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ニュース・コラム

舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」

幕あいラウンジ・うわらまこと

2009.7/10
 
物語バレエのすばらしさとむずかしさ
―『春の雪』、バレエネクスト公演に思う―
 
●舞踊劇、物語りバレエとアブストラクトバレエ
 いきなりですが、バレエってなんでしょうか。バレエとオペラ、舞台芸術として並列される意味内容をもっていますが、厳密にいうと少し違うのです。まず日本語に訳すと、オペラは歌劇。バレエは舞踊劇、ここまでは同じですが、このようなことばもあります。「バレエを習う」。「オペラを習う」とはいいません。ここでいうバレエとは、バレエの技術のこと。さらに、ここからバレエ技術を使って作られた作品は、劇(物語)がなくてもバレエと呼びます。いわゆるアブストラクトバレエ、シンフォニックバレエです。
 しかも、このバレエの技術が伝統的ないわゆるダンスクラシックからどんどん変化しているので、ここに問題が生じます。ひとつはバレエと(モダン)ダンスの区別、境がなくなってきたということ。もう一つの問題、それはいわゆる舞踊劇としてのバレエの位置付けが変わってきたということです。とくに最近、創作においてとくに物語性の高い作品があまり評価されなくなってきたことです。
 すくなくとも19世紀までは舞踊作品はみな物語がありました。それが20世紀に入ると、イサドラ・ダンカンなどによって自由なダンスが創造され、またそのころバレエの世界でもミハエル・フォーキンなどの新しいコンセプトの作品が生まれました。さらにそれがバレエ・リュッスなどにおいて、音楽の視覚化を追求したレオニード・マシーン、ジョージ・バランシンなどによってシンフォニックバレエが生まれたのです。そのころモダンダンスの分野ではマーサ・グラームなどの舞踊劇も作られましたが、全体に抽象化が進みました。バレエの世界でもアントニー・チューダー、フレデリック・アシュトン、ジョン・クランコからケネス・マクミランなど、物語バレエの系列がある一方、モーリス・ベジャール、イリ・キリアン、ジョン・フォーサイスからナチョ・ドウアトなど、物語の舞踊化でなく、新しい動き、新しい作品のスタイルを追求する振付者が台頭してきました。
●やや劣勢の物語バレエ
 率直にいって現在の新しく作られる作品では舞踊劇としてのバレエは劣勢です。それは大きくいって2つの理由があるように思います。1つは、いわゆる全幕もの(一晩もの)といわれる長尺作品から、中編の組み合わせ(トリプル・ビルなど)に変わってきたこと。
これはフォーキン=バレエ・リュッス頃からはじまりました。これは時代のスピード、新規性、多様性を求める風潮が求めたのだと思います。もう1つはグランドバレエはお金がかかるということです。もちろん、古典バレエは衰えることなく続き、多くのファンを引きつけていますが、欧米では創作はもちろん古典作品でも、制作費、人件費が大変なので、これを上演するところは限られています。それに比較して、現代的な創作は、中小劇場でもできますし、音楽、美術そしてダンサーもそれ程多くを必要としないのです。
 もちろん、現代の振付者がお手軽なものばかり作っているといっているのではありません。大変なエネルギーと創造力を投入した素晴らしい作品はたくさんあります。
 現代バレエの多くは、前にもこの欄で述べましたが、無思想性、抽象性あるいはテクノロジーが現代の芸術の条件だという考えに沿ったものです。コンテンポラリーダンスの多くもこれです。もちろん、この形式を否定するわけではありません。ただ、問題は物語バレエは古い=だめ、という論調がわが国の1部にあることです。ある評論家が、「なんで今ごろストーリーバレエなんか作るんだろう」というのを聞いたことがあります。
●より感動的で共感度の高い物語バレエ
 私はそうは考えません。新しいか古いかではなくて、感動するか、共感するかが重要だと思うからです。私が感動するのは、主として出演者をとうして表現され、伝えられた人間のドラマにです。それができるのは物語バレエです。もちろん、それが人間の動きによって(音楽や美術も加わって)的確に表現されなければならないのは当然です。
 物語バレエは、出演者がだれか(なにか)に扮し、それを演じることによって具体的な話が進んでいく作品と定義できます。この意味では、フォーキン作品も一晩ものではないにしろ、その多くは物語バレエに入ります。たとえば『ペトルーシュカ』。きわめて短い『バラの精』にも一瞬の物語とドラマがあります。
 しかし、象徴的な概念、たとえば、愛、嫉妬、苦痛、暗黒などから、命のない大地、火、水などによるものは物語バレエではありません。もちろん、物語のなかの役がいろいろあって、それを取り巻くものとして水や火、あるいは心理を描くものとして苦痛や悲しみといった役が登場することはあるでしょう。
 このような物語バレエに対する批判はあっても、実はわが国ではこのスタイルの長尺作品の創作は決して少なくないのです。中編はもっと多いですが、ここでは一晩一作品の長いものにかぎって考えます。新国立劇場でも牧阿佐美さんの『椿姫』、石井潤さんの『カルメン』(『アラジン』は英国のデヴィッド・ビントレーさん作ですが、ここのオリジナル)。最近の芸術祭賞をみても、今村博明/川口るり子さんの『タチヤーナ』、『天上の詩』、篠原聖一さんの『ロメオとジュリエット』、少し前には松崎すみ子さん、京都の小西裕紀子さんも受賞作品以外にもいくつもすぐれた作品を発表しています。芸術祭に参加はしていませんが望月則彦さんも物語バレエに力を入れ、成果を上げています。
●物語バレエの意欲作、市川透さんの『春の雪』
 さらに、最近素晴らしい物語バレエが発表されました。それは5月29日、名古屋でのバレエネクスト公演での市川透さん演出振付の『春の雪』です。バレエネクストは3年前、福田晴美さんを代表として、オーディションによる登録制のカンパニーを目指して発足、市川透さんの演出振付作品を上演してきました。これまでは『ジゼル』、『ドン・キホーテ』で、なかなかのセンスで注目されましたが、今回は三島由紀夫にもとづいて『春の雪』をバレエ化しました。この作品は姉と弟のように育てられた若い男女の愛と別れ、そして死のドラマを描いたもので、『豊饒の海』の輪廻転生の思想が貫かれています。
 大正時代のレトロだがロマンに満ちた雰囲気をよく出しながら、物語をしっかり進めます。さらに、ショッキングな濡れ場を用意する一方、とくに男性には大変に激しく長いソロを用意するなど、思い切った手法を使っています。しかも、音楽はすべてベートーヴェンからとり、それぞれを大事にしながら最後の転生の場は第九交響曲の合唱の部分でもちあげるなど、日本をテーマとした物語バレエとしては、久し振りに強く引き込まれる舞台でした。昼夜公演で昼を見たのですが、女性(綾倉聡子)は山田繭紀(夜は植村麻衣子)さん、男(松枝清顕)は武藤天華(夜は陳秀介)さん、それぞれ好演、さらに男の友人の末松大輔さん、女の侍女の小林美穂さんもよく役を果たし、全体として見応え十分でした。『パキータ』と併演でしたが、これは観客対策で、これ1本で十分通用する内容です。
 たしかに、物語の段階から創作する作品、音楽もそのために作曲する作品が理想かもしれません。しかし、海外の、また日本の古典文学などの物語を下敷きにし、既存の音楽を利用したものにも素晴らしい作品がたくさんあります。いずれにしろ、長尺の物語バレエの創作は才能以外に、資金、出演者、時間などいろいろな条件がそろわないと実現しません。それにあえて挑戦し、みごとな成果をあげた『春の雪』に高い敬意を表したいと思います。