―くるみ割り人形で考える―
久しぶりでこのページに書かせていただくことになりました。
公演を主体に取り上げますが、少し視点を広げて書いてみたいと思います。
それは「演出」です。もちろん、振付やダンスも大事です。ただ、これは世界的な傾向ですが、回ったり、跳んだりの「技術」に重点がおかれ過ぎているような気がします。
ここでいう「演出」とは、象徴的、抽象的な作品では、表現したい、伝えたいものはなにか、また物語のある作品では、この物語をどう理解し、どうまとめ、伝えようとしているのか、です。そのためにどのような工夫、アイディアを織り込んでいるかが大切です。
こういっても分かりにくいと思うので、少し具体的に例をあげて説明してみましょう。
そこで、バレエ好きならだれでも知っている『くるみ割り人形』をとりあげます。
少し話は変わりますが、日本のバレエ界の特徴として、とくに東京や大阪、名古屋などの大都市に多くのバレエ団が集中しているということがあります。特に東京には10を遥かに超えるバレエ団があります。そしてそのほとんどが、年の暮れに『くるみ割り人形』を上演します。昨年も12月だけで10を超える団体の『くるみ~』が上演されました。その上演回数を合計すると40に迫り、一日に1つ以上の『くるみ割り人形』が上演されている計算になります。もちろん、関西、名古屋でもこれほどではありませんが、多くの版(種類)の『くるみ~』が上演されています。こんなことは世界で日本だけ、しかもその多くがそれぞれ独自の演出・振付の工夫をしているのです。
まずこの作品の基本的なあらすじを確認しておきます。
時はクリスマスイヴ。少女クララ(マリー、マーシャルとも)はくるみ割り人形(王子)に連れられてお菓子の国を訪れ、とても楽しい経験をします。これは夢の中のお話だったのです。このお話は、大きく2種類に分かれます。それは、形の上では、最後の踊りのハイライトである、グラン・パ・ド・ドゥを王子と踊るのは「金平糖の精」か「クララ」か(前者はオリジナルのプティパ/イワーノフ版、後者はワイノーネン版といわれています)。
バレエ団によっては、役や場所、物語そのものを変えているところもありますが、その場合は、どのように変えたか、それはなぜで、それに成功したかをみるのです。
私は、作品を見るとき、『くるみ~』では10ぐらいの演出ポイントをチェックしています。これらの中から、今回は3つの演出ポイントをあげてみましょう。
(1) 少女クララはなぜ一夜の冒険をすることになったのか。
(2) お菓子の国の住人たち(ダンサーたち)はいかにクララを歓迎したか。
(3) グラン・パで、クララが踊る場合と、金平糖の精(お菓子の国の女王)が躍る場合で、その意味の違いがきちんと表現されているか。
演出ポイントはみなそうですが、とくにこの3つは演出・振付者が作品をしっかり理解しているかどうかのポイントになります。
(1) この作品はクララの夢の話です。つまり、彼女はパーティーのあとベッドに入ります。そして夢で人形に会いに行き、そこでねずみに襲われ、彼女を助けようと闘う人形に加勢しねずみの王を倒します。そしてくるみ割り人形は王子(人間)に変わり、そのお礼にクララは彼の祖国であるお菓子の国に招待されるのです(ここもポイントの一つです)。
ポイントは、この夢を見たのはなぜか、偶然ではないはず。その伏線が大事なのです。
すなわち…ドロッセルマイヤーおじさんは、パーティーで子供たちにくるみの実を割る道具であるくるみ割り人形をみせます。道具ですから余り格好はよくありません。女の子たちはみないらないというのですが、クララひとりそれを欲しいといいます。独りぼっちの人形がかわいそうだったのでしょう。そして男の子に壊された人形を悲しがり、ドロッセルマイヤーおじさんに直してもらい、いっそう大切にするのです。
つまり、クララがとても優しい女の子だったからのご褒美の夢だったのです。さらに彼女はくるみ割り人形を助ける勇気ももっていました。ご褒美をあげたのはだれ?も大切です。
王子に会って、とくにワイノーネン版では彼女は少女から女性に成長します。それが(3)にかかわってきます。
(2) クララを連れて戻ったお菓子の国で、まず王子が自分がクララに助けられたということをこの国の住人たちに説明します。そして彼女を歓待するために、皆でいろいろな踊りを見せて(=お菓子をプレゼントして)ほしいと頼みます。
ここでお菓子の国の女王(金平糖の精)がいるプティパ版と、いないワイノーネン版でやり方が変わります。プティパ版では女王が臣下である住人(ダンサーたち)に命令しますが、ワイノーネン版では命令するのが王子か、他にだれかそれを演じる役を設定するか、がポイントです。
後はダンサーたちがいかにクララを楽しませるか、歓迎していることを表現するか、それにクララがどう応えるか。これが演出の、そして演技の見せ所です。すなわち、ダンサーたちは直接には観客のために踊っているのでなく、クララのために踊っているのであ って、観客はその場面をみているのです。ただ、ワイノーネン版では、クララ(マリー) は最後に衣裳を変えてグラン・パを踊らなくてはいけませんから、そこにどう無理なくつなげるか。これも演出家の腕の見せ所です。
(3) グラン・パ・ド・ドゥは、振付は2つの版どちらもとくに変わりはありません。多くの場合イワーノフ振付といわれるものをベースにしています。もちろん、独自に振付けるところもありますが。
ポイントは、踊りの上での金平糖の精とクララの性格の違い、あるいはもっと広く、踊りそのものの意味です。つまり、金平糖の精と王子が踊るのは、クララに感謝し、楽しんでもらうためです。それに対して、少女から女性に成長したクララと王子のパ・ド・ドゥは、とくにクララの王子に対する仄かな思慕と、夢見るような喜びが表現されていなければなりません。 王子はそれに優しく応え、住人たちは彼女を称賛します。しかし、王子はこの時間が長く続かない(まもなく別れなければならない)ことを知っているのです。もちろん、プティパ版でも、クララは踊る王子に少女らしい胸のときめきを感じてはいたでしょう。
この辺りをきちんと演出し、演じられていると、感動がさらに高まると思います。
もちろん、これらのポイント以外にも、たとえばドロッセルマイヤーの役割(魔力)がどうか、あるいは物語にさらに説得力を加えるために新しい役を登場させているか、なども重要です。いずれにしても、こんなことを考えながら見ると、さらに舞台の楽しさが増すのではないでしょうか。
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ジゼル」、「コッペリア」などのほか「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。