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ニュース・コラム

ロンドン在住・實川絢子の連載コラム「ロンドン ダンスのある風景」

ロンドン ダンスのある風景

Vol.2310月13日ロイヤルバレエ「白鳥の湖」

ロイヤルバレエの2012/13シーズンがついに開幕した。今季は、長年ロイヤルバレエを率いてきたモニカ・メイソン氏の後を引き継いでケヴィン・オヘア氏が新監督に就任、そして、ここ数年バレエ団を代表するプリンシパルとして活躍してきたタマラ・ロホが退団して初めてのシーズンということで、ロイヤルバレエ団は今まさに、変化の時を迎えている。新旧さまざまなプログラムがラインナップされているなか、新時代の幕開けともいえる今シーズン最初の作品に、クラシックバレエの代名詞ともいえる古典「白鳥の湖」を選んだオヘア氏の潔さが清清しい。

カルロス・アコスタとの卓越したパートナーシップを築き上げてきたタマラ・ロホ不在の今、ゲストダンサーとして「白鳥の湖」アコスタの相手役に選ばれたのは、今まさに世界中で話題の若手ロシア人バレリーナ、ナタリア・オシポワ。ボリショイの神童と呼ばれたダンサーは、二年前のロンドン公演の「ドン・キホーテ」でパートナーのイワン・ワシリーエフとともにロンドンの観客の前に鮮烈なデビューを果たし、昨年の「ロミオとジュリエット」ロンドン公演でもダイナミックな演技で大きな話題を呼んだ。日本でも、この夏世界バレエフェスティバルで十八番の「ドン・キホーテ」を披露したばかりで、今や押しも押されぬ世界のトップ・バレリーナとなったオシポワ。アコスタと渡り合えるバレリーナはなかなかいないだろうと懸念されたなか、スターの貫禄で王子役がやや霞んでしまうほどの堂々としたオデット/オディールをオペラハウスの舞台で披露した。

体操選手並みと称されるずば抜けた身体能力で、アクロバティックな役柄を得意としてきたオシポワだけに、正直なところ公演前はあまり白鳥のイメージが持てなかったものの、この予想はいい意味で裏切られることになった。常に百八十度近くまで上がる足、高さある跳躍、しなやかな背中、高速での回転、安定したバランスといった技術は、単に客席を沸かせる派手なパフォーマンスにとどまることはない。白鳥を踊るオシポワの繊細なポワントワークや、想像していたよりもずいぶん抑えられていた優美なアームスの動き、そして豊かな顔の表情を見れば、目を見張る技術はあくまで彼女の卓越した表現の一形態にすぎないということがわかる。小気味良くクリアなステップを次々繰り出すオシポワは、ストラディバリウス並みの優れた名器であると同時に、それを細部にわたるまで使いこなして、音楽を、そして物語をたくみに表現することができるアーティストなのだ。

もちろん黒鳥のパ・ド・ドゥでは、三十二回連続のグラン・フェッテ・アン・トゥールナンで前半十六回転全てを超高速のダブルにするなど、観客の期待に十分に応えることも忘れていない。しかしそれにもまして印象的だったのは、オシポワのオデットが、ピュアで儚い白鳥という印象はあまりなかったものの、ひとりの男性を受け入れ、愛することを決意した女性としての凛とした強さを感じさせ、神秘的な魅力と同時に現代的な女性らしさもたたえた白鳥の女王を体現していたことだった。

現代の観客に訴えるストーリーとして「白鳥の湖」を解釈したマシュー・ボーンは、白鳥と黒鳥の対比を、聖女/娼婦といった真逆のキャラクターを持つ二人の女性としてではなく、黒鳥を一人の人間の中に潜在するオルター・エゴ的な側面と捉えて物語に説得力を与えたが、シルヴィ・ギエムやオシポワのような意志の強さを感じさせる白鳥をみると、結局のところオデットもオディールも、強さと弱さを併せ持ったひとりの女性であることに変わりなく、実は白鳥と黒鳥の差はほんの紙一重なのかもしれない、と思えてくる。

来年夏には、ロイヤルバレエ団来日公演で上演が予定されているアンソニー・ダウエル版の「白鳥の湖」。プティパとイワーノフの原点に忠実とされている振付演出には、白鳥の群舞の中に黒鳥が混ざっていたり、モヒカン刈りのロットバルトやグロテスクな小人が登場したり、王子の家庭教師が酔いつぶれてしまう場面があったりと、退廃的、一歩間違えば悪趣味なサーカスのようにも見えそうな部分もあって色々と批判されるところも多い。アシュトン振付のナポリの踊りや豊富なマイムなど、英国らしいバレエ作品にはなっているものの、批評家たちの間では、同時期に上演されていたバーミンガム・ロイヤルバレエ団のピーター・ライト版の方が、よりシンプルで洗練されており、プロダクションとしての評価は高かったようだ。実際、今回の主役二人のようなスター性十分の踊りであっても、ダウエル版の演出・美術だと、不必要とも思える要素が盛り込まれすぎて、観客の注意が物語からそがれてしまう場面が多々あったのが残念だった。粒ぞろいのロイヤルバレエ団の個性を最大限に活かし、周囲が主役の二人を盛り立て、全幕バレエの醍醐味がぞんぶんに楽しめる「白鳥の湖」を実現するには、そろそろ改訂が必要な時期に来ているのかもしれない。

實川絢子
實川絢子
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。現在、翻訳・編集業の傍ら、ライターとして執筆活動を行っている。