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ニュース・コラム

山田マミのやっぱり、パリが好き

山田マミのやっぱり、パリが好き

フランス・パリ在住の山田マミさんが、現地発信の最新ダンス情報をタイムリーにリポート!
ダンスだけでなく、ワイン、フェスティバル、市場などなど、パリっ子たちの日常生活も、
山田マミさんによる独自の視点でお伝えします。動画によるダンス映像の配信も見所です!

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事件1ヶ月後、パリはまだ「ジュ・スイ・シャルリー」

ダンスセンターのミカダンスも「私の身体はシャルリー」
シャルリー=自由ってことだとすると、表現の自由、自由に体を動かそう、ということなのかな。もうなんでもシャルリー。猫も杓子もシャルリーのパリ。

パリ市庁舎にも大きな垂れ幕。「パリはシャルリー」「私たちはシャルリー」

メトロ構内の空き広告の色は緑。この緑が事件後に発行された1178号のシャルリー・エブド紙を連想するのは私だけ?
世界中に波紋を広げた事件後に発行された1178号・通称「生き残り号」は、史上空前の発行部数700万部を記録して、3月10日まで発売されるけれど、2月の終わりには新聞スタンドで見かけるようになった。2月25日に次の号が出て、それ以降は通常の販売に戻るそうだ。1ヶ月前の騒ぎとは程遠く、1179号は発行部数をかなり減らしたのにそれでも売れ残ったらしい。でも、それまで1万件だった予約購読が事件後一気に22万件に跳ね上がったとか。アメリカのオバマ大統領も契約したというけれど、本当に読んでいるのかな。フランス語読めるのかな?

パリ市の情報誌の特別号?なんだろう。あれ、この漫画、見たことがある。

ページを開いてあっと思った。パリ市の季刊情報誌の最後のページに掲載されていた漫画だ。これはシャルリー・エブドのCabuが書いていたんだ。知らなかった。

パリで起こったことやパリジャン気質を面白おかしく描いていて、風刺だけれど知識がなければ描けない鋭い描写があって、いつも感心して読んでいた。

毎回楽しみにしていたのに、もうこの漫画を見ることはできないんだ…描くことが大好きだったCabu。この写真が彼の全てを物語っている。

1ヶ月経ってから事件のあったシャルリー・エブド社へ行ってみた。

この通りの10番地が事件現場なのだけれど、フェンスが置かれて近づけないので、そこから少し離れた場所に花を置いているらしい。では、その花がたくさん置かれている場所は何なのだろう。事情がよくわからない…

こんな静かな通りであんな悲惨な事件が起こるとは。

少し離れた路上に囲いがしてあって、折れた鉛筆のオブジェと花が置かれて番号が書いてある。ここも事件現場の一つなのかしら。

重い気持ちになって大通りに出たら、市が立っていた。ああ、ここはバスティーユ広場のすぐ近くなんだ。事件が起こっても、人々の生活は続いている。暗い気持ちが少し明るくなった。

市場では新鮮で安い食料品が手に入るけれど、日常品も安いでっせ~。下着を買うのは躊躇してしまうけれど、手袋とか帽子とかポシェットとかを格安で売っている。パリでは高級品を持っているとひったくりに遭いやすいので、最近はマルシェの格安グッズをチェック。ブランドより身の安全。じっくり探すと結構掘り出し物がありますよ~。この冬ゲットしたのが5ユーロの革の手袋と、ウール100%の帽子2ユーロ!もちろんどちらも新品。はまったらやめられないこの安さ!

バスティーユ広場の塔の下にも、平和のシンボルマークが。

オペラ座バスティーユ劇場の壁面に来シーズンの広告が大々的に!バンジャマン・ミルピエはオペラ座バレエ団に改革をもたらすのだろうか。来シーズンの演目をみて、これじゃあニューヨークシティバレエ団と同じやんと陰口叩かれているみたいだけれど…

せっかくバスティーユまで来たのだから、少し足を伸ばしてヴィアデュック・デ・ザールに行ってみた。これは、バスティーユ広場からヴァンセンヌの森方面に伸びる高架線を利用してできたブティック街で、その上は遊歩道。

クリエーターの店や、ショッピングセンターでは見かけないような手作り感覚のブティックがあるので、ウインドウショッピングはなかなか楽しい。これは刺繍製品を売るお店。

ウエディングドレスも素敵!こんなの着てみたいわ~。あ、ソルド中はお買い得?

アイ・ラブ・ソルドの文字が虚しいほど、店内には客がいない…。そろそろソルドも終わる頃だからなのか、不況のせいなのか

あ、バス停が新しくなっている。停留所の名前がはっきり表示されてわかりやすくなった。いつまでこの綺麗さを保っていられるか、それは時間の問題。

日本では全く話題にならなかったセザール賞

なぜですかね、3日後のオスカー賞はニュースになっていたのに、フランスのセザール賞は話題にもなっていなかったように思う。日本で公開されない映画が賞をとったからなのか、それとも日本はやっぱりアメリカ寄りだからなのかな。
今年のセザール賞のほとんどを総なめにしたのが、イスラム国に占領された村の様子を語ったアブデラマン・シサコ監督の「 Timbuktu 」。映画賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、音楽賞、編集賞、音響賞の7冠に輝いた。オスカーでは最優秀外国映画賞を受賞。

話には聞いていたけれど、こうして視覚化されるとイスラム国の横暴な支配がより現実的なものとなって見えてくる。百聞は一見にしかず、だ。アフリカ特有の木工細工の人形は銃の訓練の標的にされているのか、無残にも打ち砕かれる冒頭の映像。街ではダーイシュがマイクで叫んでいる。「音楽禁止、ボール遊び禁止、喫煙禁止、外に出るときは靴を履くこと!」。 町外れにある広場では子供達が見えないボールでサッカーに興じている。バイクのタッタッタという音が聞こえたらすぐにラジオ体操に早変わり。サッカーは禁止されているからだ。ところが監視人たちの暇つぶしの話題は、2004年のW杯と有名歌手のコンサートのことで盛り上がっている。ちょうど通りかかった子供にサッカーボールを差し出す。「これ、お前のだろ?」「いえいえ、とんでもない」子供達は知っている、これが罠だということを。ボールを受け取ってしまったら即刻死刑だ。家の陰に隠れていた少女は言いがかりをつけられて連行され、携帯電話で男と話していたという罪で相手の男とともに首まで埋められて、死ぬまで石を投げつけられる。昼も夜も監視人が銃を抱えて歩いていて、音楽が聞こえてこようものなら家に突入。歌を歌っていた女性は町の広場で鞭打ちの刑。あまりの苦痛に歌い出してしまった女。彼女にとっては歌が感情の表れなのだろう。ただ、神の家と呼ばれるシャーマンの女だけは例外だ。尾長鶏を飼い、一風変わったこの女をダーイシュは一目を置いている。その彼女の家での男の踊りが素晴らしい。まるでコンテンポラリーダンス。

イスラム国の戦闘員の国籍は様々だし、役人は別の国から派遣されているから、いろんな国の言葉が飛び交っている。アラブ語でも国によって言葉が違うらしい。そこで通訳が必要になる。捕虜なのか外国人戦闘員なのか、一人の男が目隠しされて車を乗り継ぎやってくる。乗っている車がトヨタなのにはちょっとへこむ。
殺人事件が起こって現場に行ったダーイシュがセンターに電話するけれど、要を得ない説明に「お前のアラブ語はわからない、英語で言ってくれ」とアラブ語で。でもダーイシュは再びアラブ語で「死んだ人の身体があって…」業を煮やした電話の相手は「ドウ・ユー・スピーク・イングリッシュ?」これには笑った。結局英語は世界共通なのね。罪を犯したらとりあえず裁判ということになるけれど、通訳がいなくては話しにならない。裁判官が「どうせ死刑になるのだから今言ったことは訳す必要ない」と言った言葉がグサリ。罪を犯すこと、それは死を意味することなのだし、罪を着せて殺すのを楽しんでいるようにも思える。

戦闘員が通訳同伴である家を訪れ、いきなり「ここの娘と結婚したい」。驚いた母親は「見ず知らずの男に娘はやれない。」そこで村長が引き出される。男が自己紹介したあとに村長は「この男は今聞いた通りちゃんとした生まれの人で、ダーイシュから派遣されてここにやってきた人だから、得体の知れない者ではない。だから結婚は拒否できない。」村長も逆らえない。屁理屈にしか聞こえないけれど、屁理屈がまかり通ってしまうのがこの国だ。かわいそうに少女は泣いている。

郊外の砂漠に住む人たちは、強風を避けるためなのか、低くテントを張って生活をしている。もちろん電気はないから、ロウソクの生活。数頭の牛を飼い、山羊の乳を飲み、芋や木の実を料理して食べる質素な生活。車はないから街まではかなりの時間をかけて歩くしかない。通信手段は携帯電話だけれど、電波の状態は非常に悪い。ダーイシュの支配はまだ及んでいないから、家族で歌を歌える。でもそれも時間の問題。

この砂漠に住む家族の飼う牛が、川で魚を取る漁師に殺されてしまい、それを咎めに行った夫が持っていた銃の暴発で相手を殺してしまったことから悲劇は始まる。
夫が捕らえられたことをいいことに、妻を横恋慕しようとするダーイシュ。夫と妻は連絡が取れないまま裁判が行われる。夫の公開処刑の日に、見かねた街の男が砂漠までバイクを走らせ、妻を広場に連れてくる。走り寄る二人は撃ち殺され、バイクの男もほう助の罪で追いかけられる。

イスラム国は、私たちを西洋の邪悪な思想に侵された者というけれど、車を乗り回し、携帯電話を使い、YOUTUBEに投稿してさんざん西洋の技術を利用している。西洋の邪悪な思想に侵された人が作り出した技術を利用するのは許されているということ?することがないから人を殺しているとしか思えなかった。
禁止事項だらけで文化のない生活なんて考えられないし、文化は人の心を豊かにするもので、それがなければ人の心は荒んでしまうのに。

残虐なシーンは見たくないという夫に隠れて見に行った友人に感想を聞いたら、「映像が綺麗だった~!行ってみたい」だって。人によって感じることは違うのね。

この映画を多くに人に見てもらいたいけれど、ベルギーの映画祭では何度も脅迫を受けて上映中止になったというし、日本では多分上映されることはないだろうなあ。セザール賞の授賞式で監督が「フランスのおかげで映画を撮ることができた」と言っていた。やっぱりフランスは表現の自由が大きく認められている国なんだと思う。

あ~それから、いつも困ってしまうのが、「邦題」というやつ。日本人にわかりやすいように訳してくれるのは構わないけれど、あまりにも原題からかけ離れていると、海外で探すときに困るのよ。フランスで超人気だった「intouchables/アントゥッシャブル」は「最強の二人」、「Diplomatie」が「パリよ、永遠に」。日本の友達と話をしていてちんぷんかんぷんなことがよくあるもの。もちろんこの反対もあって、日本の映画が想像もつかないフランス語になっていることもある。気持ちはわかるけれど、翻訳の後に原題を表示してくれるとありがたいんだけどなあ。

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