ケイタケイのムービングアース・オリエントスフィアがLIGHTシリーズ新旧2本を上演:Part36「風を追う者たち」、Part12「Stone Field」 2月17~19日 両国 シアターX
ここ数年ケイタケイのLightシリーズを軸としたムービングアース・オリエントの活動は目覚しい。それは2010年に入ってから、“Lightシリーズをもう一度”という指標のもとに、毎年8月、12月、2月と年3回の公演を、それと関連させたダンス・プログラムともども、絶やすことなく実行し続けているからだ。昨年1年を見ても、日暮里サニーホールでの「Chanting Hill」(2月12-13日)、豪徳寺スタジオでの「二つの麦畑」(8月19-24日)、そし年末には恒例シアターXでの「水溜まりをまたぐ女」(12月28日)と、つぎつぎに精力的な新旧織り交ぜての舞台公演を実現してみせた。
このうち「Chanting Hill」は、前年に発表した「時空に墜ちる者たち」と同じく、ムービングアース・オリエントを動員した日本でのオリジナルで、それを今回発表する「風を追う者たち(As Shadows Astride the Wind)」と合わせ、LIGHTシリーズ線上の新しい3部作と捉えているらしい。いまは遠い昔、ニューヨーク時代の彼女が、市内のキュビクロ劇場でスタートさせたのが、1969年に発表したPart1の「光(ライト)」である。そこから数えて今回の「風を追う者たち」が、Part36にあたる新たなナンバーだ。
これと平行して公開するもう1本の「Stone Field(石の畑)」は、1976年の10月に、オーストリアのグラーツで初演されたPart12に当たる作品。いずれにしてもみな長い歴史がからんでいる。しかし優れた創作というものは、いつみてもまるでたった今、生まれたばかりの新鮮さと迫力を感じさせるはずもの。そこにダンス藝術ならではのすばらしさがあると言えないだろうか。
さてプログラムはまずその「stone Field」から始まる。告白すると幕があくまで私はこの作品をこれまでどこかで観たもののひとつだとばかり勘違いしていた。「ダイコン畑」だの「二つの麦畑」「つむじ風」など、いずれも自然と大地を素材にした創作の多いケイの振付には、これまでもダンサーが石を叩いたり摺り合わせたアクションがあったはず。その種の動きを見たという記憶がどこかにあり、そのためこれはいくばくか手を加えた上で、オリエントスフィアのメンバーを動員した旧作の再演だとばかり思っていた。ところがそんなふやけた予想は、最初の1分も経たない間に、たちまちに吹っ飛んでしまったのである。
客席が暗くなり、時間で舞台中央に照明が入ると、そこにあらわれるのは白い木綿の仕事着をつけた、ケイ扮するところの坐した女の姿。顔一面にカイザー式の黒い髭を生やし、なにやら唄を口ずさみながら、小石を積み替える作業に熱中している。“あんたがた何処サ、肥後サ,肥後の何処サ、熊本サ……”。するとそのリズムに乗って左右から、ラズ・ブレザーを先頭に、やはり白い労働着の10名ほどの男女が現われ、たちまちケイを取り囲む円陣を作って、周辺を円形にとりまく小石を相手に、唄いながらの作業にとりかかるのだ。
ここに至る序幕の迫力は実にすばらしい。ずっしりと大地に根を下ろしたような足どりで、しかし一歩一歩確かめるように前へ前へと進んでくるアクションの連鎖。いまさらながら私はそこにもっとも自然で美しい、日本人の理想的な体型の生けるサンプルを見た。やがて全員はケイを巻き込んでの石の労働の大合唱となる。ただその途中で石が地面に叩きつけられたり、なにかのちょっとした合図で、6拍子のユニゾンが間歇的に一瞬止まったりくずれたりする。そのタイミングとシンコペーションがなんともいえない起伏を生み出し、見るものの心に絶妙の快感を惹起する。これこそ身体の奏でる音楽に他ならない。
もしかするとこの作品は、ケイタケイの宇宙と生命観を映し出した、数あるLIGHTシリーズの中でもっとも優れてエッセンシャルな芸術作品かもしれない。全体がただ30分ほど続く無心な動きの連続に過ぎないにもかかわらず、それが何物にも替えられない身体のパッションと存在の意味を目の前に展示してくれるのだ。例え一掻きの楽器や一節の伴奏がなくとも、生ける身体の生み出すリズムの総和が、これほど音楽的であり人の心を掻き立てるものであるという事実を、まるで今はじめてであるように知らされる。
その音楽についてであるが、たまたま次の「風を追う者たち」の作曲を担当した佐藤聡明氏が、プログラム・ノートに次のような興味ある考察を披露している。曰く「音楽はコレオグラファーが遥かに望み見つめる地平を、わずかに透明にするという役割に撤するべき」ではないかと。たしかにこのLIGHTシリーズの新作Part36の中味は、「Stone Field」に比べるとき、はるかに非音楽的な仕上がりになっている。つまりただの「方便であり奉仕者に過ぎない」(同上ノート)具合に仕上がっていて、ほとんどあとに残らない。だからといってここでの音楽起用は、それだけの目的を達したといえるであろうか。