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舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」
ー単純に喜んでいてよいかー」
彼岸過ぎると昼より夜の時間が長くなる。秋です。秋の日暮れはつるべ落とし。秋にはいろいろな枕言葉があります。もちろん、まず「芸術」の秋、それに対しては当然「スポーツ」の秋ということばが出てくるでしょう。10月10日は体育の日、1964年の東京オリンピックの開会式の日でした。この10月に入ってイチロー選手が快記録を樹立、国内でもライブドアと楽天、どちらがプロ野球に参入するのでしょうか。日本シリーズも興味津々。いや、「食欲」の秋。天高く馬肥ゆる秋、馬だけでなく、若い女性が肥えてきていますね。でも、バレエに進もうという女性は(男性もですが)絶対に自制して下さい。 芸術に近いのが「読書」、秋の夜長は灯火に親しむ時期でもあります。最近は本はあまり売れないらしい。だれですか、コンビニの灯りに一晩中親しんでいるのは。「感傷」の秋もあります。もの思う秋。でもあまり他人の心に「干渉」しないほうがいいかもしれませんね。 さて「芸術」の秋、これは具体的にはどういう事でしょうか。11月3日は文化の日、10月から11月にかけて文化庁芸術祭も国民文化祭も開かれます。舞踊ももちろんそれらに参加はしているのですが、「舞踊」の秋といえるでしょうか。 もちろん、こういえないわけではないのですが、最近はあまり季節感というのはなくなってしまったような気もするのです。これは舞踊、芸術についてだけではない、あらゆることに季節感がなくなってきているのは間違いないところです。昔からニッパチ(2月、8月)は閑散期といわれていました。これには旧正月、旧盆に当たる、あるいは最寒と最暑の時期などが原因で、経済活動が低調であったところからきていると思います。ただ、経済も、消費・人々の生活も、世知辛さと一方で冷暖房の普及などで、行動に季節感、すなわち輪廻(サイクル)のパターンが崩れてきているのです。 舞踊についても現象的には同じ、少し前にこのページでも書きましたが、2、8月は、他の月とは多少の内容の違い、端的には海外からの里帰り公演、はありますが、大変に盛んであることには違いありません。 では10、11月はどうでしょうか。たしかに、関東と関西で文化庁芸術祭が開催されますし、大阪や名古屋では独自に文化祭のようなものが行われており、舞踊もそれに参加したり、関係したり、触発されたりして、公演が行われることは事実です。 では全体としてどんなところに特徴があるでしょうか。まず関東を中心に考えてみましょう。今年は芸術祭参加団体は、関東ではほぼ横ばい。去年から分離独立した関西芸術祭は、舞踊の参加は残念ながら日舞を入れても10に達せず、やや寂しい状況です。ただ、公演団体はほとんどが参加、絶対数そのものが少ないのが実態です。 関東の芸術祭参加の洋舞団体は、バレエが少なくてフラメンコ、モダンダンスでもっているところがあります。私は審査員ではありませんので、正確なところは分かりませんが、関東で全30日、29公演のうち3分の1が洋舞。しかしいわゆるバレエものは創作を含めても参加はまったくありません。それに対して、関西では洋舞は数は多くありませんが、すべてバレエ関係、しかも偶然でしょうが貞松・浜田と桧垣、つまり兵庫、京都で、あと大阪と1県1団体の争いです。 関東では、非参加のバレエ公演はたくさんあります。まず新国立劇場バレエ団の「ライモンダ」、松山が神奈川で「眠れる森の美女」、牧阿佐美が「リーズの結婚」、谷桃子バレエ団は「古典と創作」、芸術祭受賞の常連、シャンブルウエストは、今年は新作「LUNA」を発表しますが、これは参加ではありません。ここは新作を初演でなく再演で参加、これまでの受賞はみなそうです。あと、東京シティ、バレエ協会のオーケストラとの共演、埼玉ブロック、バレエ連盟TAMA、下村由理恵/篠原聖一も10月末に公演しますが、みな非参加。舞踊作家協会は珍しくバレエばかりによる新作6曲。モダン、コンテンポラリー系ではH・アール・カオスが新作を、これまでの作品の集大成を上演するカンパニー・カレイドスコープ、一柳慧の作品を生演奏で舞踊化したダンス・カナガワ、さらに昨年の芸術祭新人賞受賞者山名たみえ、松山財団賞石黒節子も非参加で公演を行います。参加は現代舞踊系が数団体、それにフラメンコが3団体。こうすると低調なようですが、なかには、森嘉子、岡田昌巳、鍵田真由美/佐藤浩希の過去受賞者を含んでいます。 11月までひろげると書き切れなくなりますが、上旬だけでも芸術祭とは別に、現代舞踊協会、正田千鶴、大阪では江口乙矢の追悼公演などがあり、福岡では国民文化祭が開催され、舞踊部門でも多くの団体が参加します。その後も日本バレエ協会、熊川哲也のKーバレエなど、全体としては10月より賑やかになりそうです。 こうなると名古屋にも触れておかないといけません。名古屋は文化庁の芸術祭はありませんが、市民芸術祭が10、11月にわたって開かれます。ただここも舞踊の参加はあまり多くなく、10月はフラメンコの依田由利子から、佐々智恵子が良子の追悼、ジャズ系の三代真史が凱旋公演、越智インターナショナルが友則などのバルナ入賞披露など、タイトル付きのものが多いようでみな非参加、重点は11月にあるようです。 主として10月の洋舞の主要なものだけとりあげてもこのような状況で、外来、コンクール、わずかですが大都市圏以外、さらに日舞まで加えたら大変な数になります。といっても、実は芸術の秋というほど、飛び抜けて盛況、高レベルというわけではないのです。8月はその特性について先に取り上げましたし、9月だって、ニューヨークシテイレエの来日をはじめバレエ、モダン、コンテンポラリー、コンクールと盛り沢山だったのです。12月はいうまでもなく「くるみ割り人形」月。 つまり、日本列島は年がら年中「舞踊」の季節なのです。これははたしてよいことかどうか。舞踊が市民権をとったと喜んでいてよいか。レベルの問題もあるのですが、それはとりあえず置いておいても、まず上演地域の問題、すなわち、そのほとんどが大都市園、しかも東京に集中していること、一極集中、偏重。もっと大きいのが経済的な問題、つまり助成を含めてでも採算がとれている公演、きちんと出演料を払っている公演がどれだけあるか、つまり舞踊界そのものが職業として成立しているかどうかということです。答えは明らか、ノーです。 このような状況における芸術祭とはどういう意味があるか。受賞者にはたしかに賞金はでます。でもそれは公演にかかる費用からみたらわずかなもの。参加するのはそれが目的ではないでしょう。名誉とか権威、あるいは刺激だけでも、それはそれで意味があるのかもしれませんが、わが国の文化予算は、その絶対額だけでなく、使い方、配分について抜本的な検討が必要なのではないでしょうか。