Vol.14英国ロイヤルバレエ団『不思議の国のアリス』世界初演特別ガラ
3月になってもまだまだ寒い日の続くロンドン。今、そんな寒さを吹き飛ばす勢いでロンドン中の話題となっているのが、ロイヤルバレエ待望の新作バレエ、『不思議の国のアリス』だ。ロイヤルバレエ団が新しい全幕バレエを手がけるのは、なんと1995年の不成功に終わったトワイラ・サープ振付の『Mr. Worldly Wise』以来16年ぶり。それだけにこの作品に対する内外の期待は相当なもので、それこそナタリー・ポートマン主演の映画『ブラック・スワン』効果でバレエが大々的に世間の話題になる前から、この作品はメディアにも数多く取り上げられ、チケットも早々と完売するほどの注目を集めていた。
この作品の売りのひとつは、英国の才能を結集した〈オール・ブリティッシュ〉プロダクションということ。英国を代表するルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を題材にしているというだけでなく、振付にはロイヤルバレエ団出身でニューヨーク・シティ・バレエ団初のレジデント・コレオグラファーとなった英国人振付家クリストファー・ウィールドン、音楽には映画やテレビドラマの音楽を数多く手がけるジョビー・タルボット、シナリオには英国ナショナルシアター等で活躍する劇作家ニコラス・ライト、美術には数々の作品でトニー賞を受賞しているボブ・クローリーというそうそうたる英国人アーティストを起用。さらにファースト・キャストではバレエ団唯一の女性英国人プリンシパル、ローレン・カスバートソンがアリス役に抜擢されるなど、近年ますますマルチ・カルチュラルになっていく英国ロイヤルバレエ団において、ここまで〈英国性〉を前面に出したプロダクションというのはなかなか珍しい。
(写真左・右)[Copyright : ©ROH] [Photographer: Johan Persson]
原作の『不思議の国のアリス』の魅力と言えば、何と言ってもその言葉遊びの面白さ。ストーリーとしてはエピソードに次ぐエピソードが展開するばかりで、バレエの原作としてははっきり言って不向きなこの作品を、言葉の面白さ抜きにどうバレエに〈翻訳〉できるのかが非常に興味深いところだった。この問題を解決するためにシナリオを担当したニコラス・ライトが取った方法は、アリスの年齢を15歳に上げて恋の相手を登場させ、バレエ向きにストーリーラインを明確にすることだった。バレエのプロローグの舞台は、1862年のオックスフォード。ガーデンパーティーで、アリスに思いを寄せる庭師のジャック(トランプのハートのジャックと二役)が、アリスの母親(ハートの女王と二役)にジャムタルトを盗んだと疑われて首にされるシーンから始まる。パーティーのゲストであるルイス・キャロルが、傷心のアリスを慰めようと写真を撮ると、キャロルは白ウサギに変身し、カメラバッグの中へ消えてしまう。アリスはウサギの後を追ってカメラバッグの中に入ると、中は長い長い穴になっていて、アリスは不思議の国に落ちていく。アリスはトランプの〈ハートのジャック〉となったジャックを探す旅の途中で、原作に出てくる不思議なキャラクターたち(現実世界のキャラクターと二役)に出会っていく、と言う筋書きだ。
一幕で客席が沸いたのは、いかれ帽子屋に扮したロイヤルバレエきってのテクニシャン、スティーブン・マックレイのタップダンス。2003年のローザンヌ・コンクールで第一位に輝いた際に披露していた得意のタップダンスだから、バレエファンには堪らなかったはずだ。こうした熱心なバレエファンを喜ばせるような色々なトリックが、他にも随所に散りばめられていて、中でも一番盛り上がったのは第二幕でのハートの女王が、首を切られまいかと恐れおののくトランプカードたちを相手に踊る『眠れる森の美女』のローズ・アダジオのパロディだった。バラならぬジャムタルトをわしづかみにしながらパートナーを代えてバランスを取っていくシーンでは、客席は大爆笑に包まれ、この役をコミカルに演じてみせたプリンシパルのゼナイダ・ヤノウスキーは、アリスを抑えて完全にこの夜のスターとなってしまった。
(写真左・右)[Copyright : ©ROH] [Photographer: Johan Persson]
振付は、クラシックを基本にしたパが、それぞれのシーンを絶妙に表現する見事なタルボットの音楽と調和していて、特にイリュージョンを使ってアリスが大きくなっていくように見えるシーンや、背中のしなりを活かした青虫の踊り、ハートの女王による『カルメン』のパロディ風ソロなどは見ごたえがあった。ただ、作品全体を通しての踊りはドラマ性に欠け、エピソードやキャラクターをひとつひとつ文字通りなぞるように描写するだけに終始してしまい、やや単調なところがあったのが残念だった。個人的には、「不思議の国」を舞台にするなら、バレエファンだけが内輪でわかる安直な笑いに走るよりも、踊りそのものにもっと大胆な動きを取り入れても良かったのではないかと思ったが、失敗の赦されない16年ぶりの全幕バレエでは、安全な方向へ向かわざるを得なかったのかもしれない。話の核となるはずだったアリスとジャックのラブ・ストーリーも、結局他のキャラクターを登場させるための導線以上の深みがなかった点が惜しかった。
各紙の舞台評でも評価はまちまちだったこの作品だが、それでもロイヤルバレエ満を持しての新作は、興行的には大成功だったようだ。今後この作品が、マクミランの『ロミオとジュリエット』のように、英国を代表するバレエとして永く上演され続けていくかと問われれば、やや疑問を感じざるを得ないが、たくさんの個性の強いキャラクターが登場するこの作品は、層の厚い今のロイヤルバレエ団のダンサーの魅力を堪能するのにはもってこいと言えそうだ。
2月28日の世界初演特別ガラは、ツイッターやブログで舞台裏をリアルタイムに中継したり(http://blog.roh.org.uk/?p=2147)、オペラハウス全体ががアリスをテーマにデコレーションされたりと、新しい試みで新作バレエの上演を一層盛り上げたことでも話題になった。ちなみにこの『不思議の国のアリス』は、ナショナル・バレエ・オブ・カナダとの共同制作作品で、6月にカナダでも上演される予定。
實川絢子
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。現在、翻訳・編集業の傍ら、ライターとして執筆活動を行っている。
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。現在、翻訳・編集業の傍ら、ライターとして執筆活動を行っている。
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