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  2003.11/5
「舞踊家のTransition(引退後の生活)について」

 1.舞踊家のTransition(引退後の生活)
 トランジシヨンと言えば、舞踊界では、引退後のダンサーの生活をどうするかという意味でも使われる。ニューヨークでは、女性舞踊手が、28歳から29歳の間に引退するという。ミュージカルスや、ショーもくるめてと思われるが、2001年、Transitionシンポジウム開催の呼びかけにこの数字が使われていた。
男性の引退は、少し遅いとしても、30の半ばとなると、特殊なキャラクターを除いて、雇用が難しい。10年稽古に明け暮れし、プロになり、6、7年で、引退する職業だとすれば、やはり問題だ。例外的に、ヨーロッパのバレエ団では、公務員の身分保証を与えるところもある。しかし、絶えざる予算効率化には、弱い立場に立っている。確かに、通常の年金すら運営が困難な時代となれば、舞踊界の実態は社会の落ちこぼれを生産する機構となる。
「フライの失敗」とは、芸術助成の難しさを示すコンセプトである。フライは貧しい画家に有力な後援者を紹介した。数日後、その画家に、後援者との折衝について聞いた。画家は、後援者に会わなかった。なぜならば、後援者に会いに行く交通費も無かったからである。芸術家の助成は、単に金を出す、機会を提供するだけでは駄目だとフライは言う。
そこで、フライは、応用芸術販売というコンセプトを提示し、芸術家は、関連業種で、財を得る生活技術が必要と提案した。たとえば、絵描きが、何かのデザインをして、謝金を得る。あるいは、プロのダンサーがレッスンを指導して、謝金を得るようなことである。
何だか当たり前で、日本では新しい発見に見えない。プロダンサーは、日本では、教室を持つのが普通で、指導により一定収入を得ている。ヨーロッパでは、ダンサーと指導者では、コースが異なると、考えられている。振付師が指導することも、ほとんど無い。これは、作品に情が移るという側面の予防でもある。
生まれながらの教師であるといわれる女性は、特に、幼児の指導では、男性と差をつける。男性は、成人の指導は出来ても幼児は難しい。それに、女性には、結婚出産という道もあるが、男性は、無い。
もちろん、才能があれば別である。振付、劇場プロデュ-サーの第二の道を模索し、一握りの人は成功することは出来る。だが、ヨーロッパのディレクターによれば、平均的な男性舞踊手は、アルコール中毒で、行き倒れする者が少なくないと言う。
 
  2 日本における男性舞踊手~50歳代の曲がり角
 T.ゴーチエは、男性舞踊手を「花園を乱すもの」と切って捨てた。時は、ロマンチックバレエ全盛の19世紀。青白くかぼそく、妖精のような女性舞踊手がガス灯の照明で立つ中に、男性舞踊手が出てくると、生なましく、不快な存在と見られたのであろう。タイツで股袋を誇張して立つバレエの舞台姿をジュンキョウヤ氏のお父さんが見、怒り心頭に発し、ついに、お父さんと親子の関係が絶縁したと聞く。まだ終戦直後、欧米と日本伝統芸能との風俗の差異のみではなく、バレエの世界で男性舞踊手が果たす役割みたいものも、受け入れられなかったと推察される。
本場のフランスでも、男ダンサーを担ぎ屋(porteul)という。日本のショーでは、「男ちゃん」と命名され、なまけもの、好色、酒飲、無能、あるいはホモなど、差別の目で見られた時代があった。
テッド・ショーンは、男性だけの舞踊団を組み、失敗を重ねたし、天才ニジンスキーも一過性であったが、しだいに男性舞踊手を中心とする新機軸が増加し、20世紀を勢いつかせた。しかし、その道のりは、遠く、長かった。20世紀後半には、テレビの時代が定着し、いつしか、ルックスの良い男の子達が歌い踊るようになり、一方、ミュージカルスが普及し、男性が踊る風景が日常化した。近年では、クマテツのコマーシャルが、人気を集め、波及効果で、その舞台をも活性化させた。
 一方、現舞協・常務理事の北井一郎氏によると、50歳代の男性舞踊手が、舞踊界からどんどん去っているという。最近の不景気では、高年齢の舞踊家は、助手に費用が払うことが厳しくなり、あおりを食って、50歳代の男性舞踊家は、運転手や、サラリーマン、自営業などに転職が目立つと指摘していた。若者には、いろいろな可能性が広がり、一方、老年舞踊家には、細々とであっても、それなりの行き方が確立している。
 教習場の乱立、フリーターの増加、若手舞踊家と競合しながら、50歳代男性舞踊家は、受難なのかも知れない。

  3.老年舞踊家の狭い道
 若さの華がうせると、無残な姿となる舞踊家は、枚挙にいとまがない。あのヌレエフの晩年のステージでも、ダンスを磨く新境地には向かわず、高い入場料、内容の無いコケットリーに堕したと思う。それでも、ヌレエフの指導や、演出である程度の成果もあれば、生活が破綻したとは聞いていない。
歌舞伎にはあらゆる年代の踊りがあり、80過ぎで、現役を続ける人が少なからず存在する。人物の役柄も多彩で、年齢が必要な場合が、多々ある。役柄が継承され残っていくためには、風土があろう。もともと、日本の伝統芸能には、老いに祝祭のサイクルを与えている。仏教的な劫をへた者の怨念を御霊鎮めの枠組みで、解消する傾向がある。河竹黙阿弥作の歌舞伎「茨木」は、老婆が鬼に変身し大立ち回りするところが見せ場だ。結婚式で、「高砂や-~」といえば、老夫婦の寿ぎで締まる。平泉の毛越寺(モウツウジ)には、100歳を過ぎたらしい老女舞いが呪術風に舞う。
世界的大スターダンサー・大野一夫先生、巨匠・江口乙矢先生、歯切れに衰えを感じさせない石井みどり先生などが、体調さえ良ければ舞台に姿を見せてくださる。しかし、中曽根元首相の定年制問題ではないが、老年舞踊家が、社会的に歓迎されていると見るべきではないだろう。
 困ったことに、筆者は、11月12-13日の作品「たま」でもソロを持ち、また、Silver Beat という60歳以上ダンサーのグループと付き合って海外公演までしている。見る側にも気まずく、演じる側の、身体が朽ちていく実感なども考えれば、老害でもあり、主宰することに逡巡もある。「じいさんばあさんが、動くので不気味だ」という声も書きこみで目にした。
だが、「泥棒にも三分の理」があるという、三分の理は老いが、若者の舞踊美と競合しながらも、別な側面を提供しているという確信である。
1. 滅びの美、2.醜の美、3.爛熟の美、4.経験の美、5.遺書の美
この5項目が、かろうじてレーゾン・デエートルを形成すると思う。
60代になった花輪洋治氏のこの7月公演・舞踊作家協会でのソロは、舞踏風なテクスチャーを持ちながらも、1,4項目が実現され、微笑を絶やさない境地は見事だった。同じ月、青木健氏の東京新聞でのソロを見た。身体がひきしまり、肉体を追い込んだ結果、3、そして意外に、5の項目が現出し、軽味のなかに魅力を持ち込んだ。老年舞踊家としての輝かしいデビューだと思った。
1993年、私は、郡司正勝先生と市川雅氏の三人で「老いの力」というプロデュースを企画した。当時100歳近かった故・若柳吉駒先生に出演を依頼した。最近では、幼児の泣き叫びに敵わないことから幼児力と言うらしいが、老いの力も、閉ざされてはいないことを記したい。