―それぞれの取り組みとともに、舞踊界として総力をあげて―
●大地震の発生と舞踊界への影響
3月11日午後に宮城県沖で発生したM9の大地震は、東日本一帯に大きな災害をもたらしました。とくに岩手、宮城、福島の三県では大きな被害を受け、多くの方が亡くなり、全体としてまだ行方不明の方も加えると28000人に近く、また家や財産を失った方も多く、避難されている方も一時期17万人を超えました。さらに福島第一原発の事故の被害は止どまるところを知りません。
舞踊界でもいろいろな形の被害をうけました。被災地には多くの舞踊人がおられます。そのなかで直接的に被災し、また避難された方がおられますし、生徒さんやご関係のかたにはご不幸に遭われたかたもいるとうかがっています。被災された方々に心から哀悼の意を表し、またお見舞いを申しあげます。
舞踊界では被災地区だけでなく、広く影響をうけています。東京地区では当日にもクラシック、モダン、コンテンポラリー系の公演が予定されていましたが、もちろん中止。そのあとも公演やコンクールの中止や延期が相次ぎました。この理由は、混乱や電力消費を避けるなどを含めた自粛、計画停電、不十分な交通事情、劇場の被災(これも何か所かありました)など。さらに出演者の関係、ここには予定していた東北のダンサーの参加不能によるものもありましたが、とくに海外のゲストダンサーやミュージシャンが帰国、あるいは来日不能のためというケースが数多くありました。海外関係ではカンパニーの来日中止、延期もあり、外国から借りることになっていた装置が手に入らなくなったために公演できなくなったという例もありました。やむを得ないこととはいいながら、この日のためにいろいろと準備してきた主催者、出演者、そしてそしれを楽しみにしていたファンにとっては大変に残念なことであり、痛手でもありました。
一方、いろいろと悩み、迷いながら実施に踏み切ったケースも少なくありません。その多く(少なくとも私が参加、出席したところではすべて)が、主催者が開催理由の説明、収益の寄付、被災者への黙祷、そして義援金の受付などを合わせて行い、さらに余震などに際しての対策なども具体的に説明をしていました。
●被災地への支援活動を
この大震災は、16年前の阪神・淡路大震災(これも大変でしたが)を上回るスケールと複雑さ(地震による倒壊、火災だけでなく、むしろ津波、さらに原発事故による放射線やその風評など)があり、完全に終結するのがいつになるか分らないという未曽有のものです、ただ、救いというか、不幸の中の新しい発見は、被災された方々の冷静さ、そして忍耐力、そしてお互いに助け合うという意識や行動です。これは世界的に称賛されました。さらに、全国(全世界)からの励まし、支援の意志や行動の大きさ、とくに多くのボランティアたち、そのなかでもスポーツ関係者、芸術、芸能関係者の現地での支援活動、勇気づける行動は大いに注目されました。
さて、これらのなかで舞踊界ではなにをすべきでしょうか。残念ながら、マスメディアに載ることの少ない舞踊関係者は、街頭での義援金集めや、被災地での支援や実演などもなかなか簡単にはいきません。
しかし、上に記したような公演を通しての支援は、依然各地で続いていますし、チャリティとか、東北に元気を与えるといったタイトルの催しも東京だけでなく各地で行われています。コンクールを中止せざるを得なかった東京新聞でも、アンコール公演の代わりに、「東日本大震災復興支援チャリティー舞踊公演(仮称)」を計画しています。舞踊家たちも何とか被災地を勇気づけ、支援する方法はないかと、いろいろと考えているようです。必ずしも経済的、社会的に恵まれているとはいえない舞踊家たちのこの気持は非常に貴いものと思います。
●感動的な被災地からの見事な成果
この4月に私が参加した2つのコンクールで印象的なことがありましたので、それおを紹介しております。まず「まちだ全国バレエコンクール」。4月の上・中旬に行われたのですが、多くのダンサーが参加しました。委員長のゴルデーエフさんなどロシアからの審査員はこられませんでしたが、彼の追悼のメッセージと被災者への黙祷、義援金の受付、そして谷口登美子さんはじめ日本人メンバーでしっかりと運営されました。この最中、やや大きな余震があったのですが、すこし客席がざわめいたとはいえ、幼い出場者も落ち着いてしっかり踊り(もちろん再演技しました)、全体として大きな混乱もなく、冷静に対応して立派に乗り切りました。もう一つは下旬の「こうべ全国洋舞コンクール」(モダンダンス、創作の部)。ここは阪神・淡路大震災の被災地ですが、過去の経験をふまえての開催理由と被災者への黙祷で始まりました。ここでは嬉しいことに、被災地岩手からの参加者が何人もあり、ジュニア1部で、盛岡の金田尚子舞踊研究所の杉村香菜さんが見事1位になったのです。もちろん、私たち審査員は彼女が岩手からの参加だったというのは、結果が出てから知ったことです。ご親戚で被害に遭われた方もおられたようで、レッスンもままならないなか、神戸までもやっと来られたというなか、立派な演技を見せたのは、踊るのだという前向きの気持、そして踊れるという喜びのためであろうと思います。深く感動させられたと同時に、ダンスのもつ魅力、果たす役割の大きさ、素晴らしさを強く感じました。
●長期的な視点での舞踊の公益性の発揮を
なんとか、このような舞踊のもつ心に訴える力、元気づける力を、被災地の人達に届けられたらいいと思います。それには舞踊界の中心になる人たちや団体や積極的に行動することです。熊川哲也さんのKバレエカンパニーでは5月の中旬に『ロミオとジュリエット』を岩手で上演する予定になっていますが、そこで熊川さんはじめ握手会などファンとに交流も企画しているようです。また松山バレエ団の森下洋子さんもマスメディアを通して被災者を勇気づけるメッセージを発信しています。吉田都さんも国内外でチャリティに参加しています。それぞれ素晴らしいことです。
決して望ましいことではありませんが、被災地の混乱、苦しみはまだまだ続きます。舞踊界でも焦らずに、被災地、被災者に対して、あるいは被災地で何ができるか、さらに厳しい電力事情のなかでどうすべきかに総力を上げて取り組んで欲しいのです。これは舞踊の公益性を発揮するいい機会です。もちろん、その基本は1人1人の人間としての思いやりであり、連帯であるべきですが、それが舞踊界の地位を高めることにつながると思うのです。
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ジゼル」、「コッペリア」などのほか「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。