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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

Vol.4 2004.3/19
「小さな旅2」
 

 
 1月「小さな旅」という拙文を書いたが、今回はその旅の続きから書く事とする。
 12月3日実に素晴らしいオペラ座の「Tchaikovski - pasdudeux」を観る事が出来た喜びをあとに、4日PARISからWIENに向かった。1時間40分程でウイーンの空港に着きホテルに入り、直ぐ日本で予約しておいたフォルクス・オーパーの切符を手に入れようとJTBウイーン支店を捜す。私のホテルはAM PARKRINGで、ヨハン・シュトラウスの銅像で有名な公園の前にある。地図によればほとんど同じ地区、同じビルのはずであるのにどうしても見つける事が出来ない、予約しているのは4日と5日刻々と時間が流れ少し慌てた頃やっと発見した。なんとホテルの同じビルの異なったエレベーターで上がる6階に在ったのであった、かくして無事劇場に向かうタクシーに乗りオペレッタ「ウイーン気質」の開幕に間に合った。フォルクス・オパーは何回となくおとずれて馴染みの劇場であるが、今回JTBが用意してくれたのは二日共なんと少しセンターからはずれた一列目の大変良い席であった。「ウイーン気質」はとても台詞の多いオペレッタでドイツ語に不案内の私はもっと歌と踊りが欲しかったし、日本であまり上演されない理由も推察出来た。オケピット全体をのぞき込める席であるので、台詞の間オーケストラの楽員が出入りしたり私語をしたりで、それが気になり中々劇にひたれなかったのが残念であった。又バレエもこれがバレエ団なのかと首をかしげたくなる出来で、ダンサーは皆バレエ・シューズでかなり年配の方々と見受けられた。前回の旅の時同じ劇場で観た「こうもり」のバレエもあまり印象に残らなかったが、やはり今回は前日のオペラ座があまり完璧であったので評価がおのずと厳しくなったのかもしれない。次の5日はオペラ「ラ・ボエーム」であった、スターツ・オーパア(オペラ座)は前回の旅ではワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」R・シュトラウスの「サロメ」等を観たがフォルクス・オーパアでのオペラははじめてであった。オペラ座に比べかなり小さな劇場である、オケピットも小さいので気にしながら前日と同じ席についた。なんと前日のオペレッタの倍程の広さにオケピットは大きくなり楽員の数も比例して多くなっていた。そして序曲が演奏され始めると楽員達の緊張感がひしひしと伝わって来た、あまりの演奏の違いに期待は大きくなっていった。「ラ・ボエーム」は日本でも沢山上演される馴染み深い作品であり、私が文化庁の研修員の時スターツ・オーパアで観たカラヤンの演出の時は二幕の街のカフェの場合で通 行人(数えたら200人程)が歩き回るガサガサとした足音がシルエットで浮かび上がりたいした臨場感を受けた記憶が蘇って来た。
 さて今回の「ラ・ボエーム」は点数をつけるとすると100点満点として120点と私は大満足で今回の短期間の旅でこれほどの舞台作品に出会えたのは大変幸福な事であった。ともかく主役の ミミをはじめソリストが良いのはあたりまえとして演奏全体が良い、装置が良い、照明 が良い、 そして感激したのがコーラスの演技であった。この限られた空間の中で優れた音楽劇としてオペラを構築し行った演出家の才能はなみなみのものではない。第一幕が開演すると、舞台下手に金属製のらせん階段があり中段の踊り場に扉がある、扉の内側に下にくだる急な階段があり舞台平面 が薄汚れた屋根裏部屋の設定になっており、遠見にパリの屋波がみえる。おさだまりの画家のマルチェッロが「紅海」と題する絵に取り組んでどうも思うように描けずいらいらしているところからオペラは始まった。詩人のロドロルフォ、哲学者のコッリーネ、音楽家のショナール、家主のベノワ、お針娘ミミの登場、退場が下手のらせん階段を使用して進行するが、 ベノワが追い返され中段の踊り場かららせん階段をすべり落ちる演技など、稽古段階からこの階段が使用されているのがはっきり見る事が出来た。ロドルフォの「冷たきこの手」ミミの「私の名はミミ」二人のアリアは高まり、ここに一組の恋人達が誕生する。
 一幕が終わり暗転(カットアウト)になるが舞台には再び薄くライトが灯り、下手のらせん階段が奥に引き込まれ、パリの屋波が浮き上がり舞台全体の天井に変わり、奥から二階だてのカフェ・モミュスの装置が押し出され舞台転換がスピーディに行われた。
 第二幕はコーラスと児童合唱の混合で、軍楽隊の登場や高下駄をはいた警察官などで雑踏する中、マルチェロの昔の恋人ムゼッタなどソリストが登場する。このムゼッタのカフェの二階での抜群の演技は目をみはるものがあり、彼女の歌う「ムゼッタのワルツ」の終わりにカフェの二階から一階に踊手のリフトにより下りるなど、踊手そこのけ体技には盛大な拍手が送られた。しかし一番驚いたのは群衆達の演技であった、前に述べたように私の席は最前列であり彼等の芝居とは数メートルしか離れていない、TVのアップショトのように群衆の一人一人の目の中の演技まで覗き込む事が出来た。そして彼等は一人として意味の無い芝居はしないアドリブ演技など存在していなかった、彼等は稽古段階から演出家に一人一人渡された芝居の流れを理解し舞台に立って居る、この私の驚きは羨望に変わっていった。(ここで休憩に入った)
 第三幕は原作では早朝のパリの城門前の設定になっているが、私には寒々とした駅の待合室に見えた。舞台少し上手に縦に大きな背の高いベンチが背中合わせにある、原作では後のシーンでミミが木陰に隠れる所をそのベンチの背もたれに隠れるからであり、センター奥に城門の変わりに黒い出入り口があり遠目と暗いので良く見る事ができないが黒い制服を着た人物が二人立っていた。この背もたれごしにミミの「さようなら」の歌は実に彼女の悲しい心情をえがき心にしみとうる様な素晴らしい出来であった。
 第四幕は再び屋根裏部屋にもどる、(この舞台転換は暗転幕を使用していた、時の永い流れを示す為と考える)昔の仲間がまたもとの生活に戻っている。ロドルフォとマルチェッロは仕事が手につかず、昔の恋人を思い出して歌う「もうミミは戻ってこない」そこにあとの二人も戻ってくる。突然ムゼッタがあらわれ、ミミが死にそうなのでここに連れて来たとつげる。皆の驚くなかミミが運び込まれ、二人をのこし皆気をきかせ部屋の外に出る。ミミとロドルフォは激しく抱擁し昔を懐かしく思い出す、しばらくしてまた激しく咳きこむミミを横にしたとき、皆が戻ってくる。ミミはムゼッタの持ってきてくれたマフを喜びながら、眠くなったと目を閉じる。ロドルフォは夕方がミミの顔に当たらないように窓のカーテンを閉めに行く。そのとき、ショナールがミミがすでに息を引きとっているのに気がつく。ロドルフォもミミの死に気づき、ベットに駆けつけ、激しく「ミミ!」と絶叫して彼女の亡骸の上に泣き伏す。この最後のシーンで私の心に残る演技は、ミミの死を語るベットからさりげなく落ちた彼女の手の動きであった。
 長々とオペラ「ラ・ボエーム」の事を書いたがこれには色々理由があってのことである。これだけの素晴らしい上演を行なう事が出来るのには、1 公立劇場である(前日の小編成のオペレッタと同じ料金であった)2 この作品は年間適時上演の機会がある。3 長い稽古期間(半年とも一年とも)の後上演される、そして勿論各才能の統合がある。
 一つの完璧な作品との出あいは人生そうあるもので無い。
 日本ではバレエの踊手にオペラと音楽演奏会等の会場で出会った事が無い、又その反対にオペラの歌手にバレエ・モダンダンスの公演で出会った事も無い、本当に悲しむべき芸術家達である、バレエもオペラも音楽総合舞台空間芸術であるのだから。
 オペラのことをあまり知らないバレエ読者の為、或る程度の筋書きを紹介するため。新書館(オペラハンドブック、オペラ100物語=永竹由幸著)の部分を借用しました。 
   
 
   
 
   
 
   
 
 
(プログラムより)