フランス・パリ在住の山田マミさんが、現地発信の最新ダンス情報をタイムリーにリポート!
ダンスだけでなく、ワイン、フェスティバル、市場などなど、パリっ子たちの日常生活も、
山田マミさんによる独自の視点でお伝えします。動画によるダンス映像の配信も見所です!
2015年だ~!
クリスマスからコレステロール値が気になっているのに、まあ1年に一度だからと言い訳をして、大晦日の豪華な食事とシャンペンで景気をつけて街へ繰り出した。フランスでは日にちに名前が付いていて、大晦日はサン・シルベストル(Saint Sylvestre)と言う。
パリでは凱旋門で初の大晦日イベントが開催された。凱旋門に映像が投影されて、そのあと花火大会で盛り上がったらしい。人が集まるところには喧嘩がつきもので、そんなことに巻き込まれたくないし、汚いオヤジにキスされるもの嫌だから(フランスでは年明けの瞬間には誰にキスをしても良いということになっている)無視していたのだけれど、今年は暴動もなく平和に盛り上がったらしい。もちろん記録的な人出。
この様子はパリのホームページで見られるので、興味のある方は下記をクリックしてください。
http://www.paris.fr/nouvelan2015
こんなに盛り上がるのだったら行けばよかったと後悔しても遅い。私はあいにく地方で新年を迎えた。
パリみたいには盛り上がらない。それらしきイベントもないし、家で静かに過ごす人が多いのか、通りはガランとしている。ところが24時ちょっと前になったら新年のカウントダウンがあちこちのアパートから聞こえてきた。「サンク、キャトル、トロワ、ドゥ、アン、ボンナンネー!」窓を開けて若者たちが大声で叫んでいる。そうか、みんなプライベートパーティーをしていたんだ。車はクラクションを鳴らして走り周りながら「ボンナンネー!」。
「ボンナンネー」とは、Bonne Annéeで新年おめでとうのこと。
予想外に盛り上がらない街の中心地にポツリと輝く観覧車。ほとんど人がいないけれど、マイ観覧車気分で乗ってみた。結構な勢いで7周。日本のみたいに優雅じゃないけれど、景色がどんどん変わるのはいいな。眺めもよし。
クリスマス・イヴ、クリスマスの立て続けの豪食で疲れた胃がさらに大晦日の晩餐でさらにぐったり。1月1日は休肝日にして2日から仕事か・・・。日本の正月のようにせめて三が日は休みにしてほしいとは、毎年のつぶやき。
振り返れば、無事に正月を乗り切ったことを幸運というしかない。というのは、クリスマス前の22日から医者や看護師がストライキをしていたから。この豪食の時期に、しかもクリスマス休暇中に医者がストライキをするとは!さすがフランス。病気になったらどうすりゃいいの?と途方にくれる人多数。でもまだストライキは続いている。原因不明の激痛と発熱に襲われた友人は、救急に駆け込んで医者から精密検査が必要なので入院をするようにと言われたのに、受付に行ったら看護師がストライキなので入院できませ~ん、とあっさり。結局自力で治したと。病気になっても希望を捨てずに前向きに生きることが大切なのだと実感。こうして人は根性を鍛えられる…
パリジャンを震え上がらせたシャルリー・エブドとスーパーマーケット襲撃事件
ソルド初日の1月7日、不況で財布の紐が固いフランス人の客足がようやく出始めた昼前に飛び込んできたニュース、「シャルリー・エブドが襲撃されて12人が死亡、犯人は北の方角に逃走」。思わず自分の位置確認。大丈夫、ここへは来ない。ほっとしたのもつかの間、パリ郊外では警官が襲われて殺されたとの情報。犯人は捕まっていない…。その2日後にはヴァンセンヌのスーパーマーケット襲撃情報。ひえっ、我が家からそんなに遠くない…。3日で17人が殺された凶悪な事件が、まさかパリで立て続けに起きるとは!
シャルリー・エブドを襲ったクアシ兄弟は、その後足取りがつかめず、パリ北東部の人たちは怖い思いをしていたらしい。そして、パリ北西部の印刷工場に侵入とのニュース。「さあて仕事を始めるか」とつぶやいた印刷所の従業員は、社長の電話の声に驚く。「銃を持った二人が中に入ったから隠れろ!」「冗談でしょ!」「いいや、とにかく隠れろ、いそげ!」。そして奥行き50x高さ70x幅90cmの流しの下のスペースに隠れること8時間。小柄な人ではないのにこんな小さなスペースに長時間身動きもせずに正気を保っていたとは!「犯人たちは隣の開きを開けたけれど、隠れていた扉を開けなかったのはラッキーでした。犯人の一人が水を流して水を飲んで、その水の流れを流しの下にくっついていた頭で感じました」という。しばらくしてからポケットの携帯電話を取り出して、音を立てないようにSMSを送って助けを求めると同時に犯人の動きを連絡し続けたそうだ。一方、印刷所の社長いわく、兄弟たちは全く攻撃的ではなかったので、コーヒーを勧めて、怪我の手当てをしたという。その後社長は無事に解放されたが、若い従業員が一人建物の中に隠れていることを思うと胸が締めつけられる思いだったと声をつまらせていた。
一方のアメディ・クリバリは、シャルリー・ヘブド事件の日にパリ郊外で警察官を殺して、その2日後にスーパーマーケットを襲撃。驚きなのは、彼は2009年7月15日に当時のサルコジ大統領の官邸に招かれた500人の勤労青年の中にいたということ。サルコジ氏は覚えていないというけれど、当日のパリジャン紙には大きく取り上げられている。
当時はコカコーラ工場で働いていて、刑務所から出てちゃんと更生していたわけだし、政府は警察ではないからその前の犯罪歴は確認していない。入館時には持ち物検査をしているから危険人物とは見なさなかったと官邸側の回答。犯人が住むアパートの住人は、会えば挨拶をする普通の人で、まさか彼がと口を揃えて言う。凡人の顔をして街に潜む凶悪犯。よくあることだけれど、だからといって周りの人全てを疑うわけにもいかないし…。物騒な世の中になった。
事件直後から街は厳戒態勢。デパートの前やショッピングセンターで銃を持って警備する兵士の姿に、冬のバーゲンに浮き立つ気持ちも一気に冷める。流れのある通りでちょっとでも立ち止まろうものならすっと銃を向けられる。ひえっ!デパートの入り口では荷物検査。紙袋を幾つも持った人の検査には時間がかかる。検査する方も見せる方も大変だ。
事件があった夜、メトロの中で60代の男性が突然叫んだ。「みんな知ってると思うけれど、今日シャルリー・エブドが襲われた。これは殺戮だ!表現は自由であるべきだ!ここは自由の国だ!僕は泣きたい…」と言って涙を流していた。車内の乗客も目を伏せて、沈痛な空気が流れた。
そして翌日、街の広場では亡くなった人へのオマージュを捧げるセレモニーが行われた。
シャイヨー劇場では、亡くなったカビュの挿絵が展示されていた。91/92年の劇場プログラムの表紙を飾っていたのだ。この日行われたフィリップ・ドゥクフレの公演では、ドゥクフレが出てきて開演前に1分間の黙祷。
ホールでは公演中のバロックダンスの大家ベアトリス・マッサンがカンパニーメンバーとともに「私たちはシャルリー」のパフォーマンス映像。いつもここで上演するカンパニーのビデオが流れているのだけれど、事件を受けて撮影し直したのだろうなあ。
そして1月11日のデモ、みんなが一つになった
ラジオのレポーターが「出発まであと3時間以上ありますが、レピュブリック広場は真っ黒です!人で埋まっています!」と言っていた通り、ものすごい人が街に繰り出した。新聞によるとパリは120万人、フランス全土では370万人が参加して、パリ解放時を上回るとか。世界の首脳たちも続々と駆けつけて、内戦や戦争でいがみ合っている国の首脳も一列になってデモの先頭に立ったのは大きな話題となった。このおかげでオランド大統領の人気が復活。(数週間後には人気がた落ちで元の木阿弥。)
パリのメトロはデモ参加者のために無料。
ここまでハデに開けなくても、と思うけど。
他の駅はまあ普通にドアが開いていた。と、ホームに行ったは良いけれど、レピュブリック駅やデモの最終地ナシオンに向かうメトロは満員で、多くの人がデモに参加するんだなあと実感。近辺の駅は閉鎖されているので、レピュブリックとナシオンの間にある駅で降りたら少しは人混みを避けられるかなと思ったら、皆考えることは同じで、メトロからどっと人が降りて、そのままぞろぞろと地上に向かう流れに入った。
地上は人で溢れている。
「私はシャルリー」のプラカードを持つ人、
大きな鉛筆のオブジェを持つ人。歩きながら撮ったのでピンボケですみませ~ん。それぞれが独自の方法で表現の自由を訴えている。こういうことには熱心なフランス人。
デモグッズを配る人がいた。有料かと思ったらボランティア。みんな色々工夫して演出しているんだなあ。ひとつもらってよく見たら、シャルリー・エブド紙の第一面をコピーしたものを風船にくくりつけている。私のはシラク元大統領への風刺画。見事な下ネタにちょっとためらったけれど、これもシャルリー。
終着点のナシオン広場。
広告塔も「私はシャルリー」
街の壁にはシャルリーの文字と、ペンは強し!の絵。
表現の自由を訴える「私はシャルリー」がメインなってしまったけれど、こちらの方が意味は深い。「私は警官、私はユダヤ人、私はシャルリー」。警官だというだけで、ユダヤ人だというだけの理由で殺された人もいたのだから。
夜中だというのにナシオン広場のカフェはどこも満員。まるでお祭りの後のようにみんな爽やかな顔をしてくつろいでいる。客の注文に追われる店員もにこやかだし、客もじっと注文を取ってくれるまで笑顔で待っている。いつも街で見かけるストレスたまりまくりのパリジャンからは想像もできない。事件の悲惨さとは対照的でこのデモの意味を疑問視する人もいたけれど、驚くべきことは喧嘩や暴動が全くなかったこと。こんな穏やかなデモは珍しい。例えば、人の流れにはまって動けなくなった車は、クラクションを鳴らすでもなく、人が途切れるのをじっと待ち、デモ参加の人も立ち止まって静かに車を通させる。パリ生まれの友人が、人生の中でこんな光景は一度も見たことがないと言っていた。
みんなが一つになったような印象を持った。この状態がずっと続けば諍いも事件も起こらないだろうけれど、きっと明日の朝からクラクションと怒鳴り声のいつものパリの顔に戻るんだろうな…
この教会の入り口に飾ってあったクレッシュ。キリストの誕生を語っている。
もうちょっとアップ。生まれたばかりのキリストの顔もきれいにできてる。
事件後のあれこれ
社会現象にもなったシャルリー・エブド紙。私も事件翌週に発行された新聞を求めて少し早起き。ところが、
「シャルリー・エブド紙はもうありません」の張り紙が。
「シャルリー・エブド紙は早起きした人だけです」
朝7時なのにもう売り切れ。なんでも朝5時の開店時には10mもの列がすでにできていて、5分で売り切れだったとか。だから7時に行ってもあるわけない。
「シャルリー・エブド紙売り切れ!明日入荷」
これを信じて翌日行ったところで、これまた売り切れ。
新聞スタンドに飾ってある表紙を眺めるだけか…
仕方がないからシャルリー・エブドの表紙が写っている無料新聞のメトロ紙で自分を慰める。
せっかく早起きして新聞を買いに行ったのに目的のシャルリー・エブドはない。仕方がないから別の新聞買うか、という人も多くて、シャルリー・エブド売り切れのおかげで他紙の売り上げも伸びたと思う。
諦めていたらCND(パリ国立ダンスセンター)の受付に見覚えのある緑の紙を発見。あ!シャルリー・エブドだ!太っ腹CNDは無料で配っている。3ユーロの節約と明日の早起きもしなくてすむ。ありがたい。不届き者はネットで200ユーロで売っているらしい。
で、その中身。
これ結構気に入った…
これはル・カナール・オンシェネというもう一つの風刺紙。かなり高度な社会風刺をしている人気の週間新聞紙。見出しはもちろんシャルリー・エブドへのオマージュ。この新聞社も脅迫されているらしい。
中身はこれ。持ち歩いていたのでちょっとシワシワですみません。
スーパーマーケットが襲撃された時に、とっさの判断で6人の買い物客を地下の保管室に避難させたマリ人の従業員が、事件後にフランス国籍を与えられたとか。
日本でも二人の日本人が殺されたけれど、このところ身代金を要求して72時間以内に支払わないとあっさり人質は殺されてしまうケースが増えてきたように思う。昨年9月にアルジェリアの山歩きをしていたフランス人の旅行者が誘拐された時も、12月にアメリカ人の人質に対してもそうだった。
シャルリー・エブド事件に隠れてしまったけれど、パリで事件が起こっていた時に、リビアではチュニジアのジャーナリスト二人がイスラム国により殺害されている。
事件の翌日、学校などで1分間の黙祷が行われた時に、これに反抗する生徒がいたことにフランス政府はショックを受けている。フランスは移民を多く受け入れてきて、その移民の子供たちにも無料でフランスの教育を受けさせているにも拘らず、フランスの基本的精神を持っていないということが暴露した形になったからだ。
そこで友人が一言、「日本にはこういう問題はないでしょ、移民を受け入れないから。」
誰かが言っていた、「彼らの法律の元で生きていない人を裁くのはもってのほか。彼らの国の中、宗教の中でやってくれ!」