第33回 藝術舞踊展「Modern & Ballet 2011」気力充実の力作4本:
神奈川県舞踊協会主催による米沢麻佑子 吉原嘉依子 山県順子 中島素子の作品集
10月16日 神奈川県民ホール
ここで休憩が入り、そのあとトリとしての最後の作品は、中島素子ヴァージョンの「春の祭典」だ。バレエ作家なら誰もが一度は勝負してみたくなるらしいストラヴィンスキー不滅の魔曲である。私の記憶にある日本人の振り付けだけでも、5指は下らない。そんな中で今回の中島版はなかなかによく出来ていて、それなりにオリジナリティを打ち出すことに成功したといえる。その第一の要因は、曲の空間構成にあたって、あえて左右シンメトリカルの感覚を重視し、水平ラインに絞って造型に徹した振付の勝利だったと思う。これは一見もっとも平凡な着想のようで、実は誰もが見のがしてしまう、大きな抜け穴のひとつだ。
例えばダンサーを舞台いっぱいに、地上すれすれの横一列に長く連ねて振付けたとする。するとふつう立ちスタイルを基本とするバレエでは、本来無縁なモダン・ダンスの味がにわかに出てきて、作品を活性化するのだ。自由ダンスだけが生み出せる、いわば儲けものの視覚効果である。その他群舞の中を、切り刻むように出入りする長老(杉原ともじ)の活用もおもしろく、とりわけこの怪物が最初に中央の祭壇に現われたとき、巨大なレンズで顔面を拡大してみせた不気味な美術効果(デザイン:伊坂義夫)も出色だった。また乙女(大滝よう)と、乙女に恋する若者(伊坂文月)の登用や、長老に化身(島田美穂)を配して行動させるアイディアも、それぞれよく生かされていると思った。
こうして2時間半にわたって展示された今回の「モダンとバレエ2011」の4本は、いずれも力作揃いで、そこに気力の充実を強く感じさせる何かがあった。ある仲間の批評家は、打ち上げ席上の挨拶で、「席に座ったまま一夜にしてモダンとバレエの両方が楽しめる、まことに結構な公演」とそつなく持ち上げたが、もちろん中味が不作では、楽しさもたちまち苦痛に一変する。その点から言えば、微妙なエッジで繋がるこの2つの舞踊ジャンルを巧みに並べ、見終わってカロリー豊富なディナーをこってり賞味したような、後味のよささえ覚えた。神奈川県藝術舞踊協会が日ごろ保有する実力を、あらためて再確認させられた思いである。
ここでもう一度、導入部で触れた〝モダン&バレエ〟の考察に戻って、その続きを少々述べさせていただく。この名称は明治以後の輸入藝術である洋舞を、ただ現状のまま説明した便宜的な表現にすぎないと言ったが、昨今ではその間の事情もかなり急激に変化してきている。つまりクラシック・バレエという場合、今では「白鳥の湖」とか「くるみ割り人形」など、古典期のスタイルを大劇場で忠実にフォローする場合に限られていて、それ以外では、何らかの形で手を加え、新しい脚色や演出の下に上演するほうががむしろ一般的になって来た。
それはテクニックの面でもいえることで、組織上の所属を別にすれば、その境界線はいよいよあいまい。作品がどちらの身体表現をベースに振付けられているかによって、バレエともモダンとも呼んでいるにすぎないケースさえ増えてきた。問題はむしろそんなことより、そのダンスの創られた動機やコンテンツが、どう現代とかかわりを持っているかの方にあり、単なる様式美を目差す場合はいざ知らず、現代芸術としてのダンスは、「モダン&バレエ」の識別を超えた、誰の目にもますます魅力ある身体表現の場であり続けて欲しいと、日ごろ心からそう願っているファン層の一人であることを、あえてここで告白しておく。(16日所見 神奈川県民ホール)
芸術文化論・ダンス批評・演出
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。