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舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」
国際化、競争社会だからこそ ー古い作品と日本的作品の意義ー
●『くるみ割り人形』ラッシュのなかで 今年も『くるみ割り人形』のシーズンがやってきました。依然として多くのバレエ団、スクールが公演を行います。私も10を越える『くるみ割り人形』を拝見する予定ですが、せっかくご案内いただいても伺えないものもそれと同じくらいあります。とくに23~25日は物凄い集中ぶり、次いで17、18日。とくに23~25日は3連休、その間に私の知るかぎりでも全国で10を超す団体、20回以上の『くるみ割り人形』が上演されます。 それとは別に、独自の活動をする団体も少なくありません。 とくに12月上旬、いくつかの興味ある作品が発表されました。 京都の有馬龍子バレエ団と京都バレエ専門学校の団員、在校生が矢上恵子さんの作品に挑戦した『Toi Toi』(4日)、ラファエル・アマルゴのブレイク、タップ、サパティアードの踊り比べが楽しいラファエル・アマルゴの『エンランブラオ』(5日)、そしてハードロックまで登場する佐藤桂子、・山崎泰スペイン舞踊団の『さらば 友よ』(6日)も、動きのエネルギー、発想の柔軟性、そして観客へのサービス性などで印象的でした。 しかし、ここではとくに次の2作品を紹介したいと思います。 それは佐々智恵子バレエ団の『プルチネルラ』(3日)と、西田尭舞踊団の『愛の詩』(6日)です。 ●コメディア・デラルテにもとづく『プルチネルラ』 『プルチネルラ』は、ディアギレフのロシアバレエ団によって、イゴール・ストラヴィンスキーの音楽、レオニード・マシーンの台本、振付、そしてパブロ・ピカソの美術、しかも主演はマシーンとカルサヴィナという豪華な顔ぶれで、1920年にパリ・オペラ座で初演されました。ナポリのコメディ『4人のプルチネルラ』にもとずく、コメディア・デラルテ・バレエといわれる、プルチネルラをめぐる女たちのコミカルな楽しいお芝居バレエです。ストラヴィンスキーの音楽は、18世紀のイタリアの作曲家ペルゴルジの音楽をベースにして、歌唱を含むきわめて古典的なものに作られています。 その後、マシーンの作品はミラノのスカラ座、NYのジョフリー・バレエなどで上演、他にロプコフ、ヨース、ベジャール、バランシン&ロビンスなど多くの振付作品があり、21世紀に入っても、西オーストラリア・バレエでテッド・ブランドセンの振付で上演されています。ただ私の知る限りでは日本で上演されたことはないと思います。 さて、この由緒ある作品に挑戦したのは、佐々智恵子バレエ団の神戸珠利さん。現役ダンサーでもあります。このバレエ団は、佐々良子さんのオペラやミュージカルのバレエ化を土台に、振付、出演すべて日本人によって公演を行っているユニークな(本当はこれが本筋ですが)バレエ団です。その良子さんが、昨年惜しまれつつ亡くなられてしまいました。この伝統がどうなるか、率直にいってその後が心配でした。しかし、今回の神戸さんの『プルチネルラ』で、ひとまず安心です。 神戸さんは、振付にあたって、この作品のもととなった16~18世紀のイタリアで盛んだった、ハーレキンとコロンビーヌを主役としたコメディア・デラルテから研究を初め、しっかりと取り組みました。そして美術(荒田良さん)を含めて1920年代のマシーン/ピカソのコメディア・デラルテ・バレエを思わせる楽しい作品に仕上げました。プルチネルラ役の名古屋初登場の青木崇さん、その恋人宮原まゆみさんはじめキャストもよく作品の香りを表現していました。 実はこのバレエ団は、これまでも本公演に加えて団員の勉強を兼ねた創作の試演会を続けていました。神戸さんはその中心的存在でもあったのです。これで佐々智恵子団長のもと、この日『レ・シルフィード』の芯を踊った小川典子さん、そして神戸さんと体制は固まったようです。 ただ、このページにとりあげたのは、以上のことを書くためではありません。ではなにか。それについては、次の西田尭さんの作品について述べてからにします。 ●日本的感覚で感動的な『愛の詩』 西田さんは、現代舞踊界の重鎮で、現在(社)現代舞踊協会の副会長をつとめ、多くの優れた作品を発表するとともに、数多くのダンサー、とくに男性を育ててきました。 このところ毎年年末に新作を発表しています。かつての骨太直裁の社会的作品から、最近は社会的なテーマであっても、シンボルや記号、映像などを使ったものも作るようになっていました。 しかし、今回の『愛の詩(うた)』は、原点への回帰というか、もう一段上がったというか、和装の衣装などの美術を基として、そこに社会的な問題への主張をはらみながら、動きを主体にせりふ、そして歌詩で表現しようとしています。 全体は続けて上演される3部からなり、それぞれに3つの景が含まれます。動きはいわゆる現代舞踊調と日本の伝統的な民族舞踊のステップ、全体として繊細で秘めやかな愛の形が演じられます。 そのなかでとくに強く印象に残ったのは、女性2人がそれぞれに踊る谷川俊太郎・詩/武満徹・曲の「悲歌」と、西田さんが蝋燭を前に床に座って客席に語りかけながら、筋に応じて在家育江さん、童役の群舞と踊る「土佐源氏」(宮本常一・作)です。前者はその言葉のもつ重さに心をうたれましたし、後者は30分にもなる熱演、博労の色懺悔をたんたんと語るなかに古き日本の社会状態が浮かび上がってくる、ここだけでも大人の鑑賞に十分耐える場面でした。 西田さん、在家さん、さらに大神田正美さん、松永雅彦さん、ほかのダンサーたちもみな和服の衣装が似合い、とても美しく見え、「よさこい」などの民謡も巧みに利用されていて「日本」を強く感じました。 ●厳しい社会だからこそ 『プルチネルラ』と『愛の詩』。多分、この2つの作品は、現在の舞踊界では事前にもあまり評判にもならず、終わってからもそれほど大きく取り上げられることはないかもしれません。 現在、バレエ作品については、大掛かりなグランドバレエ、そしてアクロバティックな技巧が好まれ、モダンダンスの分野では、激しい動きや、映像、コンピュータを駆使した作品、個性を前面に出した、いわゆるコンテンポラリーダンスにファンが集まります。 もちろん、これらもあってよいのです。私もこういう作品もよく見ますし、楽しんでもいます。大事なのはダンスのスタイルや作品の形式ではないからです。 したがって、逆に『プルチネルラ』のような良き時代のおおらかな作品、『愛の詩』のように日本的な感覚のなかにしっかりと思想的な背景をもった作品も、しっかりと作られていれば、もっと注目されていいのではないかと思うのです。2日に拝見した菊の会(畑道代さん)の『藍の女』も、「阿波おどり」を背景にして女の生き方を描いた、なかなか感動的な舞踊劇でした。 国際競争力、自己責任、デジタルデバイド、などで代表される厳しい時代だからこそ、もっと伝統や民族に心を馳せることが必要ではないでしょうか。