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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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成城ダンスフェスティバル2012:“青い地球プロジェクト”第2弾
さらに一歩踏み込んだステップアップはあったか? 3月16日 9作品 2ステージ at 成城ホール

日下 四郎 2012年3月27日

前世紀90年代の半ばから、すでに10年をマークして、「創世紀」「夢洞楽」と年2回の現代舞踊公演を世に送り出してきた〔プロダクション直〕が、乾坤一擲昨年の2月、劇場をここ学園エリアの成城ホールへ移して、新しいプロジェクトを打ち上げた。それがこのシリーズ「成城ダンスフェスティバル」である。だがシリーズといっても今年が2回目、まだ成果を謳いあげるにはちと時期尚早だが、少なくとも1年前のデビューには、それ相当の勢いとあでやかさといったものがあり、この国の正統コンテンポラリーの中軸を示唆する手ごたえは充分にあった。

それは当然集められたメンバーと作品の中味から来る採点なのだが、少なくともそこには今日におけるダンスアートの、もっともエッセンシャルな、たっぷり中味の濃い濃縮ジュースのような滋味が、じわじわと滲み出ていた印象があった。それをある同業の識者は、「くろうと好み」という言葉で形容したが、つまりは同じことを言っているのだと私には思われる。いまではコンテンポラリー・ダンスと言ったほうがよほど一般に通りがいい、あまりにも間口の広いこのパフォーミング・アーツの世界だが、そんな特異なジャンルにあって、真に大人の鑑賞に堪え、かつ前衛性を失わない本来の意味での現代舞踊の本質を見せることは、今後とも果たして可能か。その答えのひとつがここにある。

ただこれを準備する制作の過程は、そう簡単なものではない。大げさなジェスチャーや看板だけでは決して人は集まらないし、ましてや優れた作品を舞台に結実させることは出来ない。これは音響制作という、半世紀にわたる現場の体験をふまえた、すぐれたスタッフである山本直氏が、決して観念ではなく、常にモノとヒトという最終の具体だけを相手に択んだひとつの答案であり、さらにそこへ少しでも優れた作品を見せたいと願う、ダンスへの根強い情熱と悲願があってこそ、初めて実現可能な、純粋に現場から生まれた新しい型の制作工程だと言えるかもしれない。

昨年のプロデュースは、一口に言えばそれを人選でみせた公演だった。2日間にわたる計11名のダンサーは、いずれもこの国における現代舞踊の、もっとも創作力あふれた最前線のピックアップであり、年齢や所属、作品のスタイルを越えての精鋭ぞろいだった。すなわちヒエラルキーでもビジネスでもなく、あくまでも実力本位の才能あるダンサーが選ばれていたことが、何よりの勝因だったのだ。彼らの所属がすべてCDAJ(現代舞踊協会)であったことはひとつの結果論にすぎない。なぜなら現下において正統と前衛をすぐれて共有するダンサーたちの8割方は、みなこの協会のメンバーであり、また山本氏が体験を重ねた主戦場もまた、それらのアーテイストとの共同作業の産物に他ならなかったからだ。

さて第2回目を実現した今回の公演は、ディテールで比べてみると、1年前とは少しずつ違ったやりかたが見られる。まず日数と出場者の数だが、前回の旗揚げのときは、2日間にわたり3ステージだった。それが今回は公演日は1日で、9名の出演者、マティネとソワレの2ステージで決行している。おそらくこれは昨年の体験から来る、主としてビジネス上の判断から取られた措置であろう。問題は中味の方だ。フライヤーにプリントされた「成城から発信するダンスシーンの最先端」のキャッチフレーズが、今回も決して色あせたものでないことを念じつつ、期待を胸に会場へと出向いた。以下に作品別のノートを少しずつ記してみよう。

まずほぼ10分を基準とした9作品は、途中に10分間ずつの休憩を挟んで、3パートに分けて演じられた。そしてそれぞれ3本ずつの中味は、作風とか主題の点で、それとなく共通項を置いたようにも感じられたが、果たして実際はどうだったか。先ず第1部には菊地尚子、矢作聡子、内田香の3人が登場する。今回のメンバーの中では、もっとも冒険と前衛を意識した若手グループ、あるいはソロって日本女子体育大学の出身ということで括ることも可能。ともあれ俗に言うコンテンポラリーのイメージにもっとも近い作風の創作家たちである。

そして同じ脱モダンでも、中で菊地の「夜の底の穴」は、シンボリズムを武器とする手法の一篇だ。ホリゾントをいっぱいに走る映像。車輪、ハシゴなど一連のセット。その中を屈折した女が、奇妙なサウンドを背に、大道具を潜り抜けたり、光を求めて自ら半月の投影を試みたりする。おのれの分身の錯綜した心理風景はわかるが、そこにはかつて「シンフォトロニカ・フィジクロニクル」で見せた、動く身体の息遣いはついになかった。

次の矢作聡子の「光と闇で」は、ちょっと主題は似ていても、見せ方は一転してシュールレアリズムが戦法。この作家がここ数年固執するスタイルだが、今回は演出上で珍しく途中に北島栄と組んだデュオを投入している。ただし意図的なものか、身体の動きと振り付けが、妙に硬いのが気になった。そもそも人間の身体は、いわば具体そのものであり、アブストラクトならまだしも、超リアルを目差すこと自体に、どこかに本質的な矛盾がある。かつてこの世界で、五木田某氏のように同じ目標をかかげて奮闘した先例もあるが、結局はうまく行かなかったことは知っていていい。

その点になると、3番目の内田香作品「SKIP & STEP」はずば抜けていた。ここへ来て初めてダンスを見せられた思いがしてホッとする。あくまでも身体のエロスと流れに乗って、めくるめく空間の創造に没入しているからだ。この作家はしっかり肉体の感性を信じている。別にやっかいなセットや技術の仕掛けを借りなくても、ピタリ決まった身体の動きひとつで、立派にコンテンポラリーの名に値する作品を生み出すことが可能であることは、これらのスキップとステップが、立派にそれを証明している。