Kバレエカンパニーの『白鳥の湖』にみる
ダンス作品の見方について、演出(作品の理解、構成、表現、方向付け)という視点から、とくにクラシックバレエについて、これまで『くるみ割り人形』と、『眠れる森の美女』ついて、チェックポイントや「らしさ」という点から分析してきました。
こうなるとどうしても『白鳥の湖』を取り上げたくなります。そこで今回はKバレエカンパニーの『白鳥の湖』について考えることとしました。
演出・振付はもちろん熊川哲也さん、これまで新作とともに精力的にクラシックバレエ(以下古典)作品の演出に取り組んできました。 昨年バレエ団創立20周年に『カルミナ・ブラーナ』と『マダム・バタフライ」を創作初演、そして21年目のスタートとして2003年に新制作した『白鳥の湖』を上演したのです。
熊川さんの古典の演出は、『くるみ割り人形』のように独創的な解釈(意味付け)のものもありますが、基本はドラマ性を重視し、そのために新しいアイディアを織り込むといった方法です。この『白鳥の湖』も独特の振付や美術もありますが、演出という点からみると、プティパ/イワーノフの原振付に対してだけでなく、古典という様式に対する敬意、リスペクトがしっかりと見られます。
そこで今回は、たくさんある私の『白鳥の湖』演出チェックポイントの中からまず3つを取り上げ、次に独特のアイディアがどのように織り込まれているかをみたいと思います。
3つのポイントとは次のものです。
(1)第1幕の「パ・ド・トロワ」の意味をどうとらえているか。
当然にそこにおかれている理由があります。単に第1幕にも踊りの見せ場があった方がよいからではありません。
(2)第2幕、王子とオデットの出会いの場の演出。
私は、このシーンが、その演出家の古典に対する姿勢を判断する最大のポイントだと思っています。
(3)第3幕、妃候補の扱い方。
この場は、もともと王子の妃を決めるための宴であったのですが、それをどれだけ理解して場を演出しているか。(それが想定外のロットバルトの姦計、悪巧みにより滅茶滅茶にされるわけです)
熊川さんの演出は、さすがに演技の部分を大変に重視しています。
(1) 第1幕でも、王子の母である王妃(山田蘭)は、王子(山本雅也)に結婚の意思を固めるように迫ります。王子があいまいな態度をとると、しっかり駄目押しをして去るのです。そしてパ・ド・トロワ(3人の踊り)になります。このパ・ド・トロワは当然にこの王妃と王子のやりとりに関連して、王子のために踊られるのです。3人は踊り終わると王子に向かい敬意を示し、王子は花束を贈って感謝の気持ちを伝えます。
この踊りの目的、意味は2つ考えられます。1つは王子が妃を迎えることになり、おめでとうという祝福、もう1つは、まだ結婚したくないのにと落ち込む王子を元気づけるため。ここは文脈からは元気づけの踊りと見みるのが自然でしょう。そして彼はこの幕の最後に、気晴らしに母からもらった成人のシンボルである弓をもって狩りに出かけるのです。
(2) 第2幕、湖のほとりでベンノなど友人たちと別れて1人となった王子、そこで白鳥から地上に降りて人間に戻ったオデット(成田紗弥)と出会います。ここでのマイムは、あらゆる古典バレエの中で最も美しく感動的です。熊川演出でも、この2人の演技とそこから生じる心の繋がりがしっかりと表現されます。20世紀後半から、この場面を「アティチュードらしき形のオデットを、王子が腰を抱いてプロムナードしたり、腰に乗せて回る」など、何とも魅力のない動きの振付が増えたのは、とても残念です。そして白鳥たちの踊りのあと、それを見つけて射とうとするベンノたちを、オデット、そして王子がしっかりと止どめるのです。熊川演出ではこの辺りの音の使い方もていねい、的確です。
この湖の場面も、最近は王子1人で出かける演出が多いのですが、物語的にも、音楽的にも友人たちと一緒の方がよいと思います。さらに…個人的には、ベンノがオデットと王子のアダージョに加わる演出・振付が見みられないかなと思っています(実は60年!ほど前、私が踊ったときはそうでした、コーダの最後もベンノがオデットを支えます)。
(3) 第3幕、前記したようにこの宴は、王子の妃を選ぶためのものです。したがってハイライトは妃候補の登場と、王子との接見、妃を決める踊り(ワルツ)です。確かに今日的視点からは、こんな形は女性蔑視にもなると思いますが、この時代の風習ですので。ただ集まるのは位の高い女性、すなわち姫たちですから、それなりに遇することが必要です。熊川演出は、この点もきちんとわきまえ、賓客として遇します。
そして、王子が姫たちと踊るときも相手をていねいに扱います。踊りも姫たちと平等にして、特定の姫に気があるように見えてはいけません。王子の頭にはオデットしかありませんから、選ぶことができないのです。観客は、湖畔でオデットが残した羽根を王子が大切に持っているのを見て、それを理解することができます。王妃は事情を知りませんから、妃を決めるように迫ります、困る王子。そこに家庭教師(伊坂文月)が少し考える時間を、ということで、ディヴェルティスマン、民族舞踊をうながします。ここの流れもよく分かり、納得できます。他の演出には、王子が妃候補と踊った後、彼女らの前でこの中には結婚相手はいませんと断言(強く否定)するケースもありますが、これは侯補である姫たちに失礼ですし、断るとしても丁寧に。いずれにしても、これではその場の空気は落ち込み、その後の民族舞踊も盛り上がりに欠けることになってしまいます。
それで、まず前座として民族舞踊を披露、そから妃選びのセレモニーに入るという演出もありますが、熊川演出は、まず妃選び、次いで民族舞踊という標準的な構成に説得力を与えたものとして評価できます。
このように熊川さんの演出は、ドラマトゥルギーの面にも細かく気を配って、説得力を高め、ドラマ性を強めているのです。本稿では個々の出演者に具体的には触れません。一方、構成・演出に関しては独特の効果的なアイディアがいくつもあり、その主なものを取り上げます。
その1つは、第3幕の幕切れです。オディールと王子のグラン・パにロットバルト(杉野慧)のソロを加えるパ・ド・トロワ形式は音楽の選定も含め他にもありますが、熊川演出ではその中に別の曲、たとえば妃選びのワルツの一部を挿入したりして、舞合全体の緊迫と混乱の度をさらに高めています。そして第4幕、まず1つ白鳥たちの中に淡いグレイ(ベージュ?)の一群が混じっています。ここは第2幕とは異なる場所らしく、幼鳥を加えた白鳥たちの居留地なのか、その意味を少し考えてみたいと思います。ここでの要点はフィナーレ。王子とオデットが身を投げ、天国で結ばれます。その場面、床にスモークを流し、そこで白鳥たちが奥に向かって身を低くしてポール・ド・ブラ。雲海を飛ぶ白鳥の群れ、一段と高く人間に戻ったオデットと王子。天空の高さと広さが感じられる象徴的で印象的な幕切れでした。
もちろん、これらの演出の意図を実現するには、出演者、美術(ヨランダ・ソナベンド、レズリー・トラヴァース)、照明(足立恒)、そして演奏(井田勝大指揮シアター・オーケストラ・トウキョウ)へのディレクションも重要なことはいうまでもありません。
オーチャードホール 1月30日所見
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ジゼル」、「コッペリア」などのほか「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。