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ニュース・コラム

舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」

幕あいラウンジ・うわらまこと

2006.12/13
 
今年は『ジゼル』の当たり年
ーきめ細かなドラマ演出と演技が命ー

 
 
●多彩な『ジゼル』の競演
 これは古典(スタンダード)バレエに限ることですが、時期によって同じ作品が重なることがあります。たしか2年ほど前には『ドン・キホーテ』を年をまたいで多くのバレエ団が競演したことがありました。もちろん、『くるみ割り人形』は毎年暮れの風物詩になるほどですし、『白鳥の湖』は圧倒的な愛好をえて、有力バレエ団のレパートリーに必ず入っており、毎年コンスタントに上演されています。とくに今年は第2次大戦後ただちに東京バレエ団によって全幕初演されてから60周年の節目のせいもあってか、とくに多くの『白鳥~』が見られました。
 『白鳥~』『くるみ~』は、いわば当たり前の状況ですが、今年とくに前半に集中したのが、『ジゼル』です。まず、主要なものをあげておきましょう。2月にその緻密な演出でバレエ界に衝撃を与えたピーター・ライト版の『スターダンサーズ・バレエ団』、3月は斎藤友佳理さんの芸術選奨文部科学大臣賞受賞記念第2弾の東京バレエ団、4~5月には森下洋子さんのきわめつけ、清水哲太郎さんの新アイディアも加わった松山バレエ団公演もありました。5~6月には熊川哲也さん演出のKバレエ・カンパニーが12年21公演の全国ツアー、NBAバレエ団はサンフランシスコ・バレエ団からヤン・タンタンさんを招いて上演しました。年前半の最後は新国立バレエ団、主役にバレエ研修所の修了生2人など新人を起用して話題となりました。これ以外にも6月に角屋満季子さんが40周年記念で優れたゲストを招いて上演しています。
 後半には東京以外での上演が続きました。拝見したものだけでも9月に大阪で田中俊行さんがバレエ団、ジュニアバレエ団として初演、11月には名古屋の佐々バレエ団が関直人さんの演出・振付で、そして多分今年の最後として12月に札幌舞踊会が16年振りに上演しました。さらに番外編として、韓国ユニバーサルバレエが6月に太田というところで上演したのも見ました。話は『ジゼル』と少しずれますが、ユニバーサルバレエは歴史の古いバレエ団ですが、みな若く、見事なスタイル、しっかり訓練されていて、いかにも選ばれたプロダンサーたちという感じ、将来おそるべしです。

●ドラマを組み立てる要点ー第1幕は多くの伏線を
 閑話休題、『ジゼル』は私のもっとも好きな、というか関心をもっているバレエです。というのは、再三いっていることですが、私は踊りそのものよりもそれをとおして表現されるドラマが好きだからです。
この意味で『ジゼル』は、ドラマの表現にどれだけ工夫されているかを見ることができる、それだけの内容をもっているので興味が大きいのです。
 そこで、この面から、とくにどこにポイントををおいて舞台を見るかを書いてみたいと思います。実際はもっとありますが、スペースの関係で一部だけになりますけれど。
まず1幕では、アルブレヒトの登場、そこでの従者ウィルフリードとのやり取りdす。ここで彼の貴族らしさと、性格が表現されます。次の重要ポイントはジゼルとの出会いです。ジゼルはドアを叩いたのが彼であることを感じ喜んで外に出てきます。しかし彼はいません、いろいろ探しますが見つからず空耳だったかと家に戻ろうとします。そこにアルブレヒトが・・・。このときアルブレヒトとどうやって会うか。つまり背中で触れるか、振り向いて顔を合わせるか。私は背中がすきです。それだけで愛する彼と分かる、その表現、鳥肌がたちます。そのあとのジゼルをめぐってのアルブレヒトとヒラリオンの争い。ここでは貴族と村人(森番)の違いを示し、貴族かもしれないと疑問を持たせる伏線が重要です。さらにジゼルの有名なヴァリエーション、この時にひとつはジゼルが胸の病いをもちながら一生懸命にアルブレヒトのために踊るという表現、そしてそれを受け止めるアルブレヒトの反応です。私は、遊び半分だったアルブレヒトが、ここで本気になってくるのではないかと解釈しています。
 次、アルブレヒトの婚約者バチルドが現れます。彼女がなぜこんなところにいるの、と彼を問い詰めます。その時の彼の反応。ここでは、「いや別にたまたま」、という軽い感じでなく、真剣に言い訳けをしてほしいのです。なぜなら、彼はジゼルを本気で愛しはじめているからです。この伏線としては、ジゼルがバチルドからもらった首飾りをアルブレヒトに見せた時に、彼は悲劇を予感しているのです。つまり軽い感じでは済ませられないはずです。したがって、ジゼルがショックで自分を見失い、心臓が停止してしまう時、アルブレヒトにはウィルフードを振り切って最後まで踏み止どまっていてほしいのです。

●第2幕ではウィリ・・・精霊らしい動きを
 第2幕、ウィリの世界。ここではまず人間でない精霊の踊りをしてほしいこと。それはまず、重さを感じさせない、具体的にはシューズの音を感じさせないことです。足の指をうまく使いかかとをつけないこと、まずそれが第一です。ウィリガコトコト、ドスンドスンでは困ります。あと、やはりマイムはしっかりやること。ここでも必死にウィリの性(さが)を貫こうとする女王ミルタと、アルブレヒト、ヒラリオンとのやりとりが見せ場です。貴族と村人、当然に2人の対応は異なります。
 ジゼルの心情も重要、アルブレヒトが踊り疲れて倒れてしまっても、ウィリでもある彼女は彼を休ませるわけにはいきません。アルブレヒトを助けたいという気持ちとの複雑な葛藤のもと、倒れている彼を立ち上がらせ、踊らせなければならないのです。そこに朝を告げる教会の鐘が大きな意味を持つのです。
 最後のアルブレヒトはどうなったのでしょうか。「ただ呆然」だと思います。ジゼルの墓に花を供えようと来ただけだったのに。今あったことは現実だったのだろうか。その事実を受け入れ、別れの悲しみが湧いてくるのは後のことでしょう。
 つまり、これらがクラシックでなく、ロマンティックバレエであるゆえんなのです。踊りとマイムが分かれているのでなく、踊りにもすべて意味があり、ドラマを形成しているのです。このようなことを徹底し、全体をとおしてドラマとしての整合性を貫くこと、これが演出の仕事ではないでしょうか。

●ドラマの意味をしっかり表現した札幌舞踊会
 今回のさまざまな『ジゼル』はそれぞれに演出の工夫がされていて、楽しく見ることができました。また、踊りの意味づけにも独自性がみられました。たとえば、第1幕ではドラマ伏線にそれぞれ工夫がなされ、ジゼルのヴァリエーションやペザントの踊りでも、その位置づけ、意味づけがいろいろと考えられており、たんにここは踊りを見せる場、前後は関係なしという演出はありませんでした。ただ、第2幕にあまり明確なマイムを使わなかった演出もいくつかありましたが、それは私の舞踊観からすると残念でした。
 このなかでも特筆すべきは札幌舞踊会です。演出・振付は千田雅子さん、ジゼルは林香織さん、アルブレヒトはオランダ国立のタマス・ナージィさん、ヒラリオンは正木亮羽さんです。率直にいって全体の技術レベルは他の団体に比べて高いとはいえませんし、オーケストラ(札幌交響楽団)も十分ではありませんでしたが、作品をしっかり理解して演出し、演技し、踊ろうという意識がみえ、それが具体的に表現されていて、大変に好感がもてました。
 いくつか例をあげてみましょう。第1幕ではアルブレヒトの貴族の本性がつい現れてしまうところ、それがヒラリオンとの対象で明確になっています。そのヒラリオンも普通の農村の住民(農夫)とは違うところもでています。アルブレヒトは婚約者パチルドにジゼルとの仲を知られないように必死に弁解します。しかし、それに気づかないジゼルは2人の仲を明らかにしてしまいます。その時のアルブレヒトの心中はいかなるものだったでしょうか。この辺も説得力があります。
 第2幕ではなんといってもシューズの音がしなかったこと。これは後で聞いたら、そのためにシューズの堅い部分を釘で柔らかくしたり、必死になって練習したりしたそうです。貴族と村人(森番)との違いについても演出家とディスカスを繰り返したとのこと。
 マイムをきちんとやっているのも共感がもてます。
 札幌舞踊会は現在の千田雅子さん、先代の千田モトさんの時代から、坂本登喜彦さんの現代的な『くるみ割り人形』を上演したり、かつては島崎徹さん、金森穣さんなどに作品を依頼したり、そしてなによりも尖鋭的な『カルミナ・ブラーナ』を上京してして上演、文化庁芸術祭賞を受けるなど、革新的な活動で知られているのです。しかし、古典、正確にはロマンティックバレエ、その上演にはこれだけ地道な努力をしていること、ダンサーのスタイルは海外にはかなわない日本のバレエにはこれがとくに必要だと思います。
 日本のバレエファンも手足の長さばかりに目をとられず、このような点にも目をとめてほしいものです。