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先日、ロシア国立バレエ団の初来日公演の舞台を見ました。初来日の舞台なのに何だかとても懐かしい感じがしたのです。というのは、実は僕はこのバレエ団の舞台を早くにモスクワで見ていたのです。さらには、友人たちと香港からシンガポールに行った時に、ロシアバレエ団がインドネシアのジャカルタで公演していると知って、友人たちと別れてジャカルタに見に行ったこともあるのです。インドネシアで「白鳥の湖」の上演は初めてだとかで盛り上がっていました。日本で「白鳥の湖」全幕が上演されたのは昭和21年(1946年)のことですから、それより50年近くあとになります。日本もバレエ先進国かなあと思ったりもしました。ソ連がロシアに戻った直後で、このころからロシアでは多くのバレエ団が生まれたのですが間もなく消えてしまったのも少なくありません。ところがこのバレエ団はゴルデーエフの厳しい指導のもと、優れた舞台を上演して生き残り、現在でも発展をつづけています。 ゴルデーエフ版「白鳥の湖」は伝統的な振付・演出を打ち出し、アサフ・メッセレルら先人の演出も採用するなど、研究の成果も見せていて納得の行くものだったのです。 バレエ団の中に、日本人の千野真沙美、岩田守弘、佐々木大の3人がいて、パ・ド・トロアや道化などで活躍して大拍手を受けていました。外国で日本人が人気を集めているのは正直いって嬉しいものです。3人はその後、別々の道を歩み、千野さんはこのバレエ団の要人となり、岩田君はボリショイで健斗中、佐々木君は帰国していまや大スターとなっていますが、これもゴルデーエフの優れた指導力のおかげもあると思います。その後も日本人が参加していると聞きます。 ゴルデーエフはボリショイ・バレエの現役時代にたびたび来日しています。体格は大きいとはいえませんが、基礎がしっかりした上に役柄にふさわしい表現を見せていました。ボリショイの監督も経験し、自らのバレエ団の充実も図っての彼の振付・演出は、古典は古典らしく、そして創作は自らの主張をわかりやすく伝えようとの前向きの姿勢が見えました。今回のプログラムは前半が小品集、後半が「シュヘラザード」という構成でしたが、この中でボリショイ・バレエの初来日当時の作品もあったのでさらに懐かしく思えたのでしょう。 前述のように日本では1946年に「白鳥の湖」全幕が上演されたのですが、これがキッカケでバレエ熱が盛り上がったのは周知のことです。当時一致団結したように見えた日本のバレエ界ですが、個性的な芸術家たちは各人各様の人生観、舞踊観を持ち、自分の主張を貫きたい、主役を踊りたい等々の理由で、バレエ団の分裂がつづいて細分化されて行きました。お山の大将がいっぱい、1人だけのバレエ団というものさえ現れ、反目しあった人々も多かったそうです。 そうこうするうちに昭和32年(1957年)にソ連のモスクワからボリショイ・バレエが初来日したのです。新宿のコマ劇場での初日の公演は観客の中にバレエ人も押し寄せました。そして華やかな舞台、ダンサーたちの妙技は人々を完全に圧倒したのです。来日時のプリマ、レペシンスカヤは日本人と同じように小柄でしたが回転・跳躍何でもOKの超絶技巧の人でした。小品集ではスターたちがそれぞれの得意技を連発させていました。これはソ連時代はバレエは一般民衆のものだという理念があったので、サーカス並みの見せ場が求められたり、社会主義的リアリズムということでわかりやすい物語の明快な表現が主流だったので、バレエを見慣れない日本の観客にもすぐに理解でき楽しむことができたのです。 大喝采で終わった初日の舞台のあと、興奮さめやらぬ日本のバレエ人たちはコマ劇場の近くの喫茶店に自然と集まりました。日頃反目していた人々が異口同音に日本のバレエ界も大同団結して日本のバレエの向上にがんばろうということになり、その2日後には日本バレエ協会の設立の発起人の記者会見が行われたとのことです。これが現在の日本バレエ協会のはじまりです。このことは日本バレエ協会の智恵袋でもあった故・川路明氏が書いておられたのですが、僕はまだ学生だったので、このバレエ界の裏事情は後になって聞いた話なのです。 ボリショイ・バレエ来日の翌年、1958年にニューヨーク・シティ・バレエが来日、2年後にはレニングラード・バレエ(キーロフ・バレエ)が来日するなど続々と外来バレエが登場しました。ところがやはりボリショイの影響が最も大きかったのです。人間は初めて出会ったものの影響を強く受けるようで、当時はボリショイ・バレエの真似が多かったようです。しかしあれから50年近くもの年月が流れ、外来のバレエも多様化し、日本のバレエ人や観客も成長し、自らの判断力を身につけて来たので、ボリショイ・バレエの影響力はなくなってしまいました。20世紀は実験の世紀ということで新しさだけを評価する人々も多くなったりもしたのです。バレエだけでなく他のジャンルの芸術についても同じような傾向がありました。ところが飽きられたり、批評の対象にはならなくなってきたように思われたロシアのバレエが21世紀に観客を集めているのです。これはロシアのバレエが広く一般の人々のものになっていたことの証拠ともいえましょう。初来日のロシア国立バレエ団が多くの観客を集めていたのは、スーパースターのルジマトフがゲストに招かれているからだけとはいえないような気もしたのです。 今回の来日公演の演目を検証してみましょう。ABの2種のプロともに2部から成り、第1部は小品集、第2部は「シェヘラザード」でした。初日の第1部は小品が7曲で巨匠プティパの珍しい作品が2つ。まず「ヴェニスのカーニバル」はプティパの初期の150年も前の作品で成立もよくわからないとか、現在はグラン・パ・ド・ドゥの部分が上演されていますが今回は主役2人のほかに4組の男女が従って華やかさと様式美を加えていました。白と黒の衣装も美しく古典に近代感を与えていました。もう一つの「オンディーヌ」は女性2人と男性1人の踊りで、人間に恋した妖精の悲しみを情緒豊かに描いていました。この二つ、古典を再評価しようとの意欲を感じました。 そして、ボリショイ初来日で上演されて以来50年近く日本人にも懐かしい2作、「ゴパック」はウクライナの民族色の濃い勇壯な男性ソロ、楽しいのひとことです。「ワルプルギスの夜」はグノーのオペラ「ファウスト」の一部なのですが、ロシアでは独立したバレエ作品としての人気作です。1年に1回、魔物たちが集まって夜どおしの乱痴気騒ぎをする場面ですが、ゴルデーエフが手を加えて優美な趣きを前面に押し出してバレエの楽しさを満喫させてくれました。 そしてゴルデーエフ自身の作品が二つ。「盲目の少女」はボリショイ初来日以来、われわれに親しまれているものと全く違うのでびっくり。古くから親しいのは名曲「エストレリータ」によって盲目の少女を優しい青年が導くもので、青年がオイデオイデをすると少女が近づきますが青年の横を通り過ぎてしまって青年がガックリするなどリアルで平明なものでした。ところがゴルデーエフ版は音楽も違い、全体に象徴的で、時代の流れを感じました。もう一つの「パガニーニ」はバイオリンの魔王パガニーニの芸術家としての悩み苦しみの様子を熱っぽく描いていました。ゴルデーエフの芸術家としての苦労が偲ばれる作品といえましょう。第1部だけでも芸術監督としてのゴルデーエフの姿勢がわかります。 そして第2部は「シェヘラザード」。主役の金の奴隷に人気絶頂のルジマトフ、王妃ゾベイダにキーロフのスター、マハリナを招いての華やかな舞台です。1910年のフォーキンによる初演の際に省かれていた第3楽章を加えて、ゲスト2人の濃厚なシーンを見せ場にするなど工夫を加えています。やはり日本のダンサーとは別の思い切った表現は圧巻でした。「シェヘラザード」は日本でも「白鳥の湖」の初演の直後に初演されていておなじみの作品ですが、このところ見る機会が少なくなっているので懐かしく拝見。 今回のロシア・バレエの舞台は一般の観客も楽しんでいるのがはっきり感じられました。必然性なしにかっこつけたわけのわからない舞台が多い昨今、こういう少々古めかしくても楽しい舞台は貴重といえます。こういう舞台があってこそ、新しい意欲的な舞台も生きるのだと思います。 ジャンルを問わず、舞台芸術を長く見つづけていると、むかし見た懐かしいものに出会えます。そして全く同じ舞台でも年をとることによって別の見かた感じかたもできるのです。そして全く新しい作品を見ても表面だけでなく立体的に把握できるのではないでしょうか。 |
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