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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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楽しさいっぱい 上田遥の劇的舞踊集団Kyuが第3回公演
「灰かぶり姫~僕らのシンデレラ物語~」を熱演 4月16日(土)13時30分、7時 蛎殻町 at日本橋劇場

日下 四郎 2011年4月25日

その点この劇的舞踊集団Kyuが提供する舞台は、平易でありながら、珍しく芸術と娯楽の両面でバランスがとれている点を、先ず何よりも買いたい。当たり前のようでありながら、これがなかなか難しいのだ。どこいらのポット出にそう簡単に出来る仕事ではない。これこそ場数を踏んだ“おじさんダンサー”たちの情熱の産物であり、上田遥の才知が提供する掬すべき結晶の好例だと言いたい。だがこの成果は決して一朝一夕になったものではない。

ここであらためて思い起こすのは、先行して90年代にはじまる上田遥のダンスリサイタルだ。「キングリア」や「ゼロのタンゴ」「巷かくるる八百万の…」などなど。それらはすべて当時モダン・ダンス界が引き摺っていた因襲をしりぞけ、自らの才能と信念をまっすぐにつらぬいた、若き上田遥ならではの挑戦だった。一作一作に込められた新しく楽しいダンスの調理と観客へのサービス精神。それを観ながら筆者はいつもその背後に、彼の父である故・水田外史の才知と血統の影を強く意識していたものだ。

これはあまり知られていないことだが、上田遥の実父は戦後国の内外で活躍したすぐれたギニョール人形の遣い手であり、卓越した才能のショーマンであった。その奇才はテレビの初期に、ユニークな指人形を開発してコマーシャルなどでも活躍したが、日ごろは頓知あふれる人形劇の台本をみずから執筆して学校間を巡演、行く先々でずいぶん子どもたちを喜ばせた芸術家である。門前の小僧は何とやら、遥自身も小さいときからいつしかその技術や雰囲気を知り、種々学ぶところがあった筈である。事実一度ならず人形劇のミニ舞台をダンス作品に持ち込んで、巧みに活用したケースもある。

しかしそんな時も、彼は決して直接に父親の手を借りようとはしなかった。それどころかこの親子はしばしば意見が対立し、自分だけの決心で勝手にダンス世界へ飛び込みわが道を突っ走った。そして日ごろ極端に妥協を嫌う性向は、行く末を案ずる父の助力やコネには一切たよることをせず、その結果ついに自力で今日の成果を克ちとったのである。しかしカエルの子は何とやら、そこには明らかにDNAの存在が、遺伝子として大きくモノを言っている筈だと筆者は勝手にそう思っている。

最後にもうひとつ、舞踊集団Kyuのスタートと成功のウラには、俗にいうタイミングの僥倖がある。それはここ数年〔コンテンポラリー・ダンス〕なる通念の流行とともに、この世界での従来からの創作上の制約と閉鎖性が急激に打破され、その結果この種の新しい舞台芸術は、演劇界の“アナザー・コメディ”ではなく、むしろ“可能性のダンス”として、より広い顧客層を獲得する流れを生み出したのである。ただひとつこれらクロスオーバーを意図する舞台は、取り込むジャンルの範疇が演劇寄りから美術寄り、また音楽・映像寄りと、あまりにもボーダーレスに自由が許されるあまり、隣接への踏み込みが大胆な“ペリフェラル”(周辺寄り)の創作に限っては、最後に焦点の定まらない非ダンスを生み出す危険があることだけは、充分に警戒しておく必要があるだろう。

その点集団kyuの作風は、スタッフ・キャストの中核がすべてベテラン・ダンサーとダンス出身者だけで占められているので、その目標と活動には明快な戦法と自意識があり、一般人からのアクセスも容易であることが何よりの強みだ。さらにまたそれらの演者を一手に操る総指揮官が、上田遥というダンス界出身の貴重な才能と来ている。今後ともエネルギッシュでたのしい舞台を生み続け、現代舞踊のファン層をいっそう広めていってもらいたいものだ。(16日ソワレ所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。