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(1)厳しいコメント続く芸術文化関係事業仕分け このところ芸術文化界に激震が走っています。いわずとしれた行政刷新会議の「事業仕分け」です。もちろんこれは全分野にまたがるものですから、それぞれで悲喜こもごもの事態が生まれていますが、私達としてはとくに国の文化芸術予算がどうなるのかが大きな関心事です。文部科学省の文化庁関係は仕分け初日に行われました。TVや新聞で新国立劇場が俎上に上がったことを知り、不安を感じたかたは多かったのではないでしょうか。しかし、詳細を知るとなお深刻な事態になっていることが分かります。 文科省のHPによると、仕分けは文化予算のうち現代芸術関係のほとんどにおよんでいるのです。これは財務省の問題意識によるものでしょう。大きくは二つに別れています。 一つは「日本芸術文化振興会関係」、もう一つは「芸術家の国際交流など3件」です。 まず、「日本芸術文化振興会」のとりまとめコメント(第3WG)は次のようになっています(同省HPより)。 『独立行政法人・日本芸術文化振興会関係((財)新国立劇場運営財団、(財)おきなわ運営財団[日本芸術文化振興会からの業務委託]、芸術創造・地域文化振興事業、子どものための優れた舞台芸術体験事業、芸術文化振興基金事業)については、圧倒的に予算を縮減したいというのが、私たちチームのまとめである』 個々の評価者のコメントしは厳しいものがたくさんあります。そのうちのいくつかをあげておきます。 ●劇場(新国立などの)運営財団は必要ない、独立行政法人(振興会)で直接運営すべき。 ●基金の政府搬出金は廃止(国庫返納)。 ●「子どものための~体験事業」は廃止、もしくは地方移管。 ●「芸術創造・地域文化振興事業」は廃止、もしくは地方移管。 その他総論として、「芸術文化に国がどう税を投資するか明確な説明がない、縮減やむなし」、とか、「寄付を増やして税の投入を減らす努力が国にも芸術団体にも見えない、さらにそもそも芸術文化振興は国の責務か、議論が必要」という意見もありました。 一方、芸術家の国際交流関係では、国際交流(フェスティバルなど)への支援、新進芸術家の海外研修、そして新進芸術家の人材育成が俎上にあがり、結論は「予算額の縮減」でした。ここのコメントでも厳しい言葉が並んでいます。 ●成果評価の不備は文化庁の責任、改善が必要、これができるまで縮減(複数あり)。 ●(国費による)人材育成は不要。コンテスト(コンクールなど)の副賞(スカラシップなど)で有望な人材は留学している。 ●芸術は自己責任。日本独自の洗練された文化レベル、芸術性が運用するのであれば、しっかりしたマーケティングで興業可能。 ※●の括弧内はうらわの加筆 (2)仕分け人はどこまで分かっているのか この第3WGは、かの蓮舫参議院議員のいるところで、ほとんどが経済学者、研究者、企業人で、あえていえば中村桂子JT生命誌研究館館長、安田喜憲国際日本文科センター教授が、多少芸術文化にかかわりをもっているくらいで、もっぱら経済性、効率、さらに地方や民間移管の可能性という視点での仕分けがなされたようです。残念ながら仕分け人たちの頭のなかは数字ばかりで、人間や心についてのイマジネーションがあるとは思えません。つまり、そういう方々が選ばれたということです。 この人たちはオペラやバレエを楽しんだことがあるか。それらは入場料収入では絶対にペイしない、そのために欧米やその他の国々で公私がそれぞれどのような施策、努力をおこなっているかを理解しているか。わが国の文化芸術振興基本法を読んでいるか、これらは大いに疑問です。「子どものための優れた舞台芸術体験事業」の学校公演を仕分け人が事前に視察したようですが、それがどう生かされたのでしょうか(廃止というコメントもありました)。確かに学校の講堂や体育館などでやるのは私も反対。ベストはかっての移動芸術祭方式です(しかしレベルは厳選して)。 経済性や、効率からの民営化がいかに地方を疲弊させ、弱者を痛めつけ、地域間格差を助長したかは実績が証明しています。重要なのは民間や地方でできるかどうかではなく、赤字でも必要なものはやれるか、同じ日本人なら同じ(公平な)サービスが受けられるか、などです。 もおちろん国家財政が厳しいのは明らかで、ムダ遣いだけでなく、ムダでなくても重点順位という考え方が必要なことは分かります。しかし、同じ縮減にしても、言い方(たとえば、必要なのは分かるが、国家の一大事だから我慢してほしい)があるでしょう。 どうもTVや新聞で映像や話を聞く限り、政府の、そして仕分け人の自己顕示、パフォーマンスの性格が強いようです。今回対象としたのは3000余の事業の15%程度。これだけを取り上げてめった切りは不公平と言わざるをえません。 率直にいってこれを国民の80%が支持しているというのは信じられません(不満のはけ口を役人に?)。 わが国の教育、医療、文化予算は先進諸国のなかで圧倒的に少ない。いったい何に使われているのでしょうか。 (3)といっても改革の必要性は大きい といっても、わが国の芸術文化政策、制度、運営にも問題がなくはありません。 とくに、舞台芸術、美術については、欧州方式か、アメリカ方式かあるいはわが国独自の方式か方針を明確にする必要があります。 これをわかりやすく舞踊に関していうとこうなります。欧州方式は、公的支援主体で国公立の劇場、そしてそこに所属するカンパニー、アーティストを積極的に支援するのです。それに対してアメリカ方式では、国や州は直接に支援するのではなく、税制綿での助成(寄付に対する免税など)を主体とするのです。 わが国は現在は、国(公)費による民間芸術家、その芸術活動への直接助成と、あとから生まれた国立劇場への国費投入の2本立てで、民間への助成は有識者?による審査、選考によるという方式です。 今後もこれで行くのであれば、その方式をとることへのきちんとした説明が必要でしょう。ただし、そうであっても、いまの制度でいいかどうかは別問題、この点は私は再三会議などで文化庁、振興会に申し上げていますが、思い切った制度改革、重点指向で予算の効果的活用が必要だと思います。もちろん、運営もです。率直にいって、文化庁も政治の意向に左右されたり(青少年向けへの傾斜)、ことなかれ的(広く浅く)になったりしていた点があったことは事実、もっと業界のレベルアップ、経営の近代化にたいして指導力を発揮してもらいたいのです。たとえば、くどいようですが芸術祭の役目は終わりました。観客やマスメディアの関心がほとんどありません。続けるなら抜本的変革が必要。 一方、芸術家側にも努力が要求されます。これも再三いっていることですが、まず団結すること、そして公的、社会的な支援を業界として積極的に求めること。これは資金だけではありません、いろいろな面でのスポンサー探しです。それには、それにふさわしい力をつけること。プロとアマの仕分けが必要。踊りが楽しいのは大事なことですが、同時にお客さんをいかに楽しませるかも忘れてはいけません。一生懸命やればお客は感動する、は間違いではないですが、それはアマの考えです。もちろん、そういうアマの存在は否定しませんが、ほんとうに必要なのはお客を楽しませ、感動させて食べるというプロ。 多くの誤解、認識不足もありますが、仕分け人のコメントにもうなづけるところがなくはないのです。 しかし、一番心配なのは、芸術は人間の生活にとって必要なものではないという風潮が強まるということです。 私はたとえば公立文化施設協会のアドバイザーとして、多くの人たちとともにセミナーや出版物なので、またこのページなどでもその必要性と意識の変革を提言してきたつもりです。これからも文化庁の担当者や芸術文化のリーダーたちには、自信をもって政府・仕分け人に、たとえばスーパーコンピュータのようにあなたがたのいうことは間違っているといえるようになってもらいたいのです。平田オリザ内閣官房参与も最近も首相と話をされたようですが、演劇だけでなく、芸術全般にわたる積極的な提言をぜひお願いしたいところです。 |
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