Vol.2610月16日バーミンガム・ロイヤルバレエ団「デヴィッド・ビントレー トリプルビル」
毎年十月は、舞台芸術の新シーズンということで、話題作で目白押しとなるロンドン。今季はロイヤルバレエ団の新作「ドン・キホーテ」、イングリッシュ・ナショナル・バレエ団の新作「海賊」といった古典リバイバルが話題を集めているが、そのなかでバーミンガム・ロイヤルバレエ団は、芸術監督であるデヴィッド・ビントレー氏の振付作品のみで構成されたトリプル・ビルを上演し、その独自の個性を前面に押し出した異色のプログラム構成でロンドンの観客を魅了してみせた。
ビントレー氏といえば、近年新国立劇場バレエ団の芸術監督も兼任し、古典一辺倒となりがちな日本のダンサーたちに多様なバレエ作品を踊る機会を与え、日本バレエ界の成長にも大きく貢献してきたことでも知られている。今回のトリプル・ビルは、ビントレー氏が18年間拠点としてきたバーミンガム・ロイヤルバレエ団のダンサーたちが踊るビントレー作品をまとめて鑑賞する貴重な機会であると同時に、改めてビントレー氏が目指す英国バレエとは何かを改めて提示してくれた。
一作品目は、2009年に発表され、サウスバンク・ショー・アワードを受賞した「E=mc²」。今年の新国立劇場の公演で日本でも上演された、ビントレー氏近年の代表作である。アインシュタインの相対性理論の方程式をバレエにするというまさに実験的な試みで、幅広いテーマを扱うことで知られているビントレー氏が、物理学という新境地を開拓した。方程式の通り、爆発するエネルギーを細かな手の動きや跳躍で見事に表現したエネルギー〈E〉、重力を意識させるような滑らかな動きが秀逸の質量〈m〉、まぶしい照明とともに素早い動きで見せる光速度の二乗〈c²〉という三つのダンスで構成されるが、そこに〈マンハッタン計画〉というミステリアスなパートを取り入れたところがビントレー流。広島や長崎を髣髴とさせる爆発音にのせて着物風の衣装を着た女性ダンサーを踊らせ、この方程式の〈負の事例〉を見せたところに、英国と日本を行き来するビントレー氏の日本への思いを感じ取ることができた。
光速度の二乗〈c²〉のパートで中心となるペアのひとりを踊ったのが、若手日本人ダンサーの水谷実喜。スポットライトの強烈な光をバックに、それにも負けない明るさと素早さで光を表現していた。
二作品目は、ビントレー氏のアシュトン卿へのオマージュ的な抽象バレエ作品、「Tombeaux」。〈墓〉を意味するこの作品は、一九九三年初演当時ロイヤルバレエ団で常任振付家をしていたビントレー氏が、バレエ団との芸術的志向の相違から、ロイヤルバレエ団との決別という意味をこめて〈英国バレエの死〉をテーマにした異色の作品である。
アシュトン卿やニネット・ド・ヴァロワ女史が築いた英国バレエの伝統とは異なる方向へ向かっていく一九九三年当時のロイヤルバレエ団を懸念したビントレー氏。〈死〉をテーマにしながらも、作品は絶望的なわけではなく、そこにはビントレー氏が理想とする英国バレエの結晶ともいえる姿と、そこにこめられたビントレー氏の希望が見えてくる。アシュトン振付「バレエの情景」に似た構成のほか、アシュトン作品に数多く見られるフレッド・ステップ(アラベスク―デヴェロッペ―パ・ド・ブレ―パ・ド・シャ)やチェケッティ式のアームス、そしてかつて英国バレエで多用されたアントルッシャ・シスやブリゼを散りばめ、どこまでもピュアで美しいクラシック・バレエが、英国バレエの伝統を通して現代にしっかり息づいていることを証明してみせた。クラシック作品を得意とするプリンシパル佐久間奈緒が、珍しくいくつかミスが目立ったもののリフトで印象的なフォルムを残し、叙情的な英国バレエの美を表現した。
ちなみに暗い森をイメージしたかのようなデザインは、英国人デザイナーのジャスパー・コンランによるもの。ヴェルヴェット生地のコルセット風のボディに、黒と青のグラデーションとなった短めのチュチュという衣装も、シンプルでありながら洗練されたモダン・クラシックを体現しており、なかなか強いインパクトがあった。
トリプル・ビルを華やかに締めくくったのは、日本でも新国立劇場バレエ団が上演して知られることになったビントレー氏の代表作、「ペンギン・カフェ」。ペンギン・カフェ・オーケストラによる軽快な音楽にのせて動物たちが踊る姿は一見チャーミングであるが、彼らは実は人間の身勝手さにより絶滅してしまった動物たちであり、作品が持つメッセージ性は非常に痛烈である。環境問題、物理学、英国バレエの究極の美―――一晩でこれだけ多様な作品を目の当たりにし、改めてビントレー氏が、アシュトン、マクミランの系譜を継ぐ21世紀英国バレエの担い手であることを再確認することができた。
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。現在、翻訳・編集業の傍ら、ライターとして執筆活動を行っている。