D×D

舞台撮影・映像制作を手がける株式会社ビデオが運営するダンス専門サイト

 

ニュース・コラム

ロンドン在住・實川絢子の連載コラム「ロンドン ダンスのある風景」

ロンドン ダンスのある風景

Vol.13パリ・オペラ座バレエ『ドガの小さな踊り子』

 6月後半からあまりロンドンにいることがなかったので、今回は番外編で、パリ滞在中に観たパリ・オペラ座バレエ団の公演について書こうと思う。ロンドン―パリ間は、ユーロスターでたったの2時間強。東京―大阪間よりも短時間で海の向こうに行けてしまうのには、やっぱり毎回感心してしまう。

 バレエの〈殿堂〉とも言うべきオペラ座ガルニエ宮は、訪れたのは今回が2回目だったが、1875年に完成したネオ・バロック様式の荘厳な建物は、入るだけで気分が高揚してくる。座席数はロンドンのロイヤルオペラハウスよりもずっと少ないものの、劇場へ至る大階段、劇場内のシャガールの天井画や大きなシャンデリア、そして光り輝くグラン・サロンなど、オペラ座の豪華絢爛さは、やっぱりロンドンのオペラハウスの非にならない。
 今回鑑賞したのは、2003年に初演されたパトリス・バール振付『ドガの小さな踊り子』。オルセー美術館所蔵のドガの代表作「14歳の小さな踊り子」像と、1990年代後半にオペラ座の調査で明らかとなった彫刻のモデル、少女マリーの人生からインスピレーションを得て制作されたバレエである。ドガが鋭く観察した、芸術と売春が紙一重だった19世紀パリバレエ界を描いた物語を上演するのに、パリ・オペラ座ガルニエ宮ほどふさわしい舞台はないだろう。

 貧しい移民の両親の下に生まれたマリーは、父親の死後、将来裕福なパトロンに家計を助けてもらうことを目的に、母親によって、姉妹とともにオペラ座バレエ学校に入れられた。それでも生活は苦しく、母親はマリー姉妹に、芸術家のモデルになることを命じ、はてはキャバレーに送り出して窃盗、売春を行わせる。マリーはオペラ座の舞台に立ち始めた頃、窃盗罪で捕まり、オペラ座を追放され、洗濯女となる。こうした一連の出来事を目撃していたのがドガであり、ドガは踊り子の夢と現実、無垢さと傲慢さをひとつの彫像の中に閉じ込めたのである。そして、このマリーの悲劇的人生が、そのままバレエ作品『ドガの小さな踊り子』の基本的なあらすじとなっていた。
 幕が開けると、美術館に置かれた〈小さな踊り子〉の像が現れる。ガラスケースに入れられたドロテ・ジルベール扮する彫像は、微動だにせず、本物の像のよう。そこへ踊り子の人生のキーとなる人物である、母親、エトワール、バレエ教師、オペラ座のパトロン、そし て黒衣の男(ドガ)が現われ、彼らが踊り子の悲劇を語っていく。ガラスケースの中に閉じ込められた踊り子の像は、いつの間にか、社会の犠牲となって文字通り自由を奪われた少女マリーとなって魂を取り戻し、ガラスケースから出ようともがく。

 この日のキャストは、ドロテ・ジルベール(踊り子)、マチュー・ガニオ(バレエ教師)、メラニー・ユレル(母親)、カール・パケット(パトロン)、ベンジャマン・ペッシュ(黒衣の男)など、オペラ座を代表するそうそうたる面々が勢ぞろい。見慣れている国際色豊かな英国ロイヤルバレエと比べて、身体的条件が見事に揃っているオペラ座バレエ団の足裁きの美しさにはやはり目が釘付けになった。
 特に踊り子役のドロテ・ジルベールは、憧れのエトワールのダンスを影からこっそり見ているときの、いたずらっぽく動く好奇心いっぱいの目や、まだまだ子供なのに精一杯パトロンを誘惑しようと試みる健気な演技が絶妙で、重苦しい悲劇の中で、一筋の光のように輝いていた。ただ、このうえなくパリ・オペラ座にふさわしい題材に思えるバレエながら、作品としては、デニス・ルヴァイヤンによるオリジナル音楽が、最初から最後まで重くぼんやりとしていて、シーンによってはもっと19世紀の活き活きとした雰囲気を出しても良かったのではと思えてならなかったのと、ヌレエフの振付を髣髴とせる、容赦ないクラシックのステップの連続が印象的なバールの振付が、終始表面的で、ドラマに結びついていないように思えた点が少し残念だった。同じ19世紀を舞台にしたメロドラマなら、官能的、時に暴力的なステップがドラマと密接に結びついたマクミランの『うたかたの恋』のほうがはるかに説得力がある。

 とはいえ、終幕、オペラ座から追放されて洗濯女となり、夢も希望も失った踊り子の上に白い布が降りかかり、黒衣の男(ドガ)の手によって彼女の人生が芸術作品として永久に留められることになるシーンはなかなかドラマティック。再び踊り子が、幕開きと同じ彫像そっくりのポーズでガラスケースの中に閉じ込められるのだが、一連の彼女の人生を見る前と後では、自由を奪われたかのように手を後ろに組んだ踊り子のポーズの重みが全く違って見えた。
實川絢子
實川絢子
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。現在、翻訳・編集業の傍ら、ライターとして執筆活動を行っている。