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  2003.12/18
「トゥシューズと真珠のブローチ」

「トゥシューズと真珠のブローチ」
長い間バレエをやっていると、たく山のすばらしい出会いがあります。今日はその中から、マーゴ・フォンテンと、古今亭志ん生のお話をしましょう。
☆マーゴ・フォンテン
 私が初めてマーゴさんを觀たのは、50年前のパリ・オペラ座。「眠りの森の美女」のマーゴさんは、完璧な美しさでした。
 ローズ・アダジオで四人の王子たちは、下手にかたまり、一人ずつゆっくり歩いて行きます。その間、マーゴさんは微動だにしないで、アティテュードで立っています。オペラ座中がどよめいたのをおぼえています。
 そのマーゴさんが数年後、小牧バレエ団のゲストとして来日、一ヶ月近く舞台をごいっしょしたのです。エレガントなマーゴさんと、少しごつい感じの英国紳士のマイケル・サムスさんは最高のコンビでした。
 マーゴさんの笑い方はちょっと変わっていて「ヘッヘッヘッ」。でもそれがとてもチャーミングで、何があっても「ヘッヘッヘッ」と笑い飛ばして、おしまい!!
 「眠り」の舞台げいこのとき、ソロの出だしがオケと合わなくて、私たちはハラハラしてかたまっていました。何度やってもだめで、私たちはいつ爆発するかーっと、ドキドキしていたのですが、マーゴさんはただ一言、「アイアムアンハッピィ、ヘッヘッヘッ」
 大阪だったと思います。「白鳥の湖」の第三幕のフェッテを、16回位でポアントで立てなくなり、あとは立たないで廻られました。第三幕が終わったとき、私たちは又心配してかたまっていました。
 偉大なバレリーナが16回でフェッテを失敗するー泣きわめくとか・・・・・音楽のテンポのせいにするとか・・・・・どんなことに・・・・・・
 ところが、マーゴさんは、「今日は16回で落ちたわ。ヘッヘッヘッ」でおしまい。
 又、その頃の日比谷公会堂は楽屋が少なく、指揮者、オーケストラ、マーゴさん、サムスさんたちが一部屋ずつとると、残る楽屋は入ってすぐ左の大きい部屋のみ。仕方ありません。
 私たち団員は男も女もいっしょに入り、なんとかゆずり合って着がえていました。
 後半、マーゴさんの自伝の中に、日本の小牧バレエ団は男と女といっしょに楽屋を使う習慣があって驚いたーとあって、私たちもびっくり。いつか誤解をときたい、と思っていたのですがー
 その時、マーゴさんの楽屋には、小川亜矢子さんが入りました。「おそれ多くて・・・・・・」と逃げ廻る亜矢子さんをみんなで説得して押し込めました。英語が出来るし、お手伝いする人がいた方がマーゴさんも何かと便利、と思ったからです。でも、そのおかげで私たちは、マーゴさんの服は全部ディオール、香水はディオリシモ、そしてペチャパイではなく、ちゃんとある・・・・・・とか、いろいろ亜矢子さんから聞き出しました。
 それから又 数年たって、マーゴさんは、ヌリエフと一座を組んで来日されました。
 その頃私は、なれない家事と育児、姑のバレエ反対等で、心身共につかれはて、黒くうす汚れていました。バレエを觀るのもつらい心境でしたが、マーゴさんだからーと出かけました。
 ヌリエフと「海賊」を躍られた直後の楽屋に行きました。マーゴさんの顔をみたとたん、涙があふれてきました。マーゴさんはその私に何もきかず、トゥシューズを片方ぬいでサインして、「ドシ!!」とだきしめてくださいました。
☆古今亭志ん生
 サンケイホールで「たなばた」を上演することになりました。(ホールは今ありません)織女と牽牛の話です。私はプロローグとエピローグをつけたかった。夜空をみながら近所の女の子たちにお話をする御隠居は、志ん生以外に考えられなかった。私は、あたってくだけることにしました。「面白そうだから」とNHKの方が同行して下さいました。東宝名人会の楽屋で、師匠は将棋をさしておられました。私が説明すると、「あっ、いいですよ」と、以外とすんなり。
NHK氏も「よく承知しましたねェ」とびっくり。ところが次の日、マネージャーの美津子さん(お嬢さま)から電話がかかってきました。「昨日、父がいいかげんに承知したらしいんですけど、バレエなんかに出るのは・・・・・申しわけないけどかんべんして下さい」
 私は必死にくいさがりました。「では、一度バレエをみて下さい。それでだめならあきらめます」
 上野の東京文化会館のAリハーサル室でドキドキしながら待っていると、志ん生師匠が志ん五さんにおぶわれて現れました。うしろには志ん駒さんが大きな座布団をかかえて控えています。
 私たちは、心を込めて躍りました。私には不思議な確信がありました。
 「きっとわかって下さるー」
牽牛役の鈴木武さんと、ラストシーンのデュエットを躍り終えると、師匠は一言、「まくらに「縁」のお噺をしましょう」
 それから何回か、リハーサルに来て下さいました。おんぶで、座布団でー
 当日幕が上がると、チラシに名前は出ているものの、半信半疑だったお客様は、女の子たちをはべらせて縁台に座っている師匠をみて、もう大喜び!! どっと沸きました。
 バレエ「たなばた」は大成功でした。
 それからしばらくたって、何かの舞台に出ていた時のこと、楽屋に届けものがありました。包をあけてみると、古今亭志ん生、の名刺がそえられた真珠のブローチ。つぶつぶの房の形の大きくて美しいブローチです。選んでくださったのは美津子さんでしょう。でも、志ん生師匠からのブローチを持っているのはバレエ界でも私一人では・・・・・・
 その後も、高座があるとよく遊びに行きました。
 マーゴさんは、政敵に狙撃されて車椅子になった御主人、ティト・アリアス博士をとても愛しておられました。「ティトがこう云うのよ・・・・・・」と、よくお話の中に名前が出てきます。晩年、やはり車椅子になったお母様の面倒も、とてもよくみていらっしゃいました。
 マーゴさんは、品格があって、エレガントで、大胆で、冒険好きで、そして「愛」の人でした。
 不思議なことに、志ん生師匠も全く同じ。
 このお二人は、とても似ておられます。
 この、トゥシューズとブローチは、私の宝ものです。
 そしてもうひとつ、形はありませんが、このお二人の「芸」と「気」にふれたことは、私の心の宝ものです。