 役作りの重要性
2000年6月27日
 

前にも少し触れたと思いますが、先般あるところ(コデマリスタジオ)の発表会にでました。批評家といいながら舞台に出るのか、というご意見もあるでしょうが、私としてはこんなふうに考えています。まず本公演でなく発表会であること。そこで、舞台作りのプロセス、そして舞台で踊り、演技するという感覚を忘れないために。
私は40年前まではダンサーでした(プロフィール参照)。その後もほんの時々ですが発表会で役をやらしてもらっています。今回は約10年振りです。もちろん、舞台の経験がなければ批評はできないということはありません。でも、楽譜が読めたり、楽器がひけるということが音楽批評にとって決してマイナスではないように、舞踊でも同じだと思います。もちろんどこかに所属したり、現場寄りにならないように心すべきですが。
さて今回の私の役は「くるみ割り人形」の1幕では市会議長、クララとフリッツの父親でクリスマスパーティーの主催者です。ここではお客たちとの踊りもありますが、芝居が主体です。ドロッセルマイヤーは吉田隆俊氏、相手に不足はありません。実は吉田氏とは、「シンデレラ」の継母と父親、「眠れる森の美女」のカラボスとカタラピュットなどで共演したことがあるのです。夫人は松川奈々さん、若く美しいダンサーです。
とくに古典バレエでは芝居の部分が大事です。オペラが歌劇、バレエは舞踊劇というくらいですから。したがって最近の演出では、たんに踊りを見せるだけでなく、作品のドラマ性、ストーリーの整合性に力を入れるようになりました。ピーター・ライトの「ジゼル」はそのいい例です。
私はよくこういうことをいいます。せりふが聞こえるような演技、と。これは私の趣味かもしれませんが、うまい芝居のやりとりは、踊りと同じように楽しいし、そこに生まれるドラマには強い感動を受けます。せりふは棒読みではいけません。感情のこもった表現が必要です。棒読みでも意味は通 じますが、ドラマの面白さは伝わらないのです。バレエでも同じではないですか。このためには表現の訓練も大事ですが、まず役になりきることです。決められたマイムをやるのでなく、その時の状況のなかでその役の人物がなすべき言動を行うのです。もちろん客席に分かるよう配慮は必要ですが。芝居のやりとりで、交互にマイムを行うだけで、相手の演技には何の反応も示さない(突っ立ち)という舞台を時々みうけます。役になりきっていれば、相手のいうことに表情か動作か、なにか反応があるはずです。
さて演出の大竹みかさんは、私にいろいろな役割を与えてくれました。ドロッセルマイヤーが正体を隠して登場し、それが明らかになる時のやりとり、男の子たちが女の子たちをいじめるのを止めて叱る場などいろいろです。このような表現には決められたマイムはありません。しかし、自分がどういう人物でどのような状況にいるのかを理解すれば、自然に演技はでてきます。たとえば「だれだろう?ああそうか彼じゃないか、どうもどうも、良く来てくれました」、「こらこら、静かにしなさい。ほんとうにしょうがない子たちだ」、こんなせりふを心の中でしゃべりながらやると、いろいろなジェスチャーが自然にでてきます(「くるみ-」を知らない人でも、いっていることはお分かりと思います)。
後で先輩や仲間たちから、「子煩悩で生真面目なお父さんの性格がよくでてた」、とか「話が良く分かって面 白かった」とか、「ほんとにパーティーを仕切っているようだった」、などといわれました。もちろん大半はお世辞でしょうし、ここであげた点についてはそれほど作品の本質にかかわるものとはいえませんが、一般 論としてこのようなことはとても大事だと思います。大変いい体験をしました。




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