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舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」
障がい者に対して、観客に対して十分なサービスを ー手話シャンソンコンサートと文化芸術の役割ー
●朝倉まみさんの手話シャンソンコンサートで感じたこと 先日(11月11日)、朝倉まみさんのシャンソンコンサート、~生きる~に行ってきました。朝倉さんは手話を使ってシャンソンを歌うかたです。2年ほど前に芸術とバリアフリーについてのシンポジウムでご一緒して、ぜひ聞きにきて下さいといわれていたのですが、なかなかスケデュールが合わなかったのです。この日は、マチネーもあるということで、ようやく伺うことができました。場所は有楽町朝日ホール(マリオン11階)。 このコンサートにいって感じたことがいくつかあります。そのなかで2つを述べてみたいと思います。 ひとつは当然に手話つきのコンサートについてです。この日は、2部に分かれ、それぞれシャンソンを中心に10曲くらいづつ歌われました。その進め方としては、朝倉さんが手話をしながら歌う曲もありますが、通訳の方が朝倉さんの挨拶や歌の説明などを舞台上で手話で伝えるのです。そして最後は、朝倉さん、通訳のかた、そして客席、一体となって歌と手話で盛り上がるのです。手話こそ使いますが、あとはあまり障がいという点に触れません。それがかえってバリアフリーを感じさせました。話はそれますが、この日歌われた、原作者不詳の死者をしのぶ、というより死者の方で残されたものを勇気づける歌に、新井満さんが日本語の詩と曲をつけた『千の風になって』についての説明は大変参考になりました。というのは、先日のコンクールでこれを使った作品がとても印象に残っていたからです。 ●舞踊公演と手話通訳 舞踊の世界でも、前に取り上げたことがありますが、たとえば上に述べたシンポジウムにも出席したバレエの伊与田あさ子さん(横須賀)のところでは、知的障がい者の踊りとともに、バレエの動きや作品を解説したときに手話通訳を加えています。なお、知的障がい者と書いたのを少し説明しますと、障害者の「害」は意味的に適切でないので、ここは平仮名を使おうという動きが出てきており、それにしたがったのです。また、神戸の貞松・浜田バレエ団では、通常の公演の前に貞松融さんがバレエの基本の解説をするのですが、そこでバレエのマイムと手話を実演して対比させています。団員のご関係のなかに手話の専門家がおられるそうで、そのかたが実際に出演されているのです。さらに、これもとりげたことがあると思いますが、障害者スポーツ文化センターラボール (固有名詞ですから平仮名にしません)の舞台で、児童舞踊のようなものがあって、その童謡の歌詞を手話で説明していたことがありました。 たしかに音楽と舞踊とには違いがあります。音楽は歌詞があり、歌手が声と身体(手話)で歌詞を表現することができます。しかし舞踊の場合には、童謡舞踊のように、あるいは日本舞踊のように歌詞のある音楽で踊れば別ですが、通常の場合には踊っているときに手話を使うことはなかなか難しいのです。バレエ公演で、物語や場面をイヤホーンで説明するというケースはありますから、その代わりに手話でというのは可能ですが、踊りと手話の両方を見なければならないという難しさがあります。ただ、上にあげたような解説などでの手話の使い方は可能だし、効果はあるでしょう。 ●お客を楽しませてこそプロ もう一つ感じたのは、朝倉さんをはじめ共演音楽家もみなプロだなあ、ということです。ここでいうプロとは、お客さんを楽しませ、客席を巻き込む術に長けていることです。それが、ファンをつくり、観客動員につながるのです。客席は、実は手話の対象となる聴覚障がい者はあまり多くなく、中年の男女が圧倒的で、それも朝倉さんをよく知ってるファンがのようにみえました。もちろん手話を必要とするかたもいるでしょうが、手話は、いい意味で彼女の特徴となっており、健常者も「手話付の歌」を楽しんでいるのです。これが多分、他の場で役に立つのでしょう。 これもまた、単純に舞踊を比較するわけにはいかないでしょうが、お客を楽しませるという意識が必要という点では、あらゆる芸術に共通すると思います。 つい先日、バレエシャンブルウエストが六本木で「サロン・ド・バレエ六本木」を開催しました。これは、[お客とバレエのつながりをより密にするために]開かれたもので、出演者トークやダンサーも参加するワインタイムも設けられています。このような試みは大変重要なことで、まだなれない点も多々ありましたが、ぜひ続けてもらいたいものです。そのときもあるダンサーに話したのですが、このような企画を成功させる、つまりバレエファンを増やすためには、その形式も大切ですが、それを生かすも殺すもダンサーたちの意識、行動にあるということです。つまり、それは、上に述べたプロ意識をもつこと。お客にこびるのではありませんが、楽しんでもらう、魅力を感じてもらう、そしてまた見にきてもらう、そのための努力です。つまり、文化芸術の役割である、[人々に楽しさや感動、精神的な安らぎを与え、人生を豊かにする。それによって人々は苦しいなかでも生きる勇気がもてる]ようにするのです。 この括弧内は、前回少し触れました、平山郁夫さん、高橋秀爾さんなどによって文部科学大臣と文化庁長官に宛てたメッセージ『効率性追及による文化芸術の衰退を危惧する』の冒頭の部分を多少アレンジしたものです。 ●文化芸術の役割、存在価値の証明を このメッセージは、わが国の指導的立場の人たちが、最近の動向に対して文化芸術の立場から危機感をもち、それに対しての強い危惧と反論のメッセージですが、一方で芸術界、舞踊界でここで述べられている芸術の役割、価値にふさわしい行動をとり、そして成果を上げているかどうか、ということを考える必要があります。 もう再三、再四書いてきているように、財政再建、行政改革などの名目で、国、地方を問わず、予算の削減、民営化、などが進められています。とくに公立文化施設においては指定管理者制度の導入など、これまで創造活動を積極的にやってきたところほど、組織改革や予算削減の影響を強く受けていますし、芸術活動に対する公的、私的助成もますます厳しくなってきています。障がい者に対する支援についても、「障害者自立支援法」など、率直にいって後退の方向にあり、これも以前取り上げた岡本るみ子さんの知的障害者支援の会「アンリミテッド」、そしてそのためのチャリティーコンサートなども運営が非常に難しくなってきているのです。あらゆる分野でまず弱者が切り捨てられる世の中になっているのも、政治家に心の豊かさが失われてきているためのような気がしてなりません。 こういったなかで、芸術の社会的役割、そして人間生活における価値を自信をもって訴え、公的に、私的に、すなわち社会全体での支援を求めるには、一層人々に楽しんでもらえ、心を豊かにする活動をしていくことが必要になります。 つまり、芸術家だから、というだけでは済まない世の中になってきているということを十分認識し、その存在価値、有用性をはっきりと示さなければならないのです。