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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

  2003.11/18
「昔の劇場」

 昔々、ずーっと昔の劇場のことをお話ししましょう。
 最近は、東京のみならず、地方にもすばらしい設備の劇場がありますね。
 昔は、本当におかしいことや、困ったことや・・・・・・いろいろありました。
 まずは私の自己紹介から始めましょう。 
● なぜバレエを始めたか
 小学校三年のとき、私は、回覧板と言う町内会のお知らせを、少し離れたお宅に持って行きました。つまり、子供のお使いです。
 そこは、彰城秀子と言う舞踊家のお宅でした。回覧板を受け取ったのは、彰城秀子先生のママでした。
 「ダンス習いにいらっしゃい!!」
 「ハイッ」
 それが私の六十年に及ぶ舞踊生活の始まりです。
 その頃、先生のおけいこ場は、帝劇の楽屋にあるリハーサル室でした。
 レッスン日になると、先生と私は防空頭巾をかぶり、血液型を記した布を胸につけて、帝劇に行きました。途中で空襲(アメリカの飛行機B29が飛んで来る!!)になると、先生と手をつないで防空壕に飛び込むのでした。戦争がはげしくなり、私は富士山の麓、須走村に疎開、先生は兵隊さんの慰問で踊ったり、軍の工場で働いたりなさいました。
 戦争が終わり、私は先生の所にもどり、先生のグループの一員として、米軍のキャンプ廻り。大人二人、子供二人のグループで、私はハンガリアン・ダンスや、ポパイのセーラー・ダンスを踊りました。私は中一でしたが、栄養不足でやせのチビ。もう一人は、チビで勝気の小学生。その人は、なんと、今の森嘉子さんです。
 毎夜の様に東京駅から、バンドの人たち、歌手、手品師、コメディアンたちと、トラックに乗せられ、米軍のキャンプを廻りました。
 学校との両立は、とても大変でした。私はつかれはて、先生の元を去りました。
 しばらくダンスから離れていたのですが、クラスメートに誘われて、小牧バレエに行き始めました。
 17才で団員にして頂いてから、たく山の舞台で踊りました。
●映画館のこと
 焼け残った映画館も、よくバレエ公演に使われました。
 地方の小さい町の映画館に到着すると、「白鳥の湖」の場合は、二幕のコール・ド・バレエの人数をきめることから始まります。奥行き一間、と言う所もあって、そう言う場合は、6人位が横一列に並んで(うしろのスクリーンにへばりつく様に並ぶ)湖のほとりを踊ります。
 あんまりせまいので、私たち白鳥が飛び交うと混み合って、王子の小牧正英先生が、本当にオデットがどれかわからなくなって、一瞬必死の形相になって捜されたのがとてもおかしくて、宿にかえってから、私たちはその時の先生の顔を真似しては、笑いころげました。若かったのですね。なんでも笑いの種になりました。
 楽屋なんてなく、六疊一間とトイレ位です。そう言う所には、たいていその小屋を愛しているおじさんかおばさんが働いていて、とても親切でした。私たちは、ひしめき合って、着がえたり、踊ったりしました。
 これは小牧バレエではなく、Tバレエ団のお話ですが。「白鳥の湖」をやっていて、第三幕の黒鳥のパ・ド・ドゥの最中に、楽屋番のおばさんが飼っていた、大きなデブ猫が、ゆうゆうと上手から下手に横切った、と言う楽しいネコ・スキャンダルがあります。
●正座で演奏のオーケストラ
 下関の映画館のステージは、小さくはないのですが、客席が疊でした。昔はまだテープレコーダーがなかったから、公演と言うと、ピアニストか、オーケストラがいっしょでした。今思うと、ぜいたくなことですね。
 その時は「眠りの森の美女」で、西から下へ行って、九州を廻りました。
 その映画館はステージが高くないので、疊の上に椅子をおいて演奏すると、踊りがみえなくなってしまいます。それで、全員疊の上に正座して、指揮者は座布団の上に座って、チャイコフスキーの曲を演奏しました。
 お客の入りは良くなく、チラホラ・・・・・・
 一階席の真中におじさんが一人、座布団を枕に横になって顴ているーと言う、すごい「眠りの森の美女」!!
 オーロラ姫は、広瀬佐紀子、笹本公江のダブル・キャスト。小牧先生が早変わりでカラボスとデザイヤー王子。四人の王子は、関直人、横井茂、鈴木武、岩村信雄。私は、ねずみになって、カラボスの車を引っぱったり、花のワルツで男役をやったり、男爵婦人になったり、大いそがしでした。 
 でも一番大変だったのは、オケの人たちです。二時間半もかかる「眠りの森の美女」で正座とは!! さぞ足がしびれたことでしょう。
● やくざ
 九州に渡るとおそろしいことがー
 映画館はまあまあの大きさだったのですが、外には映画のポスターや、ストリップのオネエチャンの絵がかかっています。その間に、小牧バレエ団来る!!「白鳥の湖」の幟り。
 終演後、宿に着いた私たちは大広間に集められました。小牧先生から、全員外出禁止、が告げられて一同驚きました。なんでも、やくざのお兄さんたちが、「バレエ団のやつらの腕と脚をへし折ってやる!!」とすごんでいるとかー
 昔は、興行はほとんど何々組かが仕切っていたので、何かあったのですね。
 組同志のけんか? 小牧先生が相手のメンツを潰した?
 私たち女の子は、恐ろしくて、宿でしょんぼり。男性陣の何人かは、闇にまぎれて、夜の街にさまよい出たらしいのですが・・・・・・
●北国の寒さ
 「白鳥の湖」です。広い劇場でした。楽屋には火鉢が一個。一幕、二幕、三幕は動きが多いのでなんとか持ちました。問題は四幕。
 私たちは、長い長い間ポーズして立っていなくてはなりませんでした。あたりはシンシンと冷えてきます。どこからか冷たい風も吹き込んできます。鳥はだが立ってきました。ふるえが止まらず、歯がガチガチなります。その時袖幕のかげからロットバルトの衣裳をつけた小牧先生のこわーい声がー
 「ふるえるんじゃない!!」
 無理です。先生が本当の悪魔にみえました。
●そして今は
 大小中、様々な劇場、ホール、文化センター。きれいでエヤコンがあって・・・・・・
 この幸せな環境で、バレエがますます充実発展するといいですね。